安倍の伯母さんの家を出てから、聞いた話を反芻する。
(慶の家族にかけあったって言ってたな……)
慶から母と家族が会ったという話は聞いていない。慶も知らないのかもしれないし、知っていても教えてくれないかもしれない。
「かけあった」って何を言ったのだろう。どうせ失礼なことを言ったに決まっている。
慶の妹の南ちゃんにコッソリ聞いてみよう……。
そんなことを考えながら、アマリリリスの入口側の通りに出ようとしたところ、
「!!」
驚いて、再び家側の路地に戻った。そしてこっそりと塀の陰に隠れながら進む。
「………なんで」
アマリリリスの斜め前の電柱の横に………母の姿があった。
正面の大きな窓越しに、店内の様子を見ているようだった。
タイミング良く、アマリリリスのドアが開いた。
女子大生4人組が大声で話しながら出てくる。
「あ~慶君バイトやめちゃうなんてショックー」
「せっかく目の保養にきてたのにさ~~」
「もうここに来ることもなくなるね~」
「だねー慶君いないんじゃ、意味ないもんね」
女子大生たちの声が響き渡る。
店長さん、すみません。きっと売上下がりますよね。
慶、ごめんね。バイト楽しいって言ってたよね。本当は辞めたくなかったよね。
女子大生の会話を聞いて安心したような顔をした母。
(……今、笑った……?)
説得だのなんだのいって、ようは慶に嫌がらせをすることが目的だったのか……?
慶がバイトを辞めることになって満足したというのか……?
母が背を向け、駅の方に向かって歩き出した。
高いヒール。毛皮のコート。ブランド物のバッグ。高価なものに身を包んだ魔女。
「許せない……」
怒りで頭が沸騰する。歯を食いしばり、手がやぶれるくらい拳を握りしめる。
「許せない……」
母に対する殺意。抑えきれない。
どこまで自分の思い通りにすれば気が済むんだ?
おれは一生縛りつけられたままなのか?
「許せない……」
いなくなればいい。
あんたなんか、いなくなればいい。
「………いなくなればいい」
その黒い後ろ姿へと、一歩、踏み出したところ……いきなり後ろから腕をつかまれた。
「……っ」
振り向くと、大きな瞳がそこにあった。
「あかね……」
「ちょっとこっちきて」
そのまま力強く引っ張られた。
視界の隅に母の後ろ姿が写りつづける。黒いしみのように。
***
しばらく黙々と歩いて、小さな公園についたところで手を離された。ちょうど狭間の時間なのか、誰もいない。
「センセー、殺気出しすぎ。警察捕まるよ?」
「…………」
あかねが冷やかすように言う。
おれは言葉を失った。気付かれた……。
蒼白しているであろうおれの顔をあかねは正面からまじまじとみると、
「こーすけセンセーってさー」
「……っ」
いきなり指で頬をつついてきた。
「何す……」
「どれが本当の顔?」
「え?」
聞きかえすと、つついていた指を離し、1、2と順々に立てはじめた。
「いち。アマリリリスにいたときの寡黙でけだるそうな顔」
「に。子供たちといるときの元気で明るい顔」
「さん。希衣子ちゃんに見せていた誠実な顔」
「よん。私をおちょくってくるふざけた顔」
「ご。慶君にだけみせる愛おしそうな顔。子供みたいにふくれたりじゃれついたりする顔」
「それから」
あかねは言葉を切り、真面目な顔でこちらを見上げた。
「今の、殺気丸出しの殺人犯みたいな顔」
「殺人犯………」
確かに。あそこで本能に従っていたらおれは殺人犯になっていた。
「ま、座って話でもしましょ」
言うと、あかねがストンとベンチに腰掛けた。おれも隣に腰をおろす。
しばらくぼんやりと空(今日はおそろしいほど澄んだ青い色をしている)を見上げていたが、やがてあかねがぽつりと言った。
「白雪姫に毒りんご食べさせたお母さんってさ、今の本とかだと継母ってことになってるけど、グリム童話の初版本だと実母なんだよ。知ってた?」
「……うん。何かで読んだことある」
唐突だなあと思いつつ答えると、あかねは長い足をすっと組み替えた。
「ほら、私って、美人でしょ?」
「は?」
いきなり何を言い出すんだろう。
「それにスタイルもいい。頭もいい。運動神経抜群。ホント完璧」
「………?」
眉を寄せてあかねを見返すと、あかねはふふっと笑った。
「だから、私の母は私のことが殺したいほど嫌いだった」
「え」
突然の告白。あかねは淡々と続ける。
「元々母とはそりが合わなかったっていうのに、母の再婚相手がまだ中学生だった私に手を出そうとしたのが決定打でね。あんたなんか死ねばいいって面と向かって言われたわ」
「……」
「母は旦那の連れ子を手なずけて、私に嫌がらせをしようとしたんだけど、ざーんねーん。オニイチャンももうすでに私の虜。こっちはオニイチャンの魔の手から逃れるのに必死だったわよ」
「……」
「母も私のこと嫌いならほっとけばいいのに、やたらと干渉してくる人でさ。私のこといやらし~い目で見てくる義理の父と兄も嫌だったけど、母の罵詈雑言のほうが精神的に堪えてね。で、私に甘い義理の父をうまいこといいくるめて、東京の大学に行かせてもらえたから、今はかなり平和なんだ~私」
「………」
あっさりと言っているけど、内容はハードだ。
「あのまま一緒に暮らしてたら、私が母に殺されるか、私が母を殺すかしてたと思う」
「あかねサン……」
あかねはケロっとした顔をしておれを振り返った。
「センセーは親と同居?」
「……うん」
「じゃあ、がんばってお金ためな。離れて暮らしたらかなりマシになるよ」
「マシって」
「少なくとも、殺す機会は減る」
「……………」
あかねの大きな瞳から目をそらす。
「………なんでおれの殺したい相手が親だって分かったの?」
なんとか震えずに聞くと、あかねは、ああ、と肯いて、
「ウワサ聞いたの。慶君の彼女の母親が来て、二人を別れさせようとしてるって。そのお母さん、毛皮のコート着た金持ち風の人だって話だったからさ。さっき道の先歩いてた人がその彼女さんのお母さんかな?と」
「………彼女?」
「うん。相手が男だってことはみんな気がついてないみたいよ」
良かった。それはせめてもの救いだ。
「で、みんなお母さんの応援してたよ」
「………なにそれ」
ふ、ふ、ふ、とあかねが笑う。
「そりゃそうよ~。慶君のこと狙ってる子多いからね。是非別れさせてください!てなもんよ」
「そっか………」
それはそれで微妙な話だ……。
「でも慶君がバイト辞めちゃったのは予定外。今度はみんな怒ってる。勝手よね」
「…………」
そう、慶は母のせいでバイトを辞めた。まわりにもたくさん迷惑をかけている。
また怒りが沸々とこみあがってくる。
「………おれ、ここまで親にリアルに殺意を持ったの初めてだよ」
「センセー?」
ポンポンと肩を叩かれる。
「くれぐれも実行しないでよ? 慶君に迷惑かかるんだからね」
「迷惑?」
きょとんと聞きかえすと、あかねはオーバーに手を広げた。
「そりゃそうよ。『有名大学在学中の男、実母を刺殺!エリート一家に何があったのか?!』みたいな特集ワイドショーで組まれて根掘り葉掘り調べられて、慶君もレポーターに追いかけられて……みたいになること目に見えてるじゃない。ホントやめなさいよ?」
あかねの眉間にシワが寄っている。
なんか……変だ。
思わず、その心のままつぶやく。
「あかねサンって……面白いね」
「面白い?」
「普通、親を殺したいなんてとんでもない、みたいな説教から入らない?」
「説教なんてするわけないじゃない。自分だってそう思ってるのに」
ケロリというあかね。
「………」
顔を見合わせ、お互い吹き出した。
なんだか心が清々しい。今日の青い空みたいだ。
親に対する殺意、なんてとんでもないもの。誰にも話せないはずだった。誰にも理解してもらえないはずだった。
あかねはごく自然におれの心に同化してくれる。
「さっきの質問………」
ふと思い出した。どれが本当のおれなのかって質問だ。
「自分でもわかんない。どれも本当じゃない気もする」
「そっか」
でも。
「でも一つ分かっていることは、おれは慶と一緒にいるときの自分が一番好き」
慶と一緒にいる時のおれ。前向きで頑張り屋。素直で子供っぽくて甘えん坊。こうありたかった子供時代のおれの姿。慶と一緒にいると無理なくそんな自分でいられる。
「慶といるときの自分を、本当の自分にしたい」
「あら、ごちそうさま」
冷やかすように言うあかねに、でも、と付け加える。
「でも、あかねサンと一緒にいるときの自分も結構好き」
「あら、そう?」
あかねが大きな目をさらに大きくした。
おれは今思っていることを素直に吐き出した。
「なんか分かんないけど、あかねサンにはあんま考えないで話せる。今もそう。考えてみたらはじめからかも。初日に不機嫌なの顔に出しちゃったくらいだし。おれ、事なかれ主義でわりと愛想良い方だから、あれは自分でも後からちょっと戸惑った」
「あー」
あかねは、うんうん、と肯くと、
「実はさー、私もこーすけセンセーといるとラクなんだよね」
「ラク?」
「ほら、私って恋愛対象が女の子じゃない? だから女の子の友達っていつでも恋愛対象に変わる可能性もあるから色々な意味で構えちゃうところあって。かといって、男性は、向こうが私を恋愛対象として見る可能性があるから下手なこといったりしたりできないとういうか……」
「……」
「そこいくと、こーすけセンセーは、男性でありながら男の慶君一筋だから、何も構えないで話せる」
なるほど。
「私はわりと『自分』があるほうだから、人に合わせたり、色々考えたりするの面倒くさくてさ。演劇ではどんな人物にでもなれるんだけどね」
「あ」
あかねの演技を思い出し、ポンと手を打つ。
「あかねの……あ、いや、あかねサンの」
思わず呼び捨てにしてしまい、言い直すと、あかねに背中を叩かれた。
「もーいいよ。あかねで。前から思ってたんだけど、取ってつけた感じ丸出しの「サン」、感じ悪いよ」
「………」
感じ悪いって……。
「それを言うならあかねサンの『センセー』の方がよっぽど取ってつけた感じじゃん」
「取ってつけてるもん」
つけてるのかっ。
「……じゃあ、その『センセー』、感じ悪いからやめてください」
「そっちこそサン付けやめてよ。ってか、何言おうとしてたのよ?」
そうだった。
「はじめてあかねサンの読み聞かせ聞いた時、おれホント感動したの」
感動がよみがえってくる。どの人格も、あかね自身であるようなリアルさ。
「どれも全部本物みたいで……。おれも本物になりたいって思った」
「なれるよ」
にっこりとあかねが笑う。
「浩介なら、なれるよ」
「…………」
なれるだろうか。なりたい自分に。
黙ったおれに、あかねは明るく続ける。
「だーーって、あんたには慶君がいるもん。変態王子の慶君が」
「変態王子?!」
なんだそれはっ失礼なっ。
「だって、王子様は、毒りんご食べて死んじゃった白雪姫にキスするんだよ? 初対面の死人にキスって、そうとうキテる王子だよね?」
「そんな夢も希望もないこと……」
確かに白雪姫の王子はそうだけど……。
ふいにあかねが真面目な顔になる。
「でもその変態王子のおかげで、白雪姫は生き返る。そして母親から解放されて幸せに暮らす」
「…………」
「慶君は浩介を生き返らせてくれた。二人はこれからも幸せに暮らすの」
「あかね……」
幸せに……。
「自由への道、だよ」
先日希衣子ちゃんに言っていた言葉だ。自由への道。
「自由への道……」
「私たちは、自由への道へと進むのよ」
あかねの意志の強い目が、挑むように空を見上げる。その視線の先に上へ上へと進むための白い道が見えた気がした。
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長かった……けど、なんとか書きたかった「私たちは自由への道へと進むのよ」までたどり着いた。
あと3回くらいで浩介ターン終わらせたい……。
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