先日の記事の続きです。
コメント欄にも書きましたが、あの記事は間違ってアップしたものでした。
間違って、というか、まだ書きかけで、続きは翌日書こうと思っていたものをアップしてしまったのです。
コメントをつけてくださった方には大変申し訳ないのですが、あの記事は前振りみたいなもので、自分にとってどーでもいいことでした。
つまり、自分の元を去っていった人は自分にとってどーでもいい人であり、どーでもいい人がどこで何をしていようがどーでもいいことであり、そんな人のことで頭を悩ませるのは馬鹿馬鹿しいってことです。
今から自分にとってどーでもよくないことを書きます(それもまた気が重いことなのですが)。
自分はミクシィで《創作連鶴》というコミュの管理人をしています。
自分が立ち上げたコミュであり、自分にとってとても大切なものです。
にも関わらず、この二週間、まったくコメントをつけておらず、それどころかろくにトピックに目を通してさえいません。
なぜこのような状況になったかというと事の発端は自分が新作のレッスントピック(作り方指南)を立てたことでした。
自分としては、四、五人のレッスン参加者がいてくれるものと思っていたのですが、コメントをつけてくれたのもたった二人、実際作品を作ってくれたのはわずかに一人だけでした。
自分が考案した作品が世間一般で受け入れられないのは仕方ないって思ってます。
でも同じ同好の士から受け入れられないのはどうにもこうにも耐えがたかったのです。
コメントをつける、つけないが自由というのであれば、じゃあ自分もその権利を行使させてもらおう、そう思って今に至ります。
しかし言うまでもなく、この考えは間違ってます。
まず、コメントをつける、つけないが自由というのが間違ってます。そこに自由はないのです(少なくとも管理人である自分は)。
もう随分と前のことですが、自分はミステリー小説好きが集まるサークルに参加していました。
そこで有志数名と同人誌を作り(印刷費等は自腹で)、サークル内で無料で配布したんですよね。
が、読まないんだ。本当に読んでくれる人が少ないの。
これが、ミステリー小説好きでも読書好きでも何でもない人に無理に押し付けた、というならわからないではないですよ。
でも、サークルの参加者は当然それなりに読書好きなんですよ。
同じサークルの人間が作った同人誌を、それもせいぜい隅から隅まで読んでも一時間程度で終わるものを、何ゆえ読まない?
自分には理解し難いことでした。
それで、そのサークルの幹事的立場だった人に、「自分たちが作った本を読んでもらえませんか?」って直接お願いしてみたんですよ。
そしたらその人は快く「来月までに読んどく」と承諾してくれました。
自分は案ずるよりも産むが安しだな、と思いました。やっぱりその手のお願い事をするのって緊張するものですからね。
当然翌月の会合で、自分はその人に「読んでもらえました?」って聞きました。
そしたらその人は悪びれる風もなく「あー、今月は忙しくて読めんかった。来月までに読んどく」っていうんですよ(実際にはその人はその月に大量のミステリー小説を読んでた)。
まぁ忙しかったんなら仕方ないなと思って、さらに翌月の会合で「読んでもらえました?」って飽きずに聞きました。
するとその人はこちらに向き直ってこう言ったんです。
「読む、読まんは本人の自由やろ?」って。
クソ野郎が!!って思いましたね。
このクソ野郎の言い分は次の二点で間違っています。
この世には一生掛かっても読めないほどの書物に溢れかえっています。
その大量の書物の中からどれを読むかは確かに当人の自由ではある。
しかし、同じサークルの人間が作った同人誌はそれら大量の書物と同等の価値しかないのか?
言い換えれば、同じサークルの人間は赤の他人と同じなのか?ってことですよ。
自分には、映画のフリーペーパーをわざわざ郵送してくれる友人がいます。
フリーペーパーだけあって、そこに書かれてあるのはいわゆる駄文の類いです。馬鹿馬鹿しくてくだらなくてしょーもないことです(断っておくと自分はその馬鹿馬鹿しさとくだらなさとしょーもなさが好きです)。
しかし自分はそのフリーペーパーを隅から隅まで読んでます。たぶん、日本で一番愛読している。
何故なら、自分にとってそのフリーペーパーは赤の他人が編集した他の雑誌と同価値ではないから。
自分に読んで欲しいとわざわざ郵送してくれる友人の思いが嬉しいから。
自分にはそのフリーペーパーを読まないという選択肢はありえません。
もう一つ、クソ野郎が間違っている点。
仮に、同人誌を編集したのが同じサークルの人間であってもいけ好かない連中ばかりで赤の他人以下であったとしても、男が一度「読む」と言ったからには四の五の言わずに読め。
自分には約束に関する三か条というものがあります。
1.出来ない約束はするな。
2.一度交わした約束は出来るだけ守るように努力しろ。
3.約束を破った場合は誠心誠意謝れ。
この三か条ですけどね。
特別そんな難しいことや非常識なことは言ってないつもりなんですが、これが守れない奴が多すぎる。
約束を破ってへらへらしている奴が世の中、本当に多い。
以前ある人から、約束なんてものは仕事でもない限り、守られることは期待しない方がいいですよ、みたいなことを言われたことがあります。
自分に言わせれば、逆ですよ。
逆って言うことはないかな、でも、仕事上の約束は反故にした場合、もろにしっぺ返しを喰らうじゃないですか。
何かしら損害を被ってもそれは自業自得ってもんです。
そういうシステムが確立しているから、ある程度安心して(?)約束を破ることが出来るってものです。
そうじゃない会社はさっさと潰れてしまってください。
しかし、プライヴェートでの約束は必ずしも目に見える形でしっぺ返しが来ないものだから、平然と約束を破る輩がいます。
そして困ったことに世の中って言うのは、しばしば約束を破った人の方が得をするように出来ています。
例えば、空き缶をポイ捨てする人としない人では、ポイ捨てをする方が明らかに生きるのが楽です。
自分はポイ捨てする人間は「死ね」と思いますけどね。
話が激しくズレてしまいました(でも機会があれば言いたいことでもあったので)。
ともかく、自分には、自分が管理するコミュにおいて、誰かがコメントしてくれた場合、レスを返さない、という選択肢はないと思っています。そんな自由はない。
にも関わらず、もう二週間ぐらいレスを返してないのです。
自分のやってることが、正確にはやってないことが間違いだとはわかってるんですけどね。
特に、実作してくれた人に(一人だけど)申し訳ない気持ちで一杯です。
わかってはいるんだけど、どうしようもないんだよね、、、病んでるから。
自分は《創作連鶴》の参加者が五十人を越えるようになりふり構わずやってきました。
何故参加者が五十人を越えることにそれほどこだわったか、その真意に気づいた人はいないと思います。
自分が五十人越えにこだわった理由、それは副管理人を置くためです(ミクシィにおいては五十人以上のコミュのみ副管理人を置くことが認められています)。
副管理人がいれば、管理人である自分が、何らかの事情で管理人を続けられなくなっても、コミュの運営に支障を来たすことはないでしょう。
いや、今日、明日何かが起きるっていってるわけではないんです。
ただ、自分のように正確に難のある人間は上に立つべきではないのかな、とはよく思います。
あと、ときどきローカルのテレビ番組で、個人や団体の展示会のお知らせがあったりするんですが、その作品が目を瞠るものもあれば、しょーもないものもあったりするんですよね。
そういったしょーもない作品の展示会のお知らせを目にするたびに、自分の連鶴は何故世に認められないんだろうと妬ましく思うこともあったりして、、、ま、一言で言うとどんだけ精神が病んでるんだって話です。笑。
コメント欄にも書きましたが、あの記事は間違ってアップしたものでした。
間違って、というか、まだ書きかけで、続きは翌日書こうと思っていたものをアップしてしまったのです。
コメントをつけてくださった方には大変申し訳ないのですが、あの記事は前振りみたいなもので、自分にとってどーでもいいことでした。
つまり、自分の元を去っていった人は自分にとってどーでもいい人であり、どーでもいい人がどこで何をしていようがどーでもいいことであり、そんな人のことで頭を悩ませるのは馬鹿馬鹿しいってことです。
今から自分にとってどーでもよくないことを書きます(それもまた気が重いことなのですが)。
自分はミクシィで《創作連鶴》というコミュの管理人をしています。
自分が立ち上げたコミュであり、自分にとってとても大切なものです。
にも関わらず、この二週間、まったくコメントをつけておらず、それどころかろくにトピックに目を通してさえいません。
なぜこのような状況になったかというと事の発端は自分が新作のレッスントピック(作り方指南)を立てたことでした。
自分としては、四、五人のレッスン参加者がいてくれるものと思っていたのですが、コメントをつけてくれたのもたった二人、実際作品を作ってくれたのはわずかに一人だけでした。
自分が考案した作品が世間一般で受け入れられないのは仕方ないって思ってます。
でも同じ同好の士から受け入れられないのはどうにもこうにも耐えがたかったのです。
コメントをつける、つけないが自由というのであれば、じゃあ自分もその権利を行使させてもらおう、そう思って今に至ります。
しかし言うまでもなく、この考えは間違ってます。
まず、コメントをつける、つけないが自由というのが間違ってます。そこに自由はないのです(少なくとも管理人である自分は)。
もう随分と前のことですが、自分はミステリー小説好きが集まるサークルに参加していました。
そこで有志数名と同人誌を作り(印刷費等は自腹で)、サークル内で無料で配布したんですよね。
が、読まないんだ。本当に読んでくれる人が少ないの。
これが、ミステリー小説好きでも読書好きでも何でもない人に無理に押し付けた、というならわからないではないですよ。
でも、サークルの参加者は当然それなりに読書好きなんですよ。
同じサークルの人間が作った同人誌を、それもせいぜい隅から隅まで読んでも一時間程度で終わるものを、何ゆえ読まない?
自分には理解し難いことでした。
それで、そのサークルの幹事的立場だった人に、「自分たちが作った本を読んでもらえませんか?」って直接お願いしてみたんですよ。
そしたらその人は快く「来月までに読んどく」と承諾してくれました。
自分は案ずるよりも産むが安しだな、と思いました。やっぱりその手のお願い事をするのって緊張するものですからね。
当然翌月の会合で、自分はその人に「読んでもらえました?」って聞きました。
そしたらその人は悪びれる風もなく「あー、今月は忙しくて読めんかった。来月までに読んどく」っていうんですよ(実際にはその人はその月に大量のミステリー小説を読んでた)。
まぁ忙しかったんなら仕方ないなと思って、さらに翌月の会合で「読んでもらえました?」って飽きずに聞きました。
するとその人はこちらに向き直ってこう言ったんです。
「読む、読まんは本人の自由やろ?」って。
クソ野郎が!!って思いましたね。
このクソ野郎の言い分は次の二点で間違っています。
この世には一生掛かっても読めないほどの書物に溢れかえっています。
その大量の書物の中からどれを読むかは確かに当人の自由ではある。
しかし、同じサークルの人間が作った同人誌はそれら大量の書物と同等の価値しかないのか?
言い換えれば、同じサークルの人間は赤の他人と同じなのか?ってことですよ。
自分には、映画のフリーペーパーをわざわざ郵送してくれる友人がいます。
フリーペーパーだけあって、そこに書かれてあるのはいわゆる駄文の類いです。馬鹿馬鹿しくてくだらなくてしょーもないことです(断っておくと自分はその馬鹿馬鹿しさとくだらなさとしょーもなさが好きです)。
しかし自分はそのフリーペーパーを隅から隅まで読んでます。たぶん、日本で一番愛読している。
何故なら、自分にとってそのフリーペーパーは赤の他人が編集した他の雑誌と同価値ではないから。
自分に読んで欲しいとわざわざ郵送してくれる友人の思いが嬉しいから。
自分にはそのフリーペーパーを読まないという選択肢はありえません。
もう一つ、クソ野郎が間違っている点。
仮に、同人誌を編集したのが同じサークルの人間であってもいけ好かない連中ばかりで赤の他人以下であったとしても、男が一度「読む」と言ったからには四の五の言わずに読め。
自分には約束に関する三か条というものがあります。
1.出来ない約束はするな。
2.一度交わした約束は出来るだけ守るように努力しろ。
3.約束を破った場合は誠心誠意謝れ。
この三か条ですけどね。
特別そんな難しいことや非常識なことは言ってないつもりなんですが、これが守れない奴が多すぎる。
約束を破ってへらへらしている奴が世の中、本当に多い。
以前ある人から、約束なんてものは仕事でもない限り、守られることは期待しない方がいいですよ、みたいなことを言われたことがあります。
自分に言わせれば、逆ですよ。
逆って言うことはないかな、でも、仕事上の約束は反故にした場合、もろにしっぺ返しを喰らうじゃないですか。
何かしら損害を被ってもそれは自業自得ってもんです。
そういうシステムが確立しているから、ある程度安心して(?)約束を破ることが出来るってものです。
そうじゃない会社はさっさと潰れてしまってください。
しかし、プライヴェートでの約束は必ずしも目に見える形でしっぺ返しが来ないものだから、平然と約束を破る輩がいます。
そして困ったことに世の中って言うのは、しばしば約束を破った人の方が得をするように出来ています。
例えば、空き缶をポイ捨てする人としない人では、ポイ捨てをする方が明らかに生きるのが楽です。
自分はポイ捨てする人間は「死ね」と思いますけどね。
話が激しくズレてしまいました(でも機会があれば言いたいことでもあったので)。
ともかく、自分には、自分が管理するコミュにおいて、誰かがコメントしてくれた場合、レスを返さない、という選択肢はないと思っています。そんな自由はない。
にも関わらず、もう二週間ぐらいレスを返してないのです。
自分のやってることが、正確にはやってないことが間違いだとはわかってるんですけどね。
特に、実作してくれた人に(一人だけど)申し訳ない気持ちで一杯です。
わかってはいるんだけど、どうしようもないんだよね、、、病んでるから。
自分は《創作連鶴》の参加者が五十人を越えるようになりふり構わずやってきました。
何故参加者が五十人を越えることにそれほどこだわったか、その真意に気づいた人はいないと思います。
自分が五十人越えにこだわった理由、それは副管理人を置くためです(ミクシィにおいては五十人以上のコミュのみ副管理人を置くことが認められています)。
副管理人がいれば、管理人である自分が、何らかの事情で管理人を続けられなくなっても、コミュの運営に支障を来たすことはないでしょう。
いや、今日、明日何かが起きるっていってるわけではないんです。
ただ、自分のように正確に難のある人間は上に立つべきではないのかな、とはよく思います。
あと、ときどきローカルのテレビ番組で、個人や団体の展示会のお知らせがあったりするんですが、その作品が目を瞠るものもあれば、しょーもないものもあったりするんですよね。
そういったしょーもない作品の展示会のお知らせを目にするたびに、自分の連鶴は何故世に認められないんだろうと妬ましく思うこともあったりして、、、ま、一言で言うとどんだけ精神が病んでるんだって話です。笑。