黒柴ひめちゃんの葛塚村だよりⅢ

葛塚城堀之内に住んでます。毎日歩いているひめちゃんとおかあさんの見て歩きです。時には遠くにも出かけます。

産泰神社・冬詣(後編)

2021-02-09 15:06:55 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を西に出て左折、天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。

獅子くんは、早春の草を見付けてパクつきます。

遠くに白い浅間山が見えます。

浅間山は吹雪いているかな?

 

ひめちゃんは、ちょっと心配顔です。

大丈夫だよ

もう子供達の通学時間は過ぎているから。

ひめちゃんはいくつになっても、何故か、子どもにたいする恐怖心を持ち続けてます。

いくつになってもって、そうそう、ひめちゃんと獅子丸は、今月が誕生月でした

お誕生日が来ると、9歳になります

 

帰り道、獅子くんはアブラナを見付けて、またパクつきます。

 

庚申塚古墳を通って帰ります。

ここの石造物の石は、どのようにして調達したのだろう?

わざわざよそから運ぶことは考えにくいです。

円墳のようですけど、現在は形がゆがんでいます。

石室の入り口らしき所は、南の中腹にあります。

もとはもっと大きな円墳で、周囲の利用しやすいところから順次石仏等に利用されたかな?

付近には他にも古墳があったようだし。

葛塚は、石が豊かな古墳だらけの村だったのかも知れません。

 

 

 

(産泰神社)拝殿の西側には、神楽殿があります。

しっかり現役のようです。

 

神楽殿と拝殿との間に、かわいい空間があります

戌はお産が軽く、一度にたくさんの子どもを産むことから、「安産の守り神」として親しまれそれにあやかったものです。

 

何度も犬の出産に立ち会った経験から、余計なことを言えば、犬もお産はそれなりに大変です。

人間と違って、複数の子どもがわずかの時間差で生まれます。

へその緒を切り、羊膜を破り、顔を舐めて息ができるようにしてやらなければなりません。

さらに、先に生まれた子どもが、おっぱいに吸い付きます。

ママ犬は、出産とその後の処置に疲れ、ついウトウトとしてしまう事があります。

処置を怠ると、子犬はこの世で生きることができないのです。

ひめちゃんたちは、七海ママが頑張ってくれたからこそ、今を生きているのです

 

 

さて、奥に見える社殿と巨石群に参拝しましょう

階段を上がって、金比羅大権現です。

残りの人生の海を乗り切れますように、心を込めて参拝です

 

これまた、彫刻が見事です。

江戸時代の上州彫刻師集団の活躍かな?

 

社殿右の巨石群です

パワーありそうです

説明板もあります。

この岩山は約13万年前、赤城山で発生した「石山土石なだれ」によって出現したといわれており、古代より神々が鎮まる磐座として信仰されております。

 

古代から磐座(いわくら)のパワースポットだったのです

 

さきほど参拝した磐座の七ツ石雷電神社とも、さほど離れていません。

七ツ石雷電神社も、同じ流れなのかもしれません。

 

少し南に石山観音があります。

石山土石なだれは、国道50号線の南にある石山観音にまで下っていったんですね

石山観音しばらく行ってません。

またそのうちに行ってみましょう

 

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産泰神社・冬詣(前編)

2021-02-08 15:53:51 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんは小次郎パパと、堀之内を北に出てお散歩です。

ひめちゃんの耳が立ってます

さあさ、気にしないで行きましょう

ひめちゃんとパパは、岩神沼に着きました。

誰かいるかな?

いました

いつものカモさんかな?

本当はこんなに首が長いの

ひめちゃんたちに、気づいたのかな?

羽を広げて飛び立ちました

水かきが付いている水鳥の足です

着水すると、もう1羽出てきました。

もしかしたらカップルでこの沼に住んでいるかな?

ひめちゃんとパパは、岩神沼の前で、はいポーズです

赤城山は、大沼小沼のある辺りに雪が降っているようです。

 

 

 

磐座(いわくら)の七ツ石雷電神社のあと、そうだ産泰神社(さんたいじんじゃ)もこの近くだった。

久しぶりに、行ってみよう

ナビを入れてまもなく到着です。

 

参道入り口に、高遠石工(たかとういしく)の御神燈があります。

江戸時代、信州高遠からたくさんの石工が来ていたのです。

 

あれ、この建物この前はあったっけ?

ここには何種類もの御朱印がありました。

冬詣(ふゆもうで)の御朱印をお願いします。

 

さて参拝です

あれ、こんなにりっぱな神社だったっけ

前回の参拝は、確か3年前です。

こんなに立派な社殿は、記憶にありません。

御神燈もたくさんあります。

そうだ、邪鬼が支えている御神燈があったんだ

 

向かって右の邪鬼さんです。

向かって左の邪鬼さんです。

お疲れ様です

他ではみない邪鬼さんの活躍です

 

邪鬼さんに見送られながら、神門をくぐります。

神門にお住まいの方々です。

 

なんとも重々しい拝殿です

 

「安産抜けびしゃく」ですって

底がなく水がすっと抜けるように安産になるのですね

 

拝殿で参拝です。

ふと上を見てびっくり

まさに木の芸術品です

いまにも龍が動き出してきそうです

 

拝殿脇に説明板があります。

拝殿は、文化9年(1812)鯉登豊前守藤原恭富の建立とあります。

本殿は、宝暦13年(1763)小糸豊前守藤原忠安の建立とあります。

近郷近在ではみられない、すごい彫刻です

 

本殿の後ろに、磐座(いわくら)が見えます

 

(つづく)

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ひめちゃんと獅子丸の梅春(うめはる)葛塚散歩

2021-02-07 20:26:13 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、堀之内を北に出ました。

高縄の集会所近くで、ひめちゃんが立ち止まります。

獅子くんも気にします。

むこうから、おばさんと黒い長毛種の子が、やって来ます。

こちらまで来ないで帰って行きました。

 

ひめちゃんたちは、この道を進んで蕨沢川を渡ります。

 

橋のたもとには、石造物があります。

文字が刻んでありますけど、よく見えません。

時には光の加減で、仏様の姿が出現する不思議な石造物です。

獅子くん、情報収集です。

ズーッと工事で通行止めだったので、久しぶりのご対面です。

 

橋を渡って、諏訪神社の方に下ります。

神社の裏から入ります。

 

拝殿脇に転がっているのは、東北大震災で倒壊した一の鳥居のパーツなどです。

 

拝殿前で、3名で、2礼2拍1礼のつもりでハイぺこん

 

鳥居の方に階段を降ります。

ひめちゃんも獅子くんも、躊躇なくまっすぐ階段を降ります

よくできました

 

おや、寒桜が咲いてる

寒いけど、春が近づいているんだね

 

堀之内に戻ると、梅の老木に花が咲いています

この木の南には、今は使われていない道の名残があります。

この道の北が堀之内、南は塚越のようです。

不思議な物があります

「新里村山上掲示板」です。

元からここにあったのか、よそから持ってきたのか?

元からここにあったとすれば、ここは多くの人々が行き交う交差点だったことになります

掲示板で知らせた時代があったんですね

 

 

梅で思い出しました

今頃の季節は、フアッション業界では梅春物(うめはるもの)の季節なのでしたね。

昔は行きつけの店で、梅春の言葉をよく聞きました。

まあ、早春より早い、超早春といったところでしょうか

 

ついでに、葛塚城堀之内のひめちゃんちの梅春コレクションです

 

品種まちがいで来ましたけど、咲き始めは何となく神秘的

もうすぐ咲きそうな、絞りの花です

地植えのクリスマスローズの花芽も、大きくなってきました

紅梅です。

残念ながら実はなりません。

こちらは実のなる梅です。

やっと咲き始めました

去年はいっぱい実を付けてくれました

今年も梅仕事忙しくしてね

 

 

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磐座の七ツ石雷電神社

2021-02-06 19:53:52 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸は、久しぶりに東の牧場に足を延ばしました。

ヤギさんいるかな?

あれ、2名様だけだ

この間は、パパとママと息子2名いたのに

「えさをあげないで!」だって

変なものもらって、お腹壊した子がいたのかな?

 

東の高台にあるタケイ沼を廻って帰ります。

逆さ赤城が映ってます。

カモさんもたくさんいます。

沼脇の道を歩きます。

竹のすぐ向こうが沼です

北側の沼にもたくさんのカモさんです。

おだやかな朝で、気持ちいいね

サマンサ坂を通って帰ります。

 

 

 

三ヶ尻の赤城塔(宝塔)から、県道の信号に戻ります。

信号を西に行き、いつもとは違う道で帰ります。

おや、神社があります

駐車場はないので、路上駐車です。

鬱蒼としていますけど、参道は確保されているようです

社額は七ツ石雷電神社です。

 

おや、建物がありそうです

赤い屋根の建物があります。

あれが神社の社殿かな?

最初からこうなのか、それとも長い年月の果てにこうなったのか?

社殿の向こうに、いくつもの大きな石が見えます

七ツ石雷電神社ですものね

 

右手には赤城山です。

赤城山がよく見える高台です

 

社殿の後ろに回ります。

大きな石の上に、石宮があります

これらの石は、太古の昔、赤城山の噴火で飛んできた石かな?

 

それにしても赤城山がよく見える

 

あれ、青いトタンだ

社殿の維持に苦戦中ですね。

社殿の前から2礼2拍1礼で参拝です

磐座(いわくら)ですね

この大きないくつかの石が、祈りの対象になったのです

赤城山をみながら、雨乞いをしたり、五穀豊穣を祈ったのでしょう

 

さようなら、いつまでもここにいてくださいね

 

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江戸の地名名付けの寺・復刻版

2021-02-05 15:13:44 | 群馬県・旧勢多郡

ひめちゃんと獅子丸の朝散歩が復活しました

天神田(字天神の田んぼ)を歩きます。

後ろ姿で失礼します。

2人で元気に歩きます

獅子丸のウ●チをビニール袋に取っているとき、白い大きな鳥がやって来ました。

カメラが間に合いませんでした。

ここらへんもシラサギさんのテリトリーなのでしょう。

 

 

無量寺(むりょうじ)に寄って帰りましょう

古い墓石がたくさんあります。

 

墓地の東、この一角だけ、お寺の雰囲気を遺しています。

たぶんこの前が本堂だったのでしょう。

以前はゲートボール場で、付近のお年寄りで賑わっていました。

今は訪れる人もありません。

堂宇もなく廃寺のようですけど、新川の善昌寺が兼務という形でお寺としては存続しているということです。

かつての檀家は、三々五々あちこちのお寺に散らばったようです。

 

 

『上野国郡村誌』によると、

無量寺 東西拾七間南北廿二間反別一反弐畝九歩村ノ中央ニアリ天台宗山城国比叡山延暦寺末派開基創建ノ年月不詳明治五壬申年一月火災ニテ堂舎焼滅ス

 

『上野国寺院明細帳』によると、

本山、山城国延暦寺末です。

本尊は正観音、本堂は間口三間奥行一間半、境内は三百六拾九坪、檀徒は三拾八人とあり、境外に田畑や林を持ってます。

昭和10年、6、28の付箋がありますね。

 

こんな田舎の寺なのに、比叡山延暦寺の末だったのですね

平安初期の天台宗の東国伝導教団と何か関係あるかな?

 

 

この寺には、「江戸の地名名付けの寺」という伝承があります

もう一度確認です

昔々、無量寺の和尚さんは、足利学校で太田道灌を教えました。道灌は江戸城を造った時、恩師の和尚さんを完成祝いに呼びました。そしてまだ地名がない江戸の街に地名を付けてくれるように頼みました。和尚さんは、板橋、大久保、高縄など、こちらの地名を付けました。

 

ことの真偽はわかりませんけど、かつては無量寺には、室町時代の日本の大学・足利学校で教鞭をとれるような学識豊かな僧侶がいたということでしょう

 

堂宇跡の東には民家が建ってます。

でも、寺院の名残があります

みなさま何思う?

 

道の向こうで、白いワンコ「ボクのテリトリーだぞ」と叫んでます。

おはよう、バイバイ

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