団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

飲み屋ロス?

2013-12-26 11:37:38 | Weblog
 今年の9月で終わったNHKの朝の連ドラの『あまちゃん』でいわれたあまロス。あまちゃんが観られなくなって、ある種の喪失感が指摘されていた。
 それと似たよう経験として、行きつけの飲み屋が今年の末に閉店することになった。21年間の営業であった。ママの年齢は64歳で、まだまだ頑張れる齢ではあるが、常連客の高齢化があり、ほぼ年金生活者が主体となり、水商売でいう客の来ない坊主の日もあって、継続する意欲がなくなってしまった。
 私はたぶん6~7年ぐらいの顧客だろうか。仕事仲間のふたりで、たまには目新しい店でも行くか、といって、新橋のビルの地下をうろうろとしていた。狭い店がひしめくような通路をキョロキョロしながら歩き、ふっと客のいない店が目に入った。
 ちょっと見、美人のママがこちらを向いた。格段に変哲もない小さな飲み屋であったが、気が向いて入った。なにを話したのか覚えていないが、それからちょくちょく顔を出すようになった。
 足繁く行くようになったのは、ここ3年ぐらいだろうか。同業の仲間や友人、業界の知り合いなども連れて、けっこう店には貢献したろうと思う。
 この店はメニューは一切なく、ただママが作る家庭料理を順番に食すのみである。最初はほうれん草のおしたし、次にハスや人参の煮物、夏なら冷奴、冬は湯豆腐、ほぼ最後にサラダが出る。それが終わると、チーズになったりイカの塩辛になったり、といろいろだ。
 いいちこのボトルが3000円で、ひと通り食べて飲んで3000円程度で済む。いろいろな人と知り合ったり、ここをベースにして、カラオケバーにも出入りするようになった。歌を覚えたのも、この店に来てからだろうか。
 私は昔からカウンターの狭い店が好きで、できるならママひとりの店を好んだ。女房と知り合ったのも、そういう店だった。
 こういう狭い店では、両隣の人と話が弾む。常連になれば、全員でひとつの話題で盛り上がることも多い。けっこう当意即妙の対応が必要で、酔っぱらいながらも、周りに気配りをしつつ、議論をすることが多い。
 意外と、私的な話題は少ない。割と社会性のある話題が多く、勉強になることも多い。私は写真・カメラの業界だが、まったく別の業界や地方生まれの人もいて、教えられることが多い。
 こういう店で、相手を観察しつつ、話を合わせることにも習熟した。ある種、聞き上手になったのかもしれない。べらべらと自分のことばかり喋る人は、あまり好まれない。人の悪口も良くない。言ってみれば、当たり障りのない話題になってしまうが、その中庸さが肝心だろうと思う。
 問題は、この店がなくなり、次の常連店を探すのも、ひとつの課題だ。すでにこの界隈で知っている店は、カラオケバーが2軒、和食の美味しい店、チャイナママの立ち飲み屋、といろいろとある。しかし、閉店する店に代わるほどのところはない。この店の魅力はママのキャラクターに尽きよう。
 さて、どうしたものか。それで、飲み屋ロスというわけだ。ただ新しい店を開拓するのも、こうした飲み屋の愉しみのひとつでもあろう。

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