あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

第2回 葛飾探見歩行(京成金町~水元公園)(東京)

2008-09-29 16:54:36 | 江戸・東京を歩く
 きのうの所沢市の最高気温は17.4℃、すっかり秋の気配
となり、今日も冷たい雨でさらに気温が下がりそう。

 雨なので外出もせず、もっぱらパソコンの前に座っています。

 そんな、きのう今日とはうって変わって、暑かった9月上旬
のレポートです。

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 2008年9月7日(土)



 やまさんの新企画、『葛飾区内を10回に分けてきめ細かく
歩き、無名ながらも価値のある宝物を発見、記録し、地域とじ
っくりふれあおう』という「葛飾探見歩行」、その第2回に初参
加した。


 9時、京成金町駅に集まったのは9人。JR常磐線の北に回
り、東金町三丁目の金連院に向かう斜めの通へ。

 上総屋という魚屋に、ミネラル軟水を専用のペットボトルで販
売する自動販売機があった。

 通りの突き当たりが金連院。永正年間(1504~20)の創
立で、末寺30か寺、朱印地十石という由緒ある寺院である。


 門前に、珍しい線刻の板碑が14基並んでいた。

 境内は黒松やイチョウ、枝を広げたクスノキなど緑が豊富。
区の天然記念物、樹高10mあまり、樹齢400~500年と
いわれるラカンマキがあり、固そうな太い幹に圧倒される。


 本堂横には、区の文化財で、宝永7年(1710)に二十六夜
講の人たちが建てたという、愛染明王石像があった。

 山門の横に「山門不幸」という立て札が立てかけてある。何
のことかと思い調べたら、ご住職が亡くなられたときに掲げる、
一般の「忌中」に相当するものらしい。

 寺から南西に延びる通りへ。うどんを玉で売っている柳田製
麺所という店があった。

 今は珍しい個人経営の麺類製造直売店である。

 その先には、かやぶき屋根にトタンを被せた「葉ら」という割
烹がある。庭に木々も多く、昭和のふんいきを残している。

 幅広い都道307号を越え、東金町六丁目に入る。玄関前に、
ふくろうのポストを置いた民家があり、庭には「赤ダルマ」と呼
ばれた公衆電話機も置いてあった。

 先に進むと葛西神社。元暦元年(1184)、下総国香取神宮
から勧請(かんじよう)し、葛西三十三郷の総鎮守として創立し
たという。徳川家康から朱印十石を賜り、「葛西ばやし」発祥
の地でもある。

 コンクリート造りながら朱塗り寝殿造りのりっぱな社殿に参
拝。緑の多い境内で、「弥栄銀杏(いやさかいちよう)」と呼ぶ2
本の大イチョウが目につく。

 社殿造営の奉賛者のなかに、やまさんの名が木札で掲げら
れていた。

 境内には金町コカブや千住ネギの説明板もあり、江戸時代、
このあたりがこれらの生産地であったことが記されていた。

 北に進み、松や大イチョウ、ツツジなど、庭木が豊富でよく整
えられた光増寺へ。

 貞応元年(1222)創立、親鸞聖人が宿泊したとかで、「親鸞
聖人関東追跡地」の標識が立つ。

 境内には、区文化財、俳人・鈴木松什(しゆじゆう)の墓があ
り、ほかに、赤い前垂れや帽子を被った六地蔵をはじめ、古い
石仏や灯ろうが多い。

 区文化財の舟形地蔵は、元禄7年(1694)の建立。草加
や岩槻・慈恩寺への道しるべにもなっていて、以前は近くの
街道沿いにあったようだ。

 さらに北へ。民家の一隅に「趣味の陶器」の看板があったの
で入り、砥部焼や京焼の茶器を少しだけ拝見する。

 その先の観蔵寺には、享保9年(1724)建立という石造り
の「いぼとり地蔵尊」があり、願いをかけた人が奉納した塩が、
足元に置かれていた。


 幅広い都道471号を横断、西側の半田稲荷に入った。ここ
もりっぱな社殿。


 江戸名所の一つで、歌舞伎、芸能人、花柳界の人たちの参詣
が多かったらしい。周囲の石柵にはそれら奉納者の名も見える。

 境内には保存樹のスダジイや、大イチョウ、クスなどがある。
現在は渇水している神泉遺構という古い石の井戸枠に、しめ
縄がかけられていた。

 本殿左手奥の小さい稲荷神社の前には、石造りのお狐様が
たくさん並んでいた。

 東金町五丁目に入った。半田小の校庭に「半田の森」の標
識が立つが、樹木は数本だけだった。

 ゴールデンストアという下町らしいスーパーの横を北東に進
み、瑞正寺へ。鉄筋造りの現代風本堂の前に、ノウゼンカズ
ラとサルスベリが咲く。庭木は、なかなかよく整えられている。


 北側は水元公園の東端に近い。園内に入ってまず、オニバス
池へ。オニバスは環境省の絶滅危惧種で、都内ではただ一つ
の自生地だという。

 ちょうど開花期で、紫色の花が幾つか、水面から開花していた。

 旧水産試験場の横を抜け、金魚展示飼育池に入る。江戸時
代から続く、地場産業の振興に役立てているもので、幾つも
ある養魚池に、見たことのない種類の金魚が、たくさん飼育
されていた。


 南に進み、その先に広い水面が続く小合溜(こあいだめ)の
ほとりに出る。

 大きな東屋に入り、水面やその向こうに広がるメタセコイヤ
などの林を眺めたり、先着の地元の人たちと話したりしながら
昼食をする。
 
 水元公園の面積は約86haあり都内でも屈指の広さ。ただ
一つ水郷風景をつくる小合溜は、享保年間(1716~36)
に、江戸の町を洪水から守り、水田を潤す水源(水元)として
つくられたという。

 小合溜の水辺から南側の園路を回り、東水元二丁目にある
「しばられ地蔵」で知られる南蔵院へ行く。

 寺は貞和4年(1348)の開創、大きな本堂の前には、形の
よい黒松が枝を広げている。


 しばられ地蔵は、本堂左手のお堂に、荒縄をいっぱい巻かれ
て祭られていた。大岡裁きの由緒は、長くなるので省略する。

 本堂裏手には水琴窟(すいきんくつ)があり、水を流すと澄ん
だ水音を響かせる。
 ちなみに、東儀秀樹夫人は、この寺がご実家だとのこと。

 水元公園の園路に戻り、花菖蒲園の横を進む。水元大橋の
近くから公園を出て、そばの香取神社へ。

 本殿の背後に、背の高いイチョウが豊かな葉を見せていた。

 岸辺や小舟から、たくさんの釣り人が糸を垂れる釣り堀に沿
って進み、12時58分に水元公園バス停に着いた。

 今回の探見はここまで。金町駅でバスを乗り継ぎ、やまさん、
敬子さん宅そばの、「ふらっと」におじゃまする。

 お茶やクッキーなどをいただき、お二人が夏休みに出かけた
写真やスケッチなどを拝見し、敬子さんのオカリナ演奏を聞く。


 そのあと、敬子さんのデンマークの生涯教育の視察旅行と、
やまさんの英国・湖水地方の歩き旅の報告に、近づいてきた
雷鳴を気にしながら耳を傾ける。

 来訪者の一人、練馬区でかやぶき民家にお住まいの方の
話もうかがうなどして、17時近く散会した。

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