日本酒よ、おまえもか、という心境であろう、酒呑みは。誤表示ではなく偽装表示で、日本酒メーカーの富久娘酒造がやってしまった。純米酒や吟醸酒に偽装表示があった。
まあ、詳しいことはマスコミ報道を読んでほしいが、たぶんこれからも酒造メーカーから、同じような偽装表示が発覚するであろう。なぜなら、デパートやホテルで相次いでいるからだ。
どうも、こうした偽装表示というより、調理の手法をどこかでコンサルティングした組織がいるのではないか。特定の人物か組織がいないならば、ネットワークでありそうだ。
つまり、これほど同じような偽装が一斉に起こるわけがないからだ。あるいは、全国のグルメのシェフのネットワークがあり、そこの誰かが、もし特定の食材がない時に、これで代用することができる、といってアドバイスをしたとすると、みんなが注目する。そんなところからはじまったのだろうか。蔓延するというのは、そうとしか考えられないからだ。
ただ常にコストの安いもので代用されているから、やはりコスト削減という経営的な要請がバックにあったのだろう。それで偽装をやってしまう。お客の誰も気がつかない。最初は恐る恐るだが、常習になれば大胆になって、良心も麻痺してしまおう。
今回の表面化によって分かったことは、表示のいい加減さだろう。何をもって信用できるのか、といえば、その料理を提供している店であろう。その店が信用できないとなれば、グルメなどは無意味になってしまう。気に入った食材を買ってきて、自分で料理することがもっとも楽しめることになるのではないか。
そうした偽装の料理に舌鼓を打って、人にでも勧めていた食通というのも、嗤ってしまう存在であろう。きっと冷や汗もので過ごしていようが、もうひとつは日本が営々と築いてきた信用という問題を、地に貶しめたということは大問題だ。
どうやって回復するのか。なにをもって信用できるのか。結局、食材や値段ではなく、自らの舌を信じて、実際に食べ飲んでみて、判断するしかあるまい。
クチコミなどのネット情報を信じて、並んで食べる例が多いが、それだって人の判断に頼っている。失敗してもいいから、自分の判断で美味そうな店や食材を探し、それで見つけることができれば、その感動は大きいだろう。その試行錯誤が、自分の舌を育てることになろう。
味覚は小学生ぐらいまでで決定するという。その齢ぐらいまでに、本物の料理を食した人間は、本物の食通になれよう。多くはリッチな家庭に育っていることが条件になろう。
しかし、長じていくらグルメを食しても、たぶん追い付けない。なぜなら、基準がないからだ。子供の時に味わった本物の味という基準があって、初めて美味い不味いの判断ができるからだ。ただそれは本物の食通のことだ。
我々のような一般人であっても、前述のように人に頼らず自分の判断で、なにごとも食していきたい。それは酒もそうだろう。私は酒の味は分からない、と常に言っている。比べれば、美味い不味いが分かるが、それだけならチンプンカンプンだ。
それでも酒を愉しむことはできる。大切なことは、酒でも料理でも愉しむことで、人生を豊かにすることではないか。
エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp
まあ、詳しいことはマスコミ報道を読んでほしいが、たぶんこれからも酒造メーカーから、同じような偽装表示が発覚するであろう。なぜなら、デパートやホテルで相次いでいるからだ。
どうも、こうした偽装表示というより、調理の手法をどこかでコンサルティングした組織がいるのではないか。特定の人物か組織がいないならば、ネットワークでありそうだ。
つまり、これほど同じような偽装が一斉に起こるわけがないからだ。あるいは、全国のグルメのシェフのネットワークがあり、そこの誰かが、もし特定の食材がない時に、これで代用することができる、といってアドバイスをしたとすると、みんなが注目する。そんなところからはじまったのだろうか。蔓延するというのは、そうとしか考えられないからだ。
ただ常にコストの安いもので代用されているから、やはりコスト削減という経営的な要請がバックにあったのだろう。それで偽装をやってしまう。お客の誰も気がつかない。最初は恐る恐るだが、常習になれば大胆になって、良心も麻痺してしまおう。
今回の表面化によって分かったことは、表示のいい加減さだろう。何をもって信用できるのか、といえば、その料理を提供している店であろう。その店が信用できないとなれば、グルメなどは無意味になってしまう。気に入った食材を買ってきて、自分で料理することがもっとも楽しめることになるのではないか。
そうした偽装の料理に舌鼓を打って、人にでも勧めていた食通というのも、嗤ってしまう存在であろう。きっと冷や汗もので過ごしていようが、もうひとつは日本が営々と築いてきた信用という問題を、地に貶しめたということは大問題だ。
どうやって回復するのか。なにをもって信用できるのか。結局、食材や値段ではなく、自らの舌を信じて、実際に食べ飲んでみて、判断するしかあるまい。
クチコミなどのネット情報を信じて、並んで食べる例が多いが、それだって人の判断に頼っている。失敗してもいいから、自分の判断で美味そうな店や食材を探し、それで見つけることができれば、その感動は大きいだろう。その試行錯誤が、自分の舌を育てることになろう。
味覚は小学生ぐらいまでで決定するという。その齢ぐらいまでに、本物の料理を食した人間は、本物の食通になれよう。多くはリッチな家庭に育っていることが条件になろう。
しかし、長じていくらグルメを食しても、たぶん追い付けない。なぜなら、基準がないからだ。子供の時に味わった本物の味という基準があって、初めて美味い不味いの判断ができるからだ。ただそれは本物の食通のことだ。
我々のような一般人であっても、前述のように人に頼らず自分の判断で、なにごとも食していきたい。それは酒もそうだろう。私は酒の味は分からない、と常に言っている。比べれば、美味い不味いが分かるが、それだけならチンプンカンプンだ。
それでも酒を愉しむことはできる。大切なことは、酒でも料理でも愉しむことで、人生を豊かにすることではないか。
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