ひめちゃんは獅子丸家に寄って、獅子丸とお散歩に出ます。
獅子くんを待ちます
朝なのに、けっこう影が長いです
いつも元気で好奇心旺盛な獅子丸です。
堀之内を西に出ます。
堀之内の南端から見た浅間山です。
「時知らぬ山は富士の嶺、いつとてか、鹿の子まだらに雪の降るらむ」という、昔習った文章が浮かびます。
たしか5月の末(現在では6月末)に富士山に雪が残っていたのを、都人がびっくりしたんでしたね。
まあ、こちらは5月の初めだけれど、まだ雪が残っているんですね
途中で、見たことある3名に逢いました
みんなで一緒に帰りました。
獅子丸家開基の常廣寺には、竜骨の由来を書いた「竜骨伝記」がありました。
けれども、大正12年1月1日の火災で、半分焼けてしまいました
ところが、焼ける前に、これを写して記録した人がいたのです
上野國新田郡世良田の毛呂権蔵(もろごんぞう)と下野小俣の鶏足寺の和尚の二人です。
毛呂権蔵は『上野国志』の中に記録しています。
そして活字本になって、国立国会図書館デジタルライブラリーで閲覧できます
鶏足寺の和尚の記録は、群馬県立文書館の鶏足寺文書の中にありました
二人の記録から、「竜骨伝記」がよみがえります
復元作業は、ひめちゃんちのおとうさんが担当しました
復元竜骨伝記
一心修行の為四國豫州土佐山のさかひ
笹が峰といふ深山あり人家離れ三歳
住居す木のみ草のみを食ひ露命をつなぐ
折ふし古木の枯枝をひろひ寒風を凌折
しも株と思ひ巌穴よりほり出して見
折しも株と思ひ巌穴よりほり出して見
れども生きたる處を見るねば可名付やうも
なし里におろし萬民に見すれども何と
も名を付るものなし然折節日向國より
來る蛇骨を取りて世を渡る者是は
蝮蛇のされ頭なり深山には島蛇白蛇と云
へる大蛇あり中にも是は青蛇と云蛇の
こつなり島蛇は毒虫なり白蛇は疵薬と
億ゆとりわけ此青蛇はにほひを聞ても
男女腎氣を養ひ氣じゃくつかへをし
りぞく薬蛇なり又曰く痘疹の流行
る時には男女ともににほひを嗅しても
のがれ又軽しといひて去りぬ
今愚僧が眼に見あふこと因縁あるべき者か
釈尊は八歳の龍女を掬うひ役行者弘法大師
大蛇を助け源空はさくらが池の大蛇を助け
日蓮聖人は七面の大蛇を七面大明神と
ちんじゅし玉ふ愚僧も其の祖におよ
ぶにあらず今此頭を見出し以因縁諸人
にこれを見せ其他力によって一山の
古地をたづねをさめ来世の名聞を残す者也
寶永七年寅正月三日 木食屡睡
此とをり外傅る因縁なし貴殿
以働此頭納可申所の加力頼者也
田中藤左衛門殿 屡睡
少し分かり易く句読点・よみがなをつけてみます
一心修行の為(ため)、四國豫州(よしゅう)土佐山のさかひ笹が峰といふ深山あり、人家離れ三歳住居す。
木のみ草のみを食ひ、露命(ろめい)をつなぐ。
折ふし、古木の枯枝をひろひ寒風を凌(しのぐ)。
折しも株と思ひ、巌穴(いわあな)よりほり出して見れども、生きたる處を見るねば、可名付やう(なずけよう)もなし。
里におろし萬民に見すれども何とも名を付るものなし。
然折節(しかるおりふし)日向國(ひゅうがのくに)より來る蛇骨を取りて世を渡る者、「是は蝮蛇(まむしへび)のされ頭(こうべ)なり。深山には島蛇白蛇と云へる大蛇あり。中にも是は青蛇と云(いう)蛇のこつなり。島蛇は毒虫なり。白蛇は疵薬(きずぐすり)と億ゆ。とりわけ此青蛇はにほひを聞ても、男女腎氣(じんき)を養ひ、氣じゃくつかへをしりぞく薬蛇なり。又曰く(いわく)、痘疹(とうしん)の流行(はや)る時には男女ともににほひを嗅してものがれ、又軽し。」と、いひて去りぬ。
今愚僧が眼に見あふこと、因縁あるべき者か。
釈尊は八歳の龍女を掬(すく)ひ、役行者(えんのぎょうじゃ)弘法大師大蛇を助け、源空はさくらが池の大蛇を助け、日蓮聖人は七面の大蛇を七面大明神とちんじゅし玉ふ。
愚僧も其の祖におよぶにあらず。
今此頭を見出し、以因縁(いんねんをもって)諸人にこれを見せ、其他力によって一山の古地をたづねをさめ、来世の名聞を残す者也。
寶永(ほうえい)七年寅正月三日 木食屡睡(もくじきろうすい)
此とをり外(ほか)傅る因縁なし。
貴殿以働此頭(きでんのはたらきをもってこのこうべ)、納可申所の加力頼者也
田中藤左衛門殿 屡睡
「納可申所の加力頼者也」は難解です
どう解釈するかですけど、竜骨の御利益を必要としている人に納めるべきだと解釈すると、「申す所の加力を頼む者に納むべきなり」
田中藤左衛門は必要とする常廣寺に治めたのですから、この読みがよさそうです
次回現代語訳を試みて、竜骨伝記の真実に迫ります
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