この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

久しぶりに女優を追っかけてみようかと思った映画『アナザー・プラネット』。

2013-10-22 21:03:35 | 旧作映画
 自分は女優を追っかけて映画は見ない主義です。
 昔、『ギルバート・グレイブ』という映画に出ていたジュリエット・ルイスを見て、うわぁ、この子可愛いなぁと思って、続けて彼女目当てに見た『ストレンジ・デイズ』でガッカリした覚えがあります。
 そういうことって多いんですよ。
 ある映画ではすごく魅力的だった女優が別の映画ではまったく輝いていないってことが。
 だから自分は女優を追っかけて映画は見ないようにしているのです。

 でも久しぶりにその主義を曲げてみようかと思うぐらい美しい女優に出会いました。
 その女優とは映画『アナザー・プラネット』でヒロインを演じたブリット・マーリング。
 
 ぶっちゃけ作品自体はよくわかりませんでした。
 本作はもう一つの地球が空に浮かぶ地球を舞台にした贖罪と再生の物語で、ジャンル的にはSFに分類されるのでしょうけれど、純粋にSFとして評価すると点数はかなり厳しいものになると思います。
 ある日突然もう一つの地球が現れるという設定自体ありえないだろうと思うし、そのもう一つの地球に、自分と姿かたちがまったく同じ人間が存在しているというのもそんな偶然があるわけ?と言いたくなります。

 なので本作はSFに見せかけた、別のジャンルの贖罪と再生の物語と見るべきであろうと自分は考えます。
 だとしてもやっぱり高い評価は出来ないかな。
 最後にヒロインの取った選択が、彼女の犯した罪を贖うとはどうしても思えないんですよねぇ。

 まぁでもそれはそれとして、ヒロインを演じたブリット・マーリングは美しかったです。彼女の美貌を拝むためだけに本作は見る価値があると言えるぐらいに。
 よく「美しすぎる○○」といった特集をネットのまとめ記事などで見かけますが、あれって実際には「○○という職業に就いてる割には美人」といった方が正しいですよね。「美しすぎる」っていう表現は明らかに誇大であることが多いように思えます。
 でもブリット・マーリングに「美しすぎる」という表現を用いても間違いではないように思われます。

 ただ、映画界では昔からあまりに美しすぎるとその美貌のせいで逆に役柄が狭まるということがあったじゃないですか。
 例えば、シャーリーズ・セロンなんて十年ちょっと前まではろくな役を与えられなくて、やたら意味もなく脱いでた記憶があります。今ではちょっと考えられないですよね。

 ブリット・マーリングにも同じことが起きる恐れが無きにしも非ずなのですが、彼女の場合、自分の美貌を活かしたキャラクターを創作できるという強みがあります。
 どういうことなのかというと、彼女は脚本の執筆も出来るのですよ。
 本作は彼女の監督のマイケル・ケイヒルとの共同脚本らしいです。

 さらに言えば彼女は投資銀行のゴールドマン・サックスのインターン生だった過去を持ちます。あの巨大投資銀行の就職を蹴る人間ってどれぐらいいるんですかね?

 突き抜けた美貌と脚本を執筆できる知性、加えて金に目がくらまない性格の彼女からしばらく目を離せそうにありません。
 とりあえず彼女がカルト集団の女教祖を演じた『サウンド・オブ・マイ・ヴォイス』を見てみたいなぁと思っているのですが、、、二年前の作品であるにもかかわらず、日本では劇場公開はもちろん、DVDにさえなってないんですよねぇ。
 どーしてなんだろ。早く見てみたいです。
コメント (2)
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