第5日 7月15日(水)午後
== ラトビアのリガとトゥライダ城観光後 エストニアのタリンへ(その2) ==
ラトビアの首都リガ歴史地区の観光とダウガヴァ川のクルーズ後、昼食を済ませて13
時19分にバスは出発した。
ユーゲントシュティール装飾の施された建物などを車窓が眺めながら、リガの街並みを
後にした。国道A2号線に入り、東北東約52㎞のスィグルダ(Sigulda)に向かう。
1時間余りでスィグルダの街並みに入り、駅前を通過して北側の谷間に下る。ガウヤ
(Gauja)川を渡ってさらに北側の台地に上がり、14時32分にトゥライダ(Turaidas)
城の駐車場に着いた。
「トゥライダ」とはリーヴ語で「神の庭」のこと。13世紀初めに騎士団がリーヴ人の
王カウポの城を破壊し、その後リガのアルベルト僧正により同じ場所に城がつくられたと
いう。
本丸が現在は博物館になっていて、スィグルダの歴史に関する資料が展示され、周辺を
含めた一帯「トゥライダ城博物館保護区」は、特別保護文化財に指定されているようだ。
入口から城までは500mくらいある。中ほどまで進んで、まずは木造のトゥライダ教
会に入る。
1750年1月から使われているようで、ほぼ当時のまま現在に至り、建築文化財に指
定されているという。
その先には、19世紀中期に建設されたという「庭師の家」↑がある。
ここも入館して、ラトビア人と共存したラトビアの先住民族、リーヴ人の豊富な文化遺
産を見る。
庭師の家を出るとトゥライダ城が近づいてきた。1214年に建築が始まったリガ大司
教区の要塞で、主塔ベルクフードは高さ38mある。
ほかに寄棟屋根の西棟や半円塔があり、それらの塔を結ぶ部屋に展示されていた多くの
歴史遺産などを、現地ガイドさんの説明を聞きながら観覧した。
その後30分近いフリータイムとなり、15時45分に駐車場に集合することとなった。
多くの人は主塔に上がって展望を楽しんだようだが、私は省いて、芝生地にたくさん野外
彫刻の展示があるという民謡公園の方に回る。
野外彫刻の石像には作品名などの表示はないが、彫刻家インドゥリス・ランカのユニー
クな作品が広々とした芝生の中に展示されている。
奥まで行く時間は無さそうなので、中ほどまで進んでV字状に付けられた園路を入口の
方に向かって折り返す。
折り返し点にあった人面のようなのが1番大きな彫刻らしい。
この日はかなり気温が上がって暑くなったが、豊富な木々の緑陰が暑さを和らげてくれ
る。「新しい領主邸」↓と呼ぶ建物の前を通過して入口に戻る。
入口際にある「古い領主邸」↑は、19世紀初めに建築されたトゥライダ荘園の古い領
主の邸宅らしい。入口際には、観光案内所↓になっているレンガ造りの建物もある。
土産品店の並ぶ駐車場を15時45分に出発した。西進してリガ湾沿いに出て、北に延
びる国道A1号線を国境の町アイナジ(Ainazi)経由、次の国エストニアに向かう。
今日の宿泊地、エストニアの首都タリン(Tallina)まではこの先約300㎞ある。
沿道にはアカマツの林が続き、民家の見えないところにも屋根付きのバス停が次々に現
れる。
片側1車線の国道だが交通量も少なく順調に進んだ。
ところが国境近くになって道路工事か所が続き、交互通行で何度も止められる。
7か所くらいあったろうか。最後の工事か所を抜けると、すぐにラトビアとエストニア
国境のゲートが見え、17時30分に到着した。
ガソリンスタンドと売店のあるゲートは現在は使われておらず、通過車両はその左手か
ら国境をフリーに通行できる。
ここで18時15分までトイレ休憩となり、暑いのでアイスクリームを求め、売店の椅
子で休憩した。
エストニア側の駐車場に駐車していた車のナンバーを見ると、エストニアとフィンラン
ドの車で、国境であることを実感する。
国境を過ぎる一層青空が増え、さらに北へとタリンに向かう国道4号線は西日が差し込
んできて暑いので、左手のカーテンを閉める。
エストニアに入ってもアカマツなどの豊富な樹林や麦畑などが続く。
こちらは道路工事もなく順調に進み、20時半近くにはタリン市街が近づく。国道の温
度表示は18℃を示す。
今日の宿、タリン旧市街の南東側、ラヴァラ(Ravala)大通りにあるラディソン ブル
スカイ(Radisson Blu Sky)ホテルには20時46分に着いた。
遅い夕食はホテルのレストランで我々だけで、21時15分から22時20分過ぎにか
けて済ませ、部屋に入る。
今日も北上したのでさらに緯度が上がり、タリンはモスクワより北の北緯59度線を越
えていて、22時25分なのに外はまだ明るい。 (歩数 12,300)
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== ラトビアのリガとトゥライダ城観光後 エストニアのタリンへ(その2) ==
ラトビアの首都リガ歴史地区の観光とダウガヴァ川のクルーズ後、昼食を済ませて13
時19分にバスは出発した。
ユーゲントシュティール装飾の施された建物などを車窓が眺めながら、リガの街並みを
後にした。国道A2号線に入り、東北東約52㎞のスィグルダ(Sigulda)に向かう。
1時間余りでスィグルダの街並みに入り、駅前を通過して北側の谷間に下る。ガウヤ
(Gauja)川を渡ってさらに北側の台地に上がり、14時32分にトゥライダ(Turaidas)
城の駐車場に着いた。
「トゥライダ」とはリーヴ語で「神の庭」のこと。13世紀初めに騎士団がリーヴ人の
王カウポの城を破壊し、その後リガのアルベルト僧正により同じ場所に城がつくられたと
いう。
本丸が現在は博物館になっていて、スィグルダの歴史に関する資料が展示され、周辺を
含めた一帯「トゥライダ城博物館保護区」は、特別保護文化財に指定されているようだ。
入口から城までは500mくらいある。中ほどまで進んで、まずは木造のトゥライダ教
会に入る。
1750年1月から使われているようで、ほぼ当時のまま現在に至り、建築文化財に指
定されているという。
その先には、19世紀中期に建設されたという「庭師の家」↑がある。
ここも入館して、ラトビア人と共存したラトビアの先住民族、リーヴ人の豊富な文化遺
産を見る。
庭師の家を出るとトゥライダ城が近づいてきた。1214年に建築が始まったリガ大司
教区の要塞で、主塔ベルクフードは高さ38mある。
ほかに寄棟屋根の西棟や半円塔があり、それらの塔を結ぶ部屋に展示されていた多くの
歴史遺産などを、現地ガイドさんの説明を聞きながら観覧した。
その後30分近いフリータイムとなり、15時45分に駐車場に集合することとなった。
多くの人は主塔に上がって展望を楽しんだようだが、私は省いて、芝生地にたくさん野外
彫刻の展示があるという民謡公園の方に回る。
野外彫刻の石像には作品名などの表示はないが、彫刻家インドゥリス・ランカのユニー
クな作品が広々とした芝生の中に展示されている。
奥まで行く時間は無さそうなので、中ほどまで進んでV字状に付けられた園路を入口の
方に向かって折り返す。
折り返し点にあった人面のようなのが1番大きな彫刻らしい。
この日はかなり気温が上がって暑くなったが、豊富な木々の緑陰が暑さを和らげてくれ
る。「新しい領主邸」↓と呼ぶ建物の前を通過して入口に戻る。
入口際にある「古い領主邸」↑は、19世紀初めに建築されたトゥライダ荘園の古い領
主の邸宅らしい。入口際には、観光案内所↓になっているレンガ造りの建物もある。
土産品店の並ぶ駐車場を15時45分に出発した。西進してリガ湾沿いに出て、北に延
びる国道A1号線を国境の町アイナジ(Ainazi)経由、次の国エストニアに向かう。
今日の宿泊地、エストニアの首都タリン(Tallina)まではこの先約300㎞ある。
沿道にはアカマツの林が続き、民家の見えないところにも屋根付きのバス停が次々に現
れる。
片側1車線の国道だが交通量も少なく順調に進んだ。
ところが国境近くになって道路工事か所が続き、交互通行で何度も止められる。
7か所くらいあったろうか。最後の工事か所を抜けると、すぐにラトビアとエストニア
国境のゲートが見え、17時30分に到着した。
ガソリンスタンドと売店のあるゲートは現在は使われておらず、通過車両はその左手か
ら国境をフリーに通行できる。
ここで18時15分までトイレ休憩となり、暑いのでアイスクリームを求め、売店の椅
子で休憩した。
エストニア側の駐車場に駐車していた車のナンバーを見ると、エストニアとフィンラン
ドの車で、国境であることを実感する。
国境を過ぎる一層青空が増え、さらに北へとタリンに向かう国道4号線は西日が差し込
んできて暑いので、左手のカーテンを閉める。
エストニアに入ってもアカマツなどの豊富な樹林や麦畑などが続く。
こちらは道路工事もなく順調に進み、20時半近くにはタリン市街が近づく。国道の温
度表示は18℃を示す。
今日の宿、タリン旧市街の南東側、ラヴァラ(Ravala)大通りにあるラディソン ブル
スカイ(Radisson Blu Sky)ホテルには20時46分に着いた。
遅い夕食はホテルのレストランで我々だけで、21時15分から22時20分過ぎにか
けて済ませ、部屋に入る。
今日も北上したのでさらに緯度が上がり、タリンはモスクワより北の北緯59度線を越
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