団塊の世代の世間話

60年を生きてきた思いを綴った「ゼロマイナス1 団塊の世代の世間話」を上梓し、その延長でブログを発信。

「スマホばか」と呼ぼう

2015-10-24 11:04:32 | Weblog
 最近、車内で携帯電話・スマホの使い方が変わった。通話は遠慮するのはもちろんだが、混雑時に優先席のそばでは電源を切る、というもの。混雑時でなければ、電源を切る必要がなくなったわけだ。
 以前のルールも今回の新ルールも基本的なことを忘れている。いったいそのルールを守っているやつがいるのか、という問題だ。鉄道会社はルールを決めて、それを公表すれば、仕事が済んだような気でいるのだろうが、実際はそのルールが守られなければ意味がなく、ルールを決めることそのものが無意味なのだ。
 つまり形式主義なのである。私だって優先席に座って、スマホの電源を切ったことがない。確かにペースメーカーを埋め込んだ人は、混在時に電車に乗ることは不安であろう。ただペースメーカーの上の皮膚にスマホを密着させなければ、誤作動を起こすことはないそうで、だから新ルールが適用されたのだろう。
 というわけで、そんな面倒なルールなどは決めず、車内での通話はノー、でいいのではないか。前述の新ルールでなければ、なにかトラブルがあれば鉄道会社の責任、という形を避けているのだろう。つまりあの新ルールはうちに責任はなく、責任があるのはお客さんあんたらよ、といっているようなものである。
 最近ではめったに自分からかける人はいなくて、かかってきてしぶしぶ電話に出ている人のほうが多い。かけているほうも車内なら無理強いしないし、そうした新しい使い方ルールが定着してきている。むろんネットを楽しんでいる人は多い。こうした人はただ画面に見入っているだけだから迷惑はないのだが、入口付近で立ったままスマホに夢中になって、周りが見えない人が困る。乗降客の迷惑この上ない。
 こういうのをこれから「スマホばか」と呼んだらどうだろうか。歩きながら見ていて転ぶ人、道の真ん中で立ち止まってしまう人、スマホを持ってキョロキョロしている人。みんな「スマホばか」である。もっともそうなると、日本人の大半が「スマホばか」になってしまうのは、困りものである。
 そもそも仕事で使っているのなら、事前に調べることが必要で、現場に行って慌ててスマホで検索、なんてのは下の下である。なにごとも下準備は必要なことだ。
 それにしても、いったい日長一日なにを見ているのだろうか。私はほぼパソコンメールの確認程度。あとはショートメールと通話。それで足りているが、仲間との会話もなく、ただスマホに見入るだけの人もやはり「スマホばか」なんだろう。その便利性の先にある見えない弊害が怖い。
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