我々は名古屋出身で、首都圏に来ている高校時代の同期が集まって、年に1度ほど同期会を開いている。先日は、東京ドームホテルのランチバイキングに舌鼓を打ち、その後43階のカフェでおしゃべりに興じた。
5時半にお開きになり、11名がエレベーターで地上まで降りた。そのエレベーターの中で、誰かが、娘からスマホにしたら、と言われていてね、と言い出した。その言葉を受けて、一斉にみんなが「止めとけ」と声を揃えた。
聞けば、そのエレベーターの箱に乗っていた全員が、ガラケーのケータイを使っている。さすがにびっくりした。「あんな高いもの使えるか」「小さい画面でネットなんか見ないしね」「メールだってガラケーで十分よ」と、いろいろと意見を言い合っていた。
全員65歳前後である。お互いメールで連絡を取り合っているから、パソコンは使っている。だからスマホを使っても、さほどの抵抗なく入れることだろうが、スマホにはみんな拒否感が強い。
どうしてだろう、と思うが、結局ガラケーで足りている、というのがもっとも大きな理由だろう。スマホが必要な状況というのは、外出先でネットを含めて、いろいろなアプリを使いたいわけだが、そもそもあまり不要な外出もしなくなっているし、外出するならみんな準備もしっかりしていく世代だ。
だからスマホを使う状況が生じない。私もまだスマホを使っていないから、もっと便利な機能やアプリもあるのだろうが、現在のガラケーで不便を感じているわけではない。
まだ仕事をしており、スマホを使うなら、パソコンを持ってそれで仕事もしたい、というニーズがあり、スマホで仕事ができるわけではないから、やっぱり不要ということになろう。
先に帰った同期のひとりは、ガラケーとiPadを使っている。「スマホ? あんなの要らないよ。スマホを使えば1万円近くになってしまうが、ガラケーとタブレットなら、6000円程度で済んでいる。ネットはやっぱり大きな画面で見たほうがいいしね」というのが、彼の論理だった。
ケータイの半分近くがスマホになっている。実際、スマホによって通信3社はがっぽり儲かるような仕組みができ上がっている。ユーザーが好んで使っているから、文句をいう筋合いではないが、どこかはめられているような気がする。
一生懸命仕事で稼いでも、通信料やわけの分からないアプリや割賦などで課金されて、毎月の固定費でヒーヒー言っているのが実態だ。しかもすぐに新しいタイプが出てくる。当然、スマホにどっぷり浸かっていれば、欲しくなるだろう。また買って、支払いに追われるわけだ。
その繰り返しの中で、結局スマホに振り回されているような状況が生じている。かつて私は仕事でアップルのマッキントッシュを使っていた。マックではなくマッキントッシュという感覚なのだが、漢字Talkなどで新しいOSが出れば、すぐに買いバージョンアップ、アプリも買い仕事もやりやすくなったことは確かだが、けっこう振り回されていた。パソコンが発展途上だったから仕方がない面があるが、それでもどこかで止めて、そのまま使い切ることもできた。
スマホもそうした面があろう。かつてのPC からスマホが主役になって、スマホによって人々が使わされている逆転的な状況が感じられる。スマホではなく、道具として使っているのは人間なんだ、という自覚が必要なのではないだろうか。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
5時半にお開きになり、11名がエレベーターで地上まで降りた。そのエレベーターの中で、誰かが、娘からスマホにしたら、と言われていてね、と言い出した。その言葉を受けて、一斉にみんなが「止めとけ」と声を揃えた。
聞けば、そのエレベーターの箱に乗っていた全員が、ガラケーのケータイを使っている。さすがにびっくりした。「あんな高いもの使えるか」「小さい画面でネットなんか見ないしね」「メールだってガラケーで十分よ」と、いろいろと意見を言い合っていた。
全員65歳前後である。お互いメールで連絡を取り合っているから、パソコンは使っている。だからスマホを使っても、さほどの抵抗なく入れることだろうが、スマホにはみんな拒否感が強い。
どうしてだろう、と思うが、結局ガラケーで足りている、というのがもっとも大きな理由だろう。スマホが必要な状況というのは、外出先でネットを含めて、いろいろなアプリを使いたいわけだが、そもそもあまり不要な外出もしなくなっているし、外出するならみんな準備もしっかりしていく世代だ。
だからスマホを使う状況が生じない。私もまだスマホを使っていないから、もっと便利な機能やアプリもあるのだろうが、現在のガラケーで不便を感じているわけではない。
まだ仕事をしており、スマホを使うなら、パソコンを持ってそれで仕事もしたい、というニーズがあり、スマホで仕事ができるわけではないから、やっぱり不要ということになろう。
先に帰った同期のひとりは、ガラケーとiPadを使っている。「スマホ? あんなの要らないよ。スマホを使えば1万円近くになってしまうが、ガラケーとタブレットなら、6000円程度で済んでいる。ネットはやっぱり大きな画面で見たほうがいいしね」というのが、彼の論理だった。
ケータイの半分近くがスマホになっている。実際、スマホによって通信3社はがっぽり儲かるような仕組みができ上がっている。ユーザーが好んで使っているから、文句をいう筋合いではないが、どこかはめられているような気がする。
一生懸命仕事で稼いでも、通信料やわけの分からないアプリや割賦などで課金されて、毎月の固定費でヒーヒー言っているのが実態だ。しかもすぐに新しいタイプが出てくる。当然、スマホにどっぷり浸かっていれば、欲しくなるだろう。また買って、支払いに追われるわけだ。
その繰り返しの中で、結局スマホに振り回されているような状況が生じている。かつて私は仕事でアップルのマッキントッシュを使っていた。マックではなくマッキントッシュという感覚なのだが、漢字Talkなどで新しいOSが出れば、すぐに買いバージョンアップ、アプリも買い仕事もやりやすくなったことは確かだが、けっこう振り回されていた。パソコンが発展途上だったから仕方がない面があるが、それでもどこかで止めて、そのまま使い切ることもできた。
スマホもそうした面があろう。かつてのPC からスマホが主役になって、スマホによって人々が使わされている逆転的な状況が感じられる。スマホではなく、道具として使っているのは人間なんだ、という自覚が必要なのではないだろうか。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp