原発が再稼働で揺れている。福島であれほどの事故があっただけに、自治体も住民も神経質になるのは無理はない。
絶対安全、と政府や専門家がいっても、すでに信頼性が失われており、なにをいっても信用されなくなってしまった。地震や津波が来て、事故が起こったら、誰が責任をとるのか、と問おても、答えはない。
しかし電気の確保は優先されなければならない。この矛盾を解決する手立てはなく、結局国民感情からみて、もう日本で原発を維持していくことは困難だろう。
じゃあ、どうやって必要電力を確保できるのか。答えは節電しかないのではないか。必要電力を確保するために、電源転換と同時に、消費者側が使用電力をセーブするのが現実的だ。
原発がないものとして、現状の発電設備でどれだけの電力を供給できるのかを精査し、各家庭、企業、自治体などで、徹底した節電を行うことによって電力が足りるなら、原発そのものはいらなくなってしまう。
すでに昨年の夏に実施されたことだが、さらにこれを徹底することだろう。その程度の不便は国民も承知できるし、経済活動に必要な電力は優先的に供給する制度を作る必要もあろう。
そして原発は廃炉をめざす。事故のない原発でも廃炉には30~40年もかかるといわれている。また停止しているだけでも、地震が来ればやっぱり放射能は漏れるだろうし、維持費はかかる。
その上で原発のある場所に、風力発電やメガソーラーなどの自然エネルギーの施設を造ればいい。それで少しでも無駄が省けるし、地元の経済にも寄与しよう。
電力会社も政府も原発を維持していきたい意向があるようだ。利権もあるだろうし、ここまで営々と積み上げてきた技術やノウハウを捨て去ることはむつかしいにしても、地震・津波大国の日本列島ではもともと無理だったのだろう。
原発がなくても電力が足りるなら、その論拠を失う。だから、国民を挙げて節電キャンペーンを行う必要があるのだ。
単に再稼働反対ばかりを唱えているのではなく、反対なら何をしなければならないかを考えることではないか。
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp
絶対安全、と政府や専門家がいっても、すでに信頼性が失われており、なにをいっても信用されなくなってしまった。地震や津波が来て、事故が起こったら、誰が責任をとるのか、と問おても、答えはない。
しかし電気の確保は優先されなければならない。この矛盾を解決する手立てはなく、結局国民感情からみて、もう日本で原発を維持していくことは困難だろう。
じゃあ、どうやって必要電力を確保できるのか。答えは節電しかないのではないか。必要電力を確保するために、電源転換と同時に、消費者側が使用電力をセーブするのが現実的だ。
原発がないものとして、現状の発電設備でどれだけの電力を供給できるのかを精査し、各家庭、企業、自治体などで、徹底した節電を行うことによって電力が足りるなら、原発そのものはいらなくなってしまう。
すでに昨年の夏に実施されたことだが、さらにこれを徹底することだろう。その程度の不便は国民も承知できるし、経済活動に必要な電力は優先的に供給する制度を作る必要もあろう。
そして原発は廃炉をめざす。事故のない原発でも廃炉には30~40年もかかるといわれている。また停止しているだけでも、地震が来ればやっぱり放射能は漏れるだろうし、維持費はかかる。
その上で原発のある場所に、風力発電やメガソーラーなどの自然エネルギーの施設を造ればいい。それで少しでも無駄が省けるし、地元の経済にも寄与しよう。
電力会社も政府も原発を維持していきたい意向があるようだ。利権もあるだろうし、ここまで営々と積み上げてきた技術やノウハウを捨て去ることはむつかしいにしても、地震・津波大国の日本列島ではもともと無理だったのだろう。
原発がなくても電力が足りるなら、その論拠を失う。だから、国民を挙げて節電キャンペーンを行う必要があるのだ。
単に再稼働反対ばかりを唱えているのではなく、反対なら何をしなければならないかを考えることではないか。
「60からのマイソング55」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。また「Web写真人」でも検索できます。URLはhttp://shashingin.web.infoseek.co.jp