今日の記事は予告通り、嫌いなものについて書くつもりでした。
しかし、、、嫌いなものをつらつらと挙げていくのもどうかと思っちゃったんですよね。
なので、最初に与えられたお題である「何に恐怖を感じるか」について書いてみたいと思います。
あ、ちなみに嫌いなものの筆頭として書こうと思っていたのは、ゴミをポイ捨てをする奴です。
ゴミをポイ捨てする奴って存在自体がゴミだから、自分の仲間を増やそうと思ってゴミをポイ捨てするのでしょう。
みたいなことをつらつらと書いたらさすがにアカンか、と思って書くのを止めました。笑。
さて、結論から述べると、自分には怖いと思うものはこれといってないような気がします。
ガードレールのない、離合が出来ない山道を車で通ったときはそれこそ死ぬ思いをしましたが、あれって別に日常で体験することじゃないしね。
怖いと思うものがないというと、無敵か!と思われるかもしれませんが、そんなこともなく、失うものがないから、守りたいものがないから、叶えたいものがないから、誇るべきものがないから、そういった、ネガティブな理由で怖いと思うものがないんですよね。
なので、強いて言えば、今ブログに遊びに来てくれる人が来なくなるのが怖い、かなぁ。
といっても別にその人たちに何かしら来なくなるんじゃないかと思う理由があるわけではないのです。
以前常連だった人がある日を境にぱたりと来なくなったのですが、その人が来なくなった理由がまったく心当たりがないんですよね。
何か口論をしたとか、自分が失言をしたとか、何か理由があれば自分も反省が出来るのですが、何も理由に心当たりがないため、ただ単に、どんなに親しい人であっても、これといった理由もなく、ある日を境に疎遠になることがある、という経験則を自分に残しただけでした。
それは怖いことではあるのだけれど、どうしようもないんですよね。
だから、そのことを諦めている自分がいます。
すべてを諦めようとしている自分が怖いと言えば怖い(達観しているわけではないです。達観というより諦念。)。
やっぱり恐れていた通りまとまりのない文章になっちゃいました。
怖いものはなくても恐れるものはあるってことですね(←上手いことを言っているわけではない)。
しかし、、、嫌いなものをつらつらと挙げていくのもどうかと思っちゃったんですよね。
なので、最初に与えられたお題である「何に恐怖を感じるか」について書いてみたいと思います。
あ、ちなみに嫌いなものの筆頭として書こうと思っていたのは、ゴミをポイ捨てをする奴です。
ゴミをポイ捨てする奴って存在自体がゴミだから、自分の仲間を増やそうと思ってゴミをポイ捨てするのでしょう。
みたいなことをつらつらと書いたらさすがにアカンか、と思って書くのを止めました。笑。
さて、結論から述べると、自分には怖いと思うものはこれといってないような気がします。
ガードレールのない、離合が出来ない山道を車で通ったときはそれこそ死ぬ思いをしましたが、あれって別に日常で体験することじゃないしね。
怖いと思うものがないというと、無敵か!と思われるかもしれませんが、そんなこともなく、失うものがないから、守りたいものがないから、叶えたいものがないから、誇るべきものがないから、そういった、ネガティブな理由で怖いと思うものがないんですよね。
なので、強いて言えば、今ブログに遊びに来てくれる人が来なくなるのが怖い、かなぁ。
といっても別にその人たちに何かしら来なくなるんじゃないかと思う理由があるわけではないのです。
以前常連だった人がある日を境にぱたりと来なくなったのですが、その人が来なくなった理由がまったく心当たりがないんですよね。
何か口論をしたとか、自分が失言をしたとか、何か理由があれば自分も反省が出来るのですが、何も理由に心当たりがないため、ただ単に、どんなに親しい人であっても、これといった理由もなく、ある日を境に疎遠になることがある、という経験則を自分に残しただけでした。
それは怖いことではあるのだけれど、どうしようもないんですよね。
だから、そのことを諦めている自分がいます。
すべてを諦めようとしている自分が怖いと言えば怖い(達観しているわけではないです。達観というより諦念。)。
やっぱり恐れていた通りまとまりのない文章になっちゃいました。
怖いものはなくても恐れるものはあるってことですね(←上手いことを言っているわけではない)。