あるきメデス

あちこちを歩いて、見たこと、聞いたこと、知ったこと、感じたことなどを…

関東山の辺の道⑨【仁井田~上戸祭町】(栃木)

2008-09-27 23:36:43 | 関東山の辺の道
 暑さ寒さも彼岸まで。9月も最後の週末となり、すっかり涼し
くなりました。

 月末締め切りの原稿作りなどに追われ、2週間以上経過して
しまいましたが、9月10日のウオーキングレポートです。

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 2008年9月10日(水)



 夏の「青春18きっぷ」の使用期限の日、残り1枚を使い、1
年5ヶ月ぶりに、私のオリジナルウオーク、関東平野の周辺を
巡る「関東山の辺の道」歩きに行く。

 自宅を6時34分に出て、大宮、宇都宮経由、JR烏山線の
仁井田駅に9時44分に着いた。


 無人の駅を出て、商店が散在する南側の通を西へ向かう。


 郵便局前から細道を南に入る。交通量の多い県道10号を越
え、南側を並行する田園地帯に出た。

 広々とした黄金田が広がり、向かい風がさわやか。

 畑の隅に、かぼちゃのようなものが捨ててある。畑にいた奥
さんに聞くと、長雨で干せず、出荷できなくなったカンピョウだ
という。栃木県は、日本一のカンピョウの生産地である。


 自然堤防の五行川を横断、流れに、今年生まれのカルガモ
のひなが数羽が泳いでいた。


 すぐ先の交差点に、県営圃場(ほじょう)高根沢地区の完成
記念碑ができていた。

 横5m、縦2.5mくらいもある特大の記念碑である。

 杉林に囲まれた西下集落の一角に、大きなかやぶき屋根の
民家が見える。


 次の原集落には、広々とした芝生に覆われた高根沢町の町
民広場があり、ナイター設備も設けられていた。


 隣に、新しくてりっぱな瓦屋根の長屋門や、大きな平屋の
民家、蔵造りの建物が見えた。


 高根沢町歴史民俗資料館で、蔵造りの展示館に入館する。


 町内に約250か所もあるという、旧石器から平安時代に至る
遺跡から発掘された土器、町の特産品、小学校の古い教材、
江戸時代からこの地にある宇津救命丸本舗の歴史などが展示
されていた。


 本屋と呼ぶ中心の大きな民家風の建物には いろりがあり、
天井はガッチリした丸木で組まれ、3室×2室がふすまで隔
てられた大きな平屋となっている。


 屋外には、復元された縄文時代の竪穴住居があり、長屋門
の片側は収蔵展示室になっていて、古い農具がたくさん並ん
でいた。

 石橋交差点で再び県道10号と交差し、県道101号に入る。
宝積寺(ほうしゃくじ)の家並みが増え、天神坂交差点の先か
ら、少し坂を上がる旧道へバイパスする。このあたりは、1月
19日の関東百駅「宝積寺」で歩いたところ。

 JR東北線の線路際に出て、堀割を走る線路上を渡る。宝積
寺下集落付近の林に、「勝善神」と刻まれた石碑がある。

 ほかでは見たことがないが、この先の集落にもあったから、
栃木県独特の古くからの信仰なのだろうか…。

 ネットで見ると、仏教系で言う馬頭観世音のことを神道系で
言う呼び方のようで、日光街道や奥州街道など、栃木県内に
多いように思われる。

 そういえば、この日歩いた約25㎞のコース中に、寺院は一
つも無かった。こんなに長くお寺のない道を歩いたのは、初め
てかもしれない。

 宝積寺交差点近くで国道四号に合し、鬼怒川の新鬼怒川橋
を渡る。この橋は東京方面行きで、線路側には仙台方向への
鬼怒川橋がかかっている。

 鬼怒川橋のたもとは、関東百駅の時、下流の岡本頭首工横
から右岸沿いに来たが道が無くなり、垂直に近いがけをよじ登
ったことを思い出す。

 下流に、その岡本頭首工〈下〉や、鮎を食べさせてくれるらし
い大屋根の店を見下ろしならが橋を渡り、宇都宮市に入った。


 好天で残暑が厳しいが日陰が無く、橋の先も黄金田の田園
地帯。木陰のある昼食地がないかと気にしながら進むと、下
坪集落の先で、根川という小さい流れの横に小公園があった。

 藤棚の陰にイスもあるので、これ幸いと昼食にする。(続く)


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