この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

日本の作品からの影響がうかがえた『ハッチング―孵化―』。

2022-05-01 10:13:31 | 新作映画
 ハンナ・ベルイホルム監督、シーリ・ソラリンナ主演、『ハッチング―孵化―』、4/29、KBCシネマにて鑑賞(会員鑑賞料金1100円)。2022年16本目。

 そんなにたくさん見ているわけではないのですが、『ミッドサマー』や『ぼくのエリ 200歳の少女』など北欧発のホラーの多くは北欧が舞台であることが必然である印象があります。
 しかしこのフィンランド発の『ハッチング―孵化―』にはそういった印象はなく、むしろ自らの幸せを求めるあまり、家族を支配し、犠牲にする母親像などは日本的とさえ言ってよいのではないかと自分は思いました。

 日本的なのはそこだけでなく、作品のあちこちに見て取れました。
 そもそも作品の発端にあるアイディアは““少年が卵から邪悪な分身を孵化させる””というものだったそうです。
 それって何の『のび太の恐竜』ですか?って言いたくなります。
 本作が『のび太の恐竜』と無関係ということはないでしょう。

 映画では主人公は少年から少女に変更されます。
 その少女ティンヤは森で卵を拾ってきて、自らの手で孵化させます。
 しかし生まれてきた“それ”は生まれてきたときから邪悪なものだったのか、自分には疑問です。
 ピー助を育てたのがのび太であったから、ピー助はあそこまで邪気なく育ちましたが、もしピー助を育てたのが家族を支配し、犠牲にすることを厭わぬ毒親の娘であれば、ピー助もまた別のピー助となっていたことでしょう。
 自分は卵から生まれたものは無垢なものであった、と考えます。
 ただ母親の愛を欲しただけなのでしょう。
 主人公の少女と同じように。

 少女の育てる異形のものや母親と娘の歪んだ関係など、本作は見るべきものも多いホラー映画ではあります。
 ただ、正直そこまで出来が良いとは思えなかったかな。
 細かいところが雑に作られているように感じられて…。
 例えば練習場でティンヤと一緒に練習していたレータがティンヤの母親から家まで車で送ると誘われ、それを断るシーンがあります。
 作劇的にレータが襲われるためには彼女が一人で帰るのは必然なのですが、でも普通に考えて、家まで送ると誘われ、それを断る子どもっていないですよね。
 自分だったら、レータはいなくなった犬を探すために一人で帰ろうとした、というふうにします。
 それならレータが誘いを断ったとしても不自然ではないからです。
 しかし実際にはレータはこれといった理由もなく一人で夜道を帰るのです。
 不自然ですよね。
 本作にはそういった不自然さがいくつかありました。

 ティンヤと“それ”は精神的にリンクしているという設定です。
 ティンヤが手首をひねれば“それ”も同じ個所を痛がり、“それ”が太ももを刺されれば、ティンヤもまた太ももを押さえる、というように。
 でも、、、そうであれば、あのラストってあり得ないと思うんだけれど。
 あるシーンでは精神的にリンクしていて、別のシーンではリンクしてないというふうに、都合の良い設定はあまり感心はしません。

 何だか酷評になってしまいましたが、本作には良いところもあります。
 本作の最大の見どころはヒロインであるティンヤを演じたシーリ・ソラリンナの存在でしょう。
 美少女です。
 美少女ではあるけれど、彼女と同程度の美少女はごまんといるでしょう。
 彼女が本作で見せた演技は、これが映画初出演とは思えぬほど鬼気迫るものでした。
 彼女の演技を観に行くだけでも本作を観る価値はあると言えると思います。

 お気に入り度★★★☆、お薦め度★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
コメント (4)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする