2011年8月31日
『ああ~夏休みが終わる~宿題終わらない』と、学童なら嘆く夜。
50過ぎのオヤジは、上村大工さんから貰った板をゲットして悩んで板。
その板は、50×32×4cmで、立派なホウの木の厚い板ではあるが、このとおり~裂けて、欠けて、ひび割れて~
指が沈む3cmくらいのV字谷
丸鋸でスパッと切ってまな板にするか~でも、まな板は間に合っている。
ならば、何を彫る
右上が雲とか、風景が無かったり~
何『風景が無かったり~』そうだ、葛飾北斎の富嶽三十六景の中のあの有名『神奈川沖浪裏』~あの右上には何もなかった。
そう思って、インターネットで検索。すぐにヒットした
なんとか納まりそうな構図。とりあえず画面見ながらデッサンを直に板に描いてみた
『ううん、ちょっと比率が違うし、浪の形も違うけど、まあ、いいか』
9月3日
第1刀目は~無難な、何でも無い左の上から~U字の彫刻刀でザックザク削る
ともかく奥の波は手前の波より向こうだから、深く彫り下げておかないと
彫刻刀ではちっとも捌けないので、U字のノミに代えてザックザク削る。この辺りは遠い空なので、大胆でOK
絵では二次元平面の風景の境は、三次元では段差のある立体。
Rの大きな波をノミの直線で溝を切り、板の繊維を切り別けて行く
富士山はRが小さいので、8mmのノミで溝を切る
予め溝を切っておくと、大胆に彫刻刀で捲っても溝で止まる
残すべき大事な表面を安心して残せる
富士山の向こうの空を彫り下げていたら、なんと焦茶色の板目が出てきた
『まいったなあ~もっと深く彫れば、無くなるのか』
その後も恐る恐る彫るが、山頂部分の茶色は無くなりそうにない
調べてみると、宝永大噴火(ほうえいだいふんか)が、江戸中期の1707年にあっているから、富士山から噴煙が上がっていてもウソでは無い。
ただし、北斎は1760年産まれで、没の1849年までの富士山では火山活動はあっていないので、北斎とも切り離した作品にしなければならない(笑)
9月10日
実は、この時点までは富士山の下に『押送船(おしおくりぶね)』を彫ろうと描いていた。
もう一度、北斎の『神奈川沖浪裏』を見ると、この不思議な舟。
『江戸時代にサーファー気取りで大波を遊ぶ大人が居たのか』と不思議になる舟。
後で調べて分かったが、この不思議な舟が、押送船(おしおくりぶね、おしょくりぶね)と呼ばれるもので、江戸時代に実在したカッターみたいな小型の船。目的は江戸周辺で漁獲された鮮魚類を鮮度を保つため一刻も早く江戸へ輸送するために使用された高速船。
しかし、彫らないことにした
理由は富士山の噴煙と、北斎との時代考証のため~
というより、本当は面倒だったのと、比べる物が無い波の方が大きく想像出来るためと思ったのが正直なところ
ともかく割り切って気が楽になったところで、彫り急ぐ
波の立ち上がりってどうなんだ
不謹慎かもしれないが、毎週のようにどこかの番組で見られていた東日本大震災の津波を、そんな視点で観察していた
勢いがある所は垂直的に、コブラの鎌首みたいなエネルギッシュな立ち上がりが、見られる。
砕け散る波頭は、北斎は人の指的に表している~でも、これを彫るのは至難の業~彼が使った版木が何か分からないが、おそらくサクラとかツゲ
版木を彫ったのは事実だが、真似をする技量はこちらには無い。
こんな感じでしょうか。
10月2日
重力に負けて、崩れ落ちる波頭は、シュワシュワーッと小さな泡の塊で垂直に砕け落ちる~
波の立ちあがりのウェーブはホントはもっと滑らかで広い幅、でも、そう彫るとノペーッとした面になってしまうので、狭い縦じま的に立体感と躍動感を表わしたつもり
U字の彫刻刀では幅が狭いUなので、両側からV字に溝を彫り、U字の彫刻刀で溝の底を丸める。
最初、崩れ落ちる波頭をシュワシュワーッの小さな泡の表現でしていたが、なんか物足りなく、棕櫚(シュロ)の葉を彫った感じになったので、思い切ってV字で彫って強い荒具合にした
だいたい完成かなって良く見て居たら、なんだか富士山が大き過ぎる事に気付いた
大き過ぎた理由は、例の褐色の煙のせいだ
富士山頂からあまり離れて居てもオカシイ~ってな事を考えて、付かず離れずの山頂を決めてしまっていた
高さが高いなら自ずと裾野も広く大きくなる
思い切って、冠雪境が山頂になるまで彫り下げた~
成層火山のコニーデのカーブが綺麗だ。
見た目、完成は近いが、もうちょっと手がかかる~前篇はこれまで
後篇は近日中に公開します
お楽しみに
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