この世界の憂鬱と気紛れ

タイトルに深い意味はありません。スガシカオの歌に似たようなフレーズがあったかな。日々の雑事と趣味と偏見のブログです。

あなたの怖いものって何ですか?

2021-09-10 22:03:33 | 戯言
 今日の記事は予告通り、嫌いなものについて書くつもりでした。
 しかし、、、嫌いなものをつらつらと挙げていくのもどうかと思っちゃったんですよね。
 なので、最初に与えられたお題である「何に恐怖を感じるか」について書いてみたいと思います。

 あ、ちなみに嫌いなものの筆頭として書こうと思っていたのは、ゴミをポイ捨てをする奴です。
 ゴミをポイ捨てする奴って存在自体がゴミだから、自分の仲間を増やそうと思ってゴミをポイ捨てするのでしょう。
 みたいなことをつらつらと書いたらさすがにアカンか、と思って書くのを止めました。笑。

 さて、結論から述べると、自分には怖いと思うものはこれといってないような気がします。
 ガードレールのない、離合が出来ない山道を車で通ったときはそれこそ死ぬ思いをしましたが、あれって別に日常で体験することじゃないしね。
 怖いと思うものがないというと、無敵か!と思われるかもしれませんが、そんなこともなく、失うものがないから、守りたいものがないから、叶えたいものがないから、誇るべきものがないから、そういった、ネガティブな理由で怖いと思うものがないんですよね。

 なので、強いて言えば、今ブログに遊びに来てくれる人が来なくなるのが怖い、かなぁ。
 といっても別にその人たちに何かしら来なくなるんじゃないかと思う理由があるわけではないのです。
 以前常連だった人がある日を境にぱたりと来なくなったのですが、その人が来なくなった理由がまったく心当たりがないんですよね。
 何か口論をしたとか、自分が失言をしたとか、何か理由があれば自分も反省が出来るのですが、何も理由に心当たりがないため、ただ単に、どんなに親しい人であっても、これといった理由もなく、ある日を境に疎遠になることがある、という経験則を自分に残しただけでした。
 それは怖いことではあるのだけれど、どうしようもないんですよね。
 だから、そのことを諦めている自分がいます。
 すべてを諦めようとしている自分が怖いと言えば怖い(達観しているわけではないです。達観というより諦念。)。

 やっぱり恐れていた通りまとまりのない文章になっちゃいました。
 怖いものはなくても恐れるものはあるってことですね(←上手いことを言っているわけではない)。
コメント (4)
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苦手なものと嫌いなものを言ってみる。

2021-09-09 21:05:58 | 戯言
 ミオさんから、「何に恐怖を感じますか。」というお題を頂きました(お題はいつでも受け付けています。応えられるかどうかは定かではないけど。)。
 何に恐怖を感じるのか、、、うわっ、難しいお題だな!
 お題を頂いてから、ずーーーっと考えているんですけれど、未だに上手く答えをまとめきれません。
 苦手なものと嫌いなものであれば簡単に答えられるのだけれど。

 というわけで、恐怖を感じるものの前に苦手なものと嫌いなものについて書いてみたいと思います。

 まず苦手なものは虫全般ですね。
 虫全般というか、意思疎通が出来なさそうな生き物はすべて苦手です。
 逆に言えば、意思疎通が爬虫類は嫌いじゃないです(噛まないことが前提ですが、、、と言いつつ思いっきり噛まれたけど。)。

 それからカボチャの煮つけが苦手です。
 カボチャの煮つけは子どもの頃から苦手で、大人になって味覚が変わったら好きになるのかと思っていたのですが、この年になっても一向に好きになりそうな気配はまったくありません。
 でもその苦手なカボチャの煮つけがうちでは毎食出るんですよ。
 毎食、というのはさすがにオーバーかな。
 でも毎日は間違いなく食べていますね。
 ちなみに自分は苦手だからという理由で食べ残すことはしません。

 あと、他人とコミュニケーションを取るのが苦手です。
 リアルではマジで友だちはいません。
 友だちなんていなくていいと思っているわけではなく、友だちはいた方がいいとは考えているので、様々なサークルに参加したりしてるんですけど、どのサークルも一年ぐらいで辞めたり、辞めさせられたりしていますね。
 友だちはいた方がいいとは考えていますが、今では半ば以上諦めています。

 そうそう、説明書を読むのも苦手です。
 理屈っぽい人間なので、もしかしたら理系?と思っている人もいるかもしれませんが(いないとは思いますが)、完全な文系人間なので説明書を読むのが苦手です。
 などというと「一緒にするな!」と他の文系の方から怒られそうですが。汗。

 他にもあった気がしますが、取りあえずこれぐらいで止めておきます。
 苦手なものを挙げていくだけで結構字数を費やしちゃったなぁ。
 嫌いなものについてはまた後日(恐怖を感じるものについてはいつ!?)。
コメント (10)
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だから解釈は自由じゃない。

2021-09-08 20:19:29 | 読書
 9月7日の朝日新聞の朝刊に興味深い記事が載っていました。
 朝日新聞の文芸時評に掲載された桜庭一樹氏の自伝的小説『少女を埋める』の評論において(作品は未読)、評者が自らあらすじを書いたところ、作者の桜庭氏から「そのような内容ではない」というクレームがついた、というのです。
 これは非常に珍しいケースと言えます。
 まぁ腐っても天下の朝日新聞ですから、そこで評論されること自体(どういった内容の評論であれ)非常に名誉なことなんですよ。
 そこで作者がクレームをつけるなんて話はちょっと聞いたことがないです(自分が知らないだけで過去にも同様のことがあったのかもしれませんが)。
 今回の件は作品が自伝的な小説であり、やむを得ない事情があったために桜庭氏もクレームをつけたようです。

 自分はことあるごとに解釈は自由ではない、と主張してきました。
 しかし残念ながらその考えに賛同してくれる人はいません。
 ほとんどの人が解釈は人それぞれであり、その作品をどう解釈するかはその人の自由だ、と考えているようです。
 自分も別に自分の考えを強制するつもりはありません。
 解釈は自由であるという考えは間違っていると思いますが、しかしそのように考える人が人として欠陥があると思っているわけではないですから。
 ただ、作者自らに間違いを指摘されて、なお誤りを認めない、というのは如何なものかと思います。

 ムンクの『叫び』という絵画を見たことがない、という人はおそらくいないのではないでしょうか。
 では問題です。
 ムンクの『叫び』で描かれている人は何と叫んでいるのでしょうか?
 この作品の知名度に比べ、そのことを知っている人は意外と少ないように思えます。
 答えは「叫んでいない」です。
 何と叫んでいるかという問題の答えが「叫んでいない」というのは意地悪なように思えますが、それはさておき、『叫び』で描かれている人が叫んでいないというのは本当のことです。
 それがわかるのは作者であるムンク自身が創作メモを残しているからです(詳しくはこちら)。
 仮に『叫び』を観た百人のうち百人が『叫び』で描かれている人が叫んでいるように受け取ったとしても、作者であるムンク自身がそれを否定するのであれば、我々はその意図に抗うすべはないのです。

 もちろんすべての作品に創作メモが残されているわけではありません。
 また解釈そのものを拒むような難解な作品も多いです。
 しかしだからといって解釈が自由だということにはなりません。
 我々が作品に対峙したとき、その作品を理解するために重要なのは、作者がその作品にどのような想いを込めたのか読み取ることです。
 それは決して読み取る側が自由にやってよいことではないのです。

 話を『少女を埋める』の評論に戻すと、桜庭氏も評者のあらすじを否定している割には、何だか煮え切れない態度であるように思えました。
 桜庭氏はこう書いているのです。
 小説の読み方は読者の自由である、と。
 小説をどう読むのか、すべて読者の自由であるならば、その作品をどう要約するのか、どのようにあらすじをまとめるのかも読者の自由ではないでしょうか。
 解釈は自由であるがあらすじは自由ではない、というのは主張に一貫性がないように自分には思えました。

 解釈は自由ではないというとずいぶんと堅苦しいことを言っているな、と思われるかもしれません。
 そんなことはないんですよ。
 今日初めてムンクの『叫び』が叫んでいないということを知った人はこの作品のことをもっと知りたくなったのではありませんか?
 正しく解釈することはその作品をより深く楽しむことに繋がるのです。
コメント (3)
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個人的にそこまでノレなかった『シャン・チー/テン・リングスの伝説』。

2021-09-07 21:13:21 | 新作映画
 デスティン・ダニエル・クレットン監督、シム・リウ主演、『シャン・チー/テン・リングスの伝説』、9/4、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞。2021年41本目。

 先日の記事で、yahoo映画の『シャン・チー/テン・リングスの伝説』のレビューで映画を観らずに星一つの評価をしている人は評価点の信用性を損ねるから止めて欲しい、と書きました。
 つまり自分は、映画を観た上であれば、星一つの評価をつけるのも構わない、という考えでした。
 しかし、、、映画を観た上で星一つの評価をしている人でも正気を疑うようなレビューを書いている人がいて…。
 以下転載。
>表現などはまあまあと感じたが、露骨な支那上げに正直嫌になる。プロパガンダにハリウッドが加担している気持ち悪さ。支那の下に付くか支那を潰かしか道はない事を強く感じました。
 いやいやいや。
 この映画に政治的なメッセージやプロパガンダは一切ないでしょ!
 ただの超人一家の親子喧嘩のお話だよ。
 この映画を観て、志那の下につくか、志那を潰すか、の二択しかないと考える、その思考の極端さにある意味感心してしまいました。
 よくこんな極端な思考をしていて日常生活を送れるものだな…。

 さて、『シャン・チー/テン・リングスの伝説』には政治的なメッセージやプロパガンダはない、と述べました(何しろ、シャン・チーの必殺技はかめはめ波だしね。そんな中国万歳映画はない。)。
 ただし、政治的なメッセージやプロパガンダがないから、この映画は優れた映画なのだ、というつもりはありません。
 むしろ、個人的にはかなり意味不明な映画でした。
 yahoo映画の解説にこの映画についてこう書かれています。
>悪の組織を率いる父親の恐ろしい計画に巻き込まれていく主人公の姿を描く。
 ここのところだけ読んだら、父親の恐ろしい計画って何?って思うじゃないですか。
 その父親の計画というのがぶっちゃけて言ってしまうと、囚われた妻を取り戻し、家族四人で暮らすことなんです。
 え?って思いますよね。
 悪の組織を率いる首領の恐ろしい計画がそれ?
 マジで?
 それがマジなんですよ。
 この時点でかなり意味がわかりません。
 まぁ悪の組織の首領が家族仲良く暮らしたいと思ったとしてもいいとしましょう。
 しかしそれに付き合わされる大勢の部下が不憫というか理解出来ないというか。
 例えば「世界を制する竜玉を手に入れるぞ!」と首領が言って、部下が「おぉ~!」と呼応するならわかります。
 でも「囚われている妻を取り戻すぞ!」と首領が言って、部下が「おぉ~!」と呼応するのっておかしくないですか。
 自分は何だかシュールなものを見せつけられているような気になりました。
 っていうか、自分が悪の組織の構成員で、首領が妻を取り戻すことに躍起になっていたら、その時点で組織を見限るけどなぁ。。。

 というふうに自分の評価は決して高くありませんが、娯楽映画として、またアクション映画として、そこそこ楽しめるとは思うので、主人公が中国人であることに抵抗ない人は観に行かれてはどうでしょうか。

 お気に入り度★★★、お薦め度★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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個人的には結構ツボだった『モンタナの目撃者』。

2021-09-06 22:02:04 | 新作映画
 アンジェリーナ・ジョリー主演、テイラー・シェリダン監督、『モンタナの目撃者』、9/4、イオンシネマ筑紫野にて鑑賞。2021年40本目。

 自分は細かいことが気になる質(たち)です。
 映画を観ていても、しばしば重箱の隅をつつくような見方をしてしまいます
 でもそういう見方をしていて初めて気づくこともあるのでまぁそれでいっか、と思っています。

 『モンタナの目撃者』は、とある不正の証拠を掴んだ会計士が命の危険を感じ、つてを頼ってモンタナへと逃げるのだが、暗殺者たちに待ち伏せされ、息子一人がどうにか逃げ出し、そこで心に傷を持つ女性森林警備隊員と出会う、というお話です(邦題にある目撃者は息子のことで、主人公はアンジェリーナ・ジョリー扮する女性森林警備隊員)。

 ぶっちゃけ、ツッコミどころ満載の映画でしたよ。
 yahooの映画レビューで、不正の証拠を掴んでいるなら、命の危険を感じた時点で、その証拠をSNSにでもアップすればいいんじゃないの?と言っている人がいて、自分もまったくだ、と思いました。
 作中、会計士は証拠をマスコミに渡そうとするのですが、そのマスコミが信用出来るとも限らないですしね。
 それに会計士たちを追ってくる暗殺者、何人だと思います?
 それが何とたったの二人なんですよ。
 途中暗殺者の一人が、これは二チームでやるべき任務だった、みたいなセリフを口にするのですが、いやいや、二人が四人であっても任務を遂行するには少なすぎるだろう、と言いたくなりました。
 最低でも十人以上は必要な気がしますね。
 暗殺者たちはかなりアバウトな推測で会計士たちの行先をモンタナだと見抜くのですが、それがフェイクだったらどうなったんだろう、と思わずにはいられませんでした。

 本来であれば、ツッコミどころが多い作品には評価が厳しめになってしまうのですが、本作は一つ一つのシーンがいいんですよ。
 暗殺者二人に襲われた保安官の妻が、身重でありながら、絶体絶命の危機から反撃に転じるさまは観ていて手に汗握りましたね。
 今年観た映画の中で一番快哉を上げたシーンかもしれません。

 ツッコミどころ満載の映画ではありますが、自分はお薦めしたいと思います。
 というか、ほとんどの人はそんな細かいところは気にならないでしょうしね。笑。
 
 お気に入り度★★★☆、お薦め度★★★☆(★は五つで満点、☆は★の半分)です。
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信じてもらえないことを言ってみる。

2021-09-05 21:40:45 | 日常
 今から信じてもらえないことを言ってみようかと思います。
 それは今年の夏、一度も(自室の)クーラーを使わなかった、ということです。
 このことを言うと大概の人には驚かれますね。
 クーラーを使わずに夜どうやって寝てたの?って感じで。
 クーラーを使わずに夜どうやって寝ていたのか、お答えしましょう。
 答えは、扇風機を使って寝ていた、です。
 一応断っておくと、自室にクーラー、あることはあります。
 といってももう設置して10年経つ年代物ですけどね。
 その年代物のクーラーを使えるかどうか、今年は試すこともなかったです。

 クーラーを使わないなんてやせ我慢しているだけでしょ、と思われるかもしれません。
 いや、そんなことは全然なくて、もともと日本家屋は北側の窓と南側の窓を開けていれば風が通って熱がこもらないようになっているから、扇風機さえつけていればそれで充分涼しいんですよ。
 まぁ窓を開けて眠れるのは自分の部屋が二階にあるからですけどね。
 部屋が一階だとさすがに防犯上、窓を開けっ放しには出来ないですよね。

 唯一雨が降るときが問題かなぁ。
 雨が降っていたらさすがに窓は開けられないですから。
 それでもクーラーの利く一階で寝たのは一度だけでしたよ。
 お袋が気を利かせて、一階で寝なさいと布団を敷いてくれたんですよね。
 人の親切を無視するのも悪いかと思ってその夜は一階で寝たのです。
 
 考えてみれば自分の子どもの頃なんてクーラーがないのが当たり前だったので、クーラーがないと眠れないなんて言うことはないはずで、それだけ地球の温暖化が進んだのか、それとも日本人が弱体化したのか、、、まぁそれだけ治安が悪くなったというのもあるのかもしれません。

 というふうに夜寝るときに北側の窓と南側の窓、それに東側の窓を全開にして寝てたら、今朝方余りの涼しさに目が覚めてしまいました。
 正直体調もよろしくないです。
 皆さんも窓を開けて寝るときは秋の訪れを充分注意して下さい。
 そんな人はいないと思うけど。
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久しぶりに大人買いをしてみる。

2021-09-04 22:11:52 | 漫画・アニメ
 子どもの頃は大人になったら好きなものを好きなだけ買えるんじゃないかと思ったこともありました。
 大学生の時は社会人になったら毎月CDを買うぞ!なんて思ったりもしました。
 しかしいざ社会人になって好きなものを好きなだけ買えるようになって(といっても小遣いの範囲内で、ですが)好きなものを好きなだけ買っているかというと全然そんなこともなくて、最近は漫画すら買わなくなってしまいました。
 
 現在連載中の漫画で単行本を購入しているのは『ワールドトリガー』と『葬送のフリーレン』、それに『結婚するって、本当ですか?』ぐらいかなぁ。
 あ、連載中と言えるかどうかさだかではないですが、『よつばと!』も新刊が出たら買ってますけどね。

 なぜ漫画を買わなくなったかというと、理由は一応あって、それは部屋の広さが決まっているから、ですかね。
 社会人になったからといって部屋の広さが二倍になるわけじゃないし、漫画を置くスペースは限られてますからね。
 処分できる本は処分して、残るは処分したくない本であるわけで、必然的に新しい本を置くスペースはあまりないわけです。
 自分みたいな人間こそ、電子本を買うべきなんでしょうけどねぇ。

 そんな事情があるのですが、久しぶりに漫画の大人買いをしてしまいました。
 それがこちら。

   

 『湯神くんには友達がいない』です。
 元々好きな漫画ではあったのですが、先日ブックオフに行ったら100円コーナーに7巻まであったのでつい魔がさして買っちゃいました。
 買ったのは後悔していないのですが、というか、むしろもっと早く買うべきだった、とすら思っているのですが、この漫画、全16巻なんですよ。
 別の店舗の100円コーナーで11巻まで揃えたのですが、そろそろ100円で購入するのは無理のようだと判断し、12巻と13巻はまた別の店舗で一冊270円で購入しました。
 残るは16巻までの3巻!
 果たして自分は残る3巻を無事ブックオフで揃えることが出来るでしょうか…。

 ここまで書いておいてなんですが、我ながら大人買いって何?って思わずにはいられません。
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祝♪リメイク版『キャンディマン』公開。

2021-09-03 23:47:33 | 旧作映画
 半年ほど前にも取り上げたのですが(こちら)、リメイク版の『キャンディマン』が10月15日より公開されます。
 自分はリメイク版の映画を見て、オリジナルより面白いと思ったことはないのですが、興味はあるので観に行くつもりです。

 『キャンディマン』というタイトルからどんな映画を想像しますか?()
 「アンパンマン」みたいな可愛いキャラクター?
 とんでもない、『キャンディマン』は自分がこれまで見た中で5本の指に入るぐらい怖いホラー映画なのです。
 『キャンディマン』の何が怖いのか?
 キャンディマンの造形自体かなり怖いものがあるんですけど、同じぐらい怖いのが本当のことを言っているのに誰にも信じてもらえないというシチュエーションですね。
 現実の世界でも本当のことを言っているのに信じてもらえないのって怖いことじゃないですか。
 自分の場合、それがよくあることなので、より怖さが身に染みるというか(よくあるんかい!)。
 あとは撮影時のエピソードですかねぇ。
 キャンディマンの口からミツバチがわらわらと出てくるシーンがあるのですが、今だったらそんなシーンはCGですよね?
 でも「キャンディマン」制作時にそんな便利なものはないので、キャンディマン役のトニー・トッドが生まれたばかりの本物のミツバチを口に含んで吐き出しているんですよ(なぜ生まれたばかりのミツバチなのかというと、 生まれたばかりのミツバチは針を持たないからだそうです)。
 そのエピソードを聞いた時、怖すぎるわ!と思いましたよ。

 個人的に一番高く評価するホラー映画は何かというと『マーターズ』です。
 自分が生涯に何本のホラー映画を見るかわかりませんが、あれ以上の恐怖を味わうことはないだろう、そう思っています。
 けれど『マーターズ』を薦めるのかというと絶対に薦めません。
 残虐さがきつすぎるのでとても人に薦める気にはなれないのです。

 では人に薦めるホラー映画は何かというとそれは何と言っても『死霊館』ですね。
 なぜ『死霊館』を薦めるのかというと単純に出来がいいというのもありますが、見るのにさほど苦労しないだろう、という理由もあります。
 おそらくツタヤやゲオにも在庫はあるだろうし、配信サービスでも鑑賞出来るんじゃないかな。
 どんなに面白いホラー映画であっても見る手段がなければ薦めても意味がないですからね。

 逆に見るのが難しいかもしれないけど、個人的に好きなのが『キャンディマン』などの80年代、90年代のホラー映画ですね。
 『キャンディマン』の他に『リンク』(「リング』にあらず)や『ヘルレイザー』なんかが好きです。
 これらの作品が何かの間違いでレンタルショップにあったら、是非借りてみてくださいね。
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映画を観らずに批評する人たち。

2021-09-02 22:14:55 | 戯言
 少し前の記事で自分は正しい解釈は一つだ、と述べました。
 解釈はその作品に込められた作者の想いを探る行為であり、作者の想いが一つであるなら、正しい解釈も一つである、と考えるからです。

 その一方で感想は自由であると考えています。
 なぜ感想は自由なのか?
 それは人はそれぞれ生きてきた人生が違うからです。
 生きてきた人生が違えば、何に感動するか、何が面白いと思うか、何を美しいと思うか、そういった価値観や基準が違ってくるのは当然です。
 ですから、同じ映画を観ても人それぞれ感想が違ってくるのです。
 
 感想は決して他人に強制されるものでもなければ、否定されるものでもありません。
 感想を強制することは生き方を強制することであり、感想を否定することはその人の人生を否定することになります。

 今、感想は強制されるものでも、否定されるものでもない、と言いました。
 ただし、間違った感想はあります。
 例えばバラの花を見て、綺麗だと思ったとします。
 けれど、よくよく見るとそれはバラの花ではなく、ボタンの花だった。
 この場合、バラの花が綺麗だという感想は間違った感想になります。
 感想は自由であるべきですが、それは対象を正しく認識して初めて言えることです。
 バラの花を見てどのような感想を抱くかは観察者の自由ですが、ボタンの花を見てバラの花が綺麗だ、と思う自由などありません。

 対物であれば「認識」になりますが、作品に対しては「解釈」になります。
 その作品を見て、どのような感想を抱くかは人それぞれ自由ですが、それは正しい解釈をしてのことなのです。

 ついでに言っておくと、正しい解釈は一つだ、と述べましたが、解釈を間違ったとしてもそれは大したことではありません。
 ボタンの花を見てバラの花が綺麗だ、と思う自由はありませんが、見間違えていることに気づいたら、その時点で自分の認識を修正すればいいだけの話です。
 解釈もそれと同じです。

 解釈と感想についての持論を述べましたが、とにかく言いたいのは、感想は人それぞれ自由だということです。
 自分は「ショーシャンクの空に」を高く評価していますが、この作品を低く評価している人がいたとしても、そのことで不快に思うというようなことはありません。
 正しく解釈した上での感想、及び評価、批評はどのようなものであれ、一定の敬意を払うべきだと考えるからです。
 ただし、敬意を払えない批評もまたあります。

 9月3日、明日から『シャン・チー/テン・リングスの伝説』という映画が公開されます。
 yahoo映画のユーザーレビューでこの映画に星一つの評価をしている人がいるのです(こちら)。
 公開前に試写会などで観た可能性もゼロではないですが、たぶん観らずに評価しているのでしょう。
 yahoo映画のユーザーレビューは観た映画についてレビューする場であって、見ていない映画についてあれこれ語る場ではありません。
 評価点の信用度が下がるので、これは本当に止めて欲しいです。
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そろそろ11月の旅行の計画を立てようか。

2021-09-01 23:08:09 | 旅行
 今日からいよいよ9月ですね!
 いやぁ、時が経つのは本当に早いですねぇ。
 ついこの間、昭和が終わったばかりだと思っていたのに(いつのことだよ!)。
 というわけで、11月になるのもあっという間のことだと思うので、11月の旅行の計画を立てたいと思います。

 11月の旅行の目的地はどこかというと唐津です。
 唐津は去年の7月に一人で行きました。
 今年は8月にまささんと行く予定でしたが、大雨によりあえなく中止に…。ずがーん。。。
 
 そのリベンジというわけではないのですが、11月に行くことにしました。
 なぜ夏ではなく、秋なのかというと、お袋がローカルなバラエティ番組で紹介されていた【環境芸術の森】に行ってみたいと言っていたのを思い出して、それなら紅葉の季節である秋に行こうか、ということになった次第です。
 環境芸術の森、、、何ていうか、意識高い系の森ですよね。笑。

 この他、今度の唐津旅行では出来るだけお袋のリクエストに応えてあげたいな、と思っていて、他に宝くじの当選祈願で有名な【宝当神社】に行ったり、七ツ釜の遊覧船に乗るつもりです。

 宿もすでに手配しました。
 泊まるのは8月に泊まり損ねた【漁師民宿 大慶】
 料理が美味しいと評判の宿なので今から行くのが楽しみです。

 気がかりなのはコロナの感染拡大の影響で遊覧船などが運行を自粛することなのですが、まぁ二ヶ月後なのでおそらくは大丈夫でしょう。
 これから旅行当日までさらに細かく計画を練るつもりです。
 よく、「家に帰るまでが遠足」といいますが、自分の場合、「計画を立てるのも旅行のうち」なんですよね。
 充実した旅行になれば、と思っています。
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