団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

新聞の楽しみ方

2013-05-17 10:08:40 | Weblog
 夕方の愉しみに晩酌がある。やっぱり酒の話になってしまうが、焼酎のグラスを傾けながら、新聞を読むのも楽しみである。
 知人から頼まれて、ここ15年ぐらい産経新聞を読んでいる。夕刊がない分、夕刊的な記事も朝刊に載っているから面倒がなく、かえって便利だ。
 朝は、自宅を事務所にしているといっても、やはり慌ただしい。ざっとすべての紙面に目を通し、気になる記事は読んでみるが、これは晩酌時に、と思うコラムなどの記事はとっておく。
 夜遅くなって酔っ払って帰ってくれば、当然新聞は読めないから、翌日の夕方までとっておいて読む。つまり日によっては2日分を読むことになるわけだ。
 最近、産経新聞では新聞小説として、高杉晋作伝の「紅と白」を掲載している。これが面白いし、つい最近までは司馬遼太郎のエッセーのエッセンスをコラムで載せていて、これも興味深かった。直近では福沢諭吉を扱っている。あとは曽根綾子や正論、医療や家庭の記事など、酒を飲みながらじっくりと読むのは、至福の時間になる。
 だいたい小一時間ぐらいかかり、ちょっと酔ってきて、そこに夕食が出るのが理想的なのである。
 新聞の活用や効能がネットと比べられて、いろいろと議論されているが、テーブルに紙面を広げて、全体を見渡し、さまざまな記事を俯瞰するのも、ひとつの楽しみである。モニターでネットニュースを見ていても、ひとつひとつの記事に優劣や大小がなく、並列的に並べられているものが多く、全体像を把握しづらい面があるだろう。
 その点、新聞は紙面に載る前にニュースの取捨選択があり、新聞社の人任せとはいえ、1日のニュースを知るには、まあ、この程度を知っていればいいだろう、という感じがあり、それが安心感につながろう。
 ネットの場合は、次々に新しいニュースが流れ込んでくるから、いまを知るには釘付けにならざるを得ないし、常に枯渇感が伴うだろう。それがネットの強みでもあり、弱点ともいえよう。だからネットはモバイル化し、スマホが主流になってきた。
 むろんネットで新聞のコラムも読むことができるわけだが、やはりパッと開いた時に紙やインクの香りが漂い、見開きにして大きく見回す感覚は捨てがたい。
 我々の世代は、やはり印刷文化で育ってきた。その中心に新聞はあったろう。だから擁護するわけではないが、決してテレビやネットに負けるメデイアではない。テレビの体たらくは論外としても、今のままでいいのか、というのは議論があるところであろう。

 エッセー「団塊SONGS」を配信中。毎日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp