今日はいい天気。ふくしまデスティネーションキャンペーンに合わせ、4月1日から5日まで、そして、4月11日から6月末までの土日祝日、民地になっている磐城平城趾本丸跡が公開されている。
今日の昼休み、駅前までマイチャリで行き、駅北口の坂道を上った。途中、案内所発見、そこから城内に入った。
最初に案内があったのは、白蛇堀
近くに湧き水があり、籠城時の水瓶となる。ただ、現在の水量は少ない。
更に坂を上ると、本丸跡へ。そこに、明治元年建築といわれる、最後の藩主・安藤信勇も住んでいた旧仮藩庁。以前、別のイベントで中に入ったことがある。
中には、磐城平城のジオラマが展示、はじめて観るものだ。
そして、再び外に出て、櫓があったところへ。
三階櫓は、「磐城名物三階櫓 龍のお堀に浮いて立つ」といわれたほど。磐城平城、別名「龍ヶ城」、美しい城だったに違いない。
帰り道、塗師櫓跡の石垣脇を通った。震災で崩れ、復旧。これは文化財に指定されていたので復旧されたが、指定されていない中門櫓跡の石垣は、崩れたままになっている。
磐城平城趾は、ほとんど民地になっており、また、明治時代にお堀が鉄道敷きになり、城の法面を削って埋めたので、史実に基づいて復元することは難しい。ただ、磐城平の意識付けとして、何か仕掛けが必要だと思う。
今日の昼休み、駅前までマイチャリで行き、駅北口の坂道を上った。途中、案内所発見、そこから城内に入った。
最初に案内があったのは、白蛇堀
近くに湧き水があり、籠城時の水瓶となる。ただ、現在の水量は少ない。
更に坂を上ると、本丸跡へ。そこに、明治元年建築といわれる、最後の藩主・安藤信勇も住んでいた旧仮藩庁。以前、別のイベントで中に入ったことがある。
中には、磐城平城のジオラマが展示、はじめて観るものだ。
そして、再び外に出て、櫓があったところへ。
三階櫓は、「磐城名物三階櫓 龍のお堀に浮いて立つ」といわれたほど。磐城平城、別名「龍ヶ城」、美しい城だったに違いない。
帰り道、塗師櫓跡の石垣脇を通った。震災で崩れ、復旧。これは文化財に指定されていたので復旧されたが、指定されていない中門櫓跡の石垣は、崩れたままになっている。
磐城平城趾は、ほとんど民地になっており、また、明治時代にお堀が鉄道敷きになり、城の法面を削って埋めたので、史実に基づいて復元することは難しい。ただ、磐城平の意識付けとして、何か仕掛けが必要だと思う。
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