この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

一人で物事を考えない人たち。

2021-06-24 21:47:08 | 戯言
 同じことをすでに一度ならずこのブログに書いているのですが、懲りずに書きます。

 間違いを正すことって正しいことだと思っています。
 親切な行いでもある。

 ただ、間違いを正すといっても、「あなたは間違っています。以上(何が間違っているのかは自分で考えろ!)。」ではダメなんですよね。
 何が間違っているか、具体的にきちんと説明しないと。

 それははっきり言って面倒なことです。
 なので自分は見ず知らずの人が何かしら間違ったことを言っていたとしても、それを正そうとは思いません。
 見ず知らずの赤の他人が間違ったことを言って、それで恥を掻こうが、不利益を被ろうが、それは自分の知ったことではないからです。
 自分は親切な人間ではないのです。

 ただ、このブログのように、自分の考えを主張して、それに対して何かしら意見を述べた人が間違っていると思ったら、その場合は間違いを正すようにしています。
 自分の発した言葉には責任が生じると考えるからです。
 これを「文責」と言います。

 先日、とある記事にコメントがつきました。
 おそらく見ず知らずの相手で、捨てハンでした。
 コメントをそのまま転載します。

>この人ほんとに映画観たのかしら?
>多数派の解釈を誤読と決めかかって逆張りしてるだけじゃん

 その記事というのは『ガタカ』というSF映画の考察記事なのですが、その考察が多数派の解釈と真逆のことを書いてあるだけだというのですね。
 
 自分は10年以上毎日ブログの記事を更新しています。
 それなりの数の荒らしもやってきました。
 荒らしのコメントに腹が立ったり、傷ついたりしたことはありません。
 自分は自分にとってどーでもいい人が何を言おうがどーでもいいというスタンスなのです。
 けれど、ガッカリすることはあります(あと、相手をするのが面倒だな、と思うこともあります)。
 何にガッカリするのか?
 別に自分とは考えが違う人がコメントしたことにガッカリするというわけではないのです。
 ネットのモラルの低さ、かな。
 自分は自分が書いた『ガタカ』の考察記事にそれなりの自信があります。
 とはいえ、絶対に100%間違いがないと思うかと聞かれたら、それはあるかもしれない、とは思います。
 ただ、仮に自分の考察に間違いがあったとしても「この人ほんとに映画観たのかしら?」という必要はないと思うんですよね。
 見ず知らずの相手に嘲りの言葉を吐く人がいることにネットのモラルの低さを感じずにはいられないのです。
 増してこの間違いを指摘するコメントには具体性が皆無です。
 ガッカリ感はハンパありません。

 相手の間違いを指摘したいのであれば、「あなたは○○と仰っていますが、それは間違いです。理由は××だからです。」と述べればいいだけのことだと思うんですけどね。
 嘲りの言葉も必要なければ、多数派がどうこうと言う必要もない。

 一応、根拠もなく誤読だと思っているわけではないので、根拠に間違いがあるのであれば、遠慮なく指摘して下さい、というふうにレスしたのですが、10日を過ぎ、返事は未だにもらえていません。

 たぶんこの人は『ガタカ』を見てわからないところがあって、著名な考察サイトを覗いたのでしょう。
 そこに書いてあることに「なるほど、そういうことか」と納得した。
 次に無名なブログの考察記事を読んで、真逆のことが書いてあるので、おかしくなった。
 そして「本当に映画を見たのか」とコメントした、そんなところじゃないかな、想像ですけどね。
 だから、具体的に何が間違っているのか?と問われても答えられない。
 自分で考えたことじゃないから。

 ある映画を見て、わからないことがあって、ネタバレサイトや考察サイトを読むことは必ずしも悪いことではないと思います。
 でもそこで得た答えは決して自分で出した答えではないんですよね。
 いわば、参考書の巻末の解答ページを見るようなもので、答えは知っていても自分で出した答えじゃない。
 答えは自分で出さないといけないと思いますよ、特に見ず知らずの相手の間違いを正そうというのであればなおさらじゃないでしょうか。
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