知り合いがツイッターで自殺予告とも取れるツイートをしました。
自分はそのツイートに対して特にアクションは起こしませんでした。
交流が絶えて久しい相手から「早まるな!」とか「落ち着いて!」とか言われてもそれで心が動くとも思えなかったからです。
自分は「死」や「自殺」について人並み以上に考えてきました。
こんなことを聞くのも何ですが、「自殺」って何でいけないんでしょうね?
答えられる人っていますか?
自殺がなぜいけないか、だって?いけないからいけないに決まっている!!
という答えは0点です。
いけないからいけない、という答えしかないのであれば、自殺なんてしたって構わないんじゃないですかね。そんなくだらない理由しかないのであれば。
残された人が悲しむから自殺はしてはいけないのだ、という人もいるかもしれませんが、その答えには心底ムカつきます。
残された人が悲しむから自殺はしてはいけないというのは、悲しむ人がいない人はさっさと死ね!と言っているのと同じに思えるからです。
自殺が本当にしてはならないことであるならば、残された人がいようがいまいが、悲しむ人がいようがいまいが、してはいけないことなんじゃないかと思いますけどね。
自殺をしてはいけない理由がこれといって思いつかない人はもう一度よく考えてみてください。
今のは主に残された人に対して言いたいことですが、自殺する人に対しても言いたいことがあります。
よく、自殺する人が「死んで楽になりたい」って言いますよね。
その言い分にも「はぁ?」って思っちゃいます。
死んで楽になりたいという以上、その人の人生はつらいことや悲しいことばかりだったのでしょう。
それは否定しません。
でも死んで楽になりたいということは死んだら楽になるってことですよね?
死んだら楽になると考える、その根拠は何?って聞きたくなるのです。
もし自分も死んで来世では新田真剣佑や竹内涼真のようなイケメンに生まれ変わることが確定しているのであれば、今すぐ死にますよ。
きゃっほー🎵って歓声を上げながら死にます。
ルンルン気分で死にますね。
でもそんな美味しい話ってあるわけないじゃないですか。
来世が現世よりマシだ、という根拠はどこにもない。
生きている間思いのままにならなかったのであれば、それは死んだあとも同じなんじゃないでしょうか。
死んだら楽になるなんていう楽観的な考えは捨てて欲しいです。
死にたいという人には取りあえず飛べ!って言いたいですね。
あ、この場合の「飛べ!」というのはビルの屋上からではなく、バンジージャンプで、ですけどね。
バンジージャンプは最も手軽で安全で疑似的な自殺体験ではないかと自分は考えています。
もしプラットフォームで足がすくんで動けないのであれば、その人は心の奥底では死を恐れてるってことになります。
であれば死ぬべきではない。
もし躊躇なく飛べたとしても、その体験が楽しかったのであれば、やはり死ぬべきではない。
だって、バンジージャンプと同じぐらい楽しいことは世の中にいくらでもありますから。
まぁ一つ問題があるとしたら、バンジージャンプをするのは結構お金がかかるってことで、自分が以前飛び降りた時は1万2千円かかりましたが、死にたいって奴が1万2千円ぐらいのはした金でグタグダ言うなよ、と思いますね。
自分はそのツイートに対して特にアクションは起こしませんでした。
交流が絶えて久しい相手から「早まるな!」とか「落ち着いて!」とか言われてもそれで心が動くとも思えなかったからです。
自分は「死」や「自殺」について人並み以上に考えてきました。
こんなことを聞くのも何ですが、「自殺」って何でいけないんでしょうね?
答えられる人っていますか?
自殺がなぜいけないか、だって?いけないからいけないに決まっている!!
という答えは0点です。
いけないからいけない、という答えしかないのであれば、自殺なんてしたって構わないんじゃないですかね。そんなくだらない理由しかないのであれば。
残された人が悲しむから自殺はしてはいけないのだ、という人もいるかもしれませんが、その答えには心底ムカつきます。
残された人が悲しむから自殺はしてはいけないというのは、悲しむ人がいない人はさっさと死ね!と言っているのと同じに思えるからです。
自殺が本当にしてはならないことであるならば、残された人がいようがいまいが、悲しむ人がいようがいまいが、してはいけないことなんじゃないかと思いますけどね。
自殺をしてはいけない理由がこれといって思いつかない人はもう一度よく考えてみてください。
今のは主に残された人に対して言いたいことですが、自殺する人に対しても言いたいことがあります。
よく、自殺する人が「死んで楽になりたい」って言いますよね。
その言い分にも「はぁ?」って思っちゃいます。
死んで楽になりたいという以上、その人の人生はつらいことや悲しいことばかりだったのでしょう。
それは否定しません。
でも死んで楽になりたいということは死んだら楽になるってことですよね?
死んだら楽になると考える、その根拠は何?って聞きたくなるのです。
もし自分も死んで来世では新田真剣佑や竹内涼真のようなイケメンに生まれ変わることが確定しているのであれば、今すぐ死にますよ。
きゃっほー🎵って歓声を上げながら死にます。
ルンルン気分で死にますね。
でもそんな美味しい話ってあるわけないじゃないですか。
来世が現世よりマシだ、という根拠はどこにもない。
生きている間思いのままにならなかったのであれば、それは死んだあとも同じなんじゃないでしょうか。
死んだら楽になるなんていう楽観的な考えは捨てて欲しいです。
死にたいという人には取りあえず飛べ!って言いたいですね。
あ、この場合の「飛べ!」というのはビルの屋上からではなく、バンジージャンプで、ですけどね。
バンジージャンプは最も手軽で安全で疑似的な自殺体験ではないかと自分は考えています。
もしプラットフォームで足がすくんで動けないのであれば、その人は心の奥底では死を恐れてるってことになります。
であれば死ぬべきではない。
もし躊躇なく飛べたとしても、その体験が楽しかったのであれば、やはり死ぬべきではない。
だって、バンジージャンプと同じぐらい楽しいことは世の中にいくらでもありますから。
まぁ一つ問題があるとしたら、バンジージャンプをするのは結構お金がかかるってことで、自分が以前飛び降りた時は1万2千円かかりましたが、死にたいって奴が1万2千円ぐらいのはした金でグタグダ言うなよ、と思いますね。