団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

分からないことばかり

2014-03-13 14:53:44 | Weblog
 最近、どうもわけが分からないことが多いような気がする。要は、事件・事故などが単純ではなくなってきたのか、あるいはそれを報じるメディアの説明や仕方が劣化したのだろうか。
 まずSTAP細胞。早い話、小保方さんを出して、しっかりと研究成果のプロセスを聞けばいいではないか。ここまで騒がれて、小保方さんはなぜ公の場に出てこないのか。割烹着が泣こう、というものだろう。
 佐村河内問題。これも新垣さんと泥仕合に入ってしまった。どちらが悪いのか、よく分からなくなってしまったが、佐村河内さんがペテン師、新垣さんがその協力者というふうに見ればいいのだろうか。分かったことは、クラシック音楽というのはその評価が分からない、ということがよく分かったわけだ。
 マレーシア機の消失も分からない。これはただ捜索海域を間違えているだけかもしれないが、いきなり消息を絶ったというのが理解できないだろう。人工衛星は街中を歩いている人間も判別できる、というカメラ性能らしいが、もっと大きい飛行機がどうして見つからないのだろうか。場所が分からなければ、そんな性能も無意味ということなのか。
 先般書いた柏の殺傷事件も、やはり動機がよく分からない。単なる凶暴なバカなのか、精神異常者か。裁判になって精神異常で無実なんてことにならないように願うばかりだ。
 ようやく犯人が捕まったが、アンネの日記損壊事件も分からないなあ。なんとなくメディアは、その動機についてまったく触れないが、たぶん日本の右傾化をそういう形でアピールしたかったのだろう。で、誰が利益を得るのか。当然、中国や韓国であろう。日本の右傾化は軍国化、日本をまた悪者にすることができる。左傾メディアは特にそうしたことは報じないものだから、ますます分からなくなる。
 ジャパニーズ・オンリーという横断幕を掲げて顰蹙を買った浦和レッズ戦。浦和レッズがそんな悪いとは思えないが、これも日本の右傾化をひとつの形でアピールしたのだろう。確かに日本の若者は、先日の都知事選で保守化の傾向が強い、という結果が出ている。しかし、いきなり右傾化もないものだろう。左傾が進歩的という変な日本社会の思い込みに一定の反省が出ているのだろう。裏に中国がいるかもしれない。
『文藝春秋』の最新刊で、団塊世代の断罪をテーマにしているが、要は左寄りの進歩的文化人の脆弱性と偽善性というのがベースにあるだろう。私も団塊世代だが、ひと括りされる不愉快さはあり、世代で説明はつきやすいが、それが全てではないのは当たり前のことだ。文藝春秋社内でも、団塊世代が少なくなっているかもしれない。
 というわけで、書き連ねてくると、分からないことが多い。なんとなく日本社会を覆ってきた戦後からの価値観がなし崩しに終わり、新しい価値観が生まれつつあるような気がする。その戦後の価値観を引きずってきた最後の世代が我々だ。しかも最大の人口数で、流行を作り景気も良くしてきたが、弊害も最大になった。確かに他の世代からすれば、もう終わりにしたいのは理解できる。
 
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