団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

新・東京裁判を

2015-08-13 14:23:51 | Weblog
 前回で書いた、どうしてあの戦争がそんなに悲惨な結果を招いたのか、という観点でいうと、いろいろな論考があるだろう。きっとこれまでも議論され一定の結論を得ていることかもしれないが、問題はそれが国民に共有されていないことではないか。
 戦前、日本は軍部が台頭し、政治が弱体化し、国民は好戦気分に浮かれていた。いろいろな要因が重なって、戦線は拡大していったのだろうが、その折々のキーマンがいたはずで、誰かが決定して、その結果を招き、その結果が次の原因を作って、次の戦争へと駆り立てていったのだろう。
 それらの事件や事変を検証し、会議や空気ではなく、决定したキーマンを特定して、その人物がやったことである、と明確にすべきではないか。それを中国事変から太平洋戦争まで、すべてにわたってはっきりさせ、それを公開し、国民の共有認識にすべきではないか。
 例えば、真珠湾攻撃は誰が発案し命令したのか。その時点で停戦にできなかったのか。ミッドウェイで負けた時にもそうであろうし、南方の玉砕は止められなかったのか。なぜ沖縄決算まで突き進んだのか。どこかの時点でなんらかの方策はなかったか。負け始めた時点で、抗戦派は誰で停戦派は誰と特定できないか。
 むろん時間はかかる。ただ戦勝国が勝手に裁いた東京裁判がある。それをもう一度再現し、日本人によって日本人を裁く新・東京裁判を改めて開廷すべき時だろう。さらに進駐軍による占領政策も対象にして、それも検証して、戦後の歪んだ価値観を是正すべきではないか。
 結局、東京裁判で日本人の裁きを戦勝国に任せて、それが終わったら国民みんな免罪符を得たようになってしまった。しかし原爆や東京大空襲で苦しみ死んでいった人々にとって、やはり怨みの矛先はあるのが当たり前だ。
 その意味で、連合国による非戦闘員の大量殺戮もまた検証すべきことである。戦後70年経て、ようやく生き抜いた人々は重い口を開くようになった。ただそれは実体験が限界であり、本当に知るべきは、誰があの戦争を起こし、どうしてああなつてしまったのか、という答えではないか。
 それを改めてはっきりさせることが、本当の意味での抑止力になる。分かりやすくいえば、責任者出てこい、というのが国民の本音であろう。最近の国立競技場の迷走、原発再稼働など、やはり責任者不在でコトが進んでいる。どこか戦争へ向かった時と酷似している。
 すべてのことは特定の人間がやったことだ。誰かがやってそうなったのに、その誰かは匿名性の中に逃げ込んでしまう。そんな国だからこそ、変えていかなければならない。
 
 エッセー「団塊SONGS」を配信中。原則的に隔週の日曜日にhttp://ameblo.jp/shiratorimn/にアップロードしています。エッセーで書いた歌は「団塊SONGS」(検索)で聴くことができます。カメラと写真の情報は「Web写真人」で。URLはhttp://shashinjin.digiweb.jp