珈琲を入れてくれる綾さんの後姿を見ながら、その白いうなじにもう一度しゃぶりつきたい衝動にかられる。
でも。我慢我慢。
前に一度それをやって「今度同じことしたらもう二度とやらせない」と猛烈に怒られたのだ。たった一度の衝動でこれから何百とあるはずの快楽を手放す馬鹿をする気はない。
けど。うずうずする。
さっきまであんなに淫らで切ない表情をしていたのに、スイッチが切り替わった綾さんは別人のように冷静沈着。
その銀の縁の眼鏡が仮面の役割をしているようだ。
眼鏡を外した綾さんはあんなに情熱的だったのに……。
ああ、いかんいかん。衝動に負けそうになる。
別のことを考えないと。別のこと別のこと……。
「姫、ご乱心」
「……え?」
悶々としていた私の前に、珈琲が差し出された。
すっかり「先輩・後輩」モードに切り替わった綾さんがニコリともせずに言葉を継ぐ。
「みんな噂してたわよ。姫、ご乱心。男をデートに誘ったって」
「ああ……」
女子の噂の速度は恐ろしい。
綾さんは珈琲に口をつけながら上目遣いにこちらをみた。
「『アマリリリスの天使』。あの、新しいバイトの男の子のことでしょ? 綺麗な子よね?」
「そう?綾さんの方が綺麗だよ?」
言うと、綾さんの視線が凍るように冷たくなった。
その目。ゾクゾクする。
先輩モードの時に甘い言葉を言うと必ずこうなる。綾さん、魅力的すぎる。
でも。これ以上刺激して、本当に会ってもらえなくなると困るので話をそらすことにした。
「でも、あっさり振られたよ。好きな人がいるのでスミマセン、だって」
「ふーん? ご乱心って本当だったんだ?」
「あー……」
あら。そっちの言い訳、先にしなくちゃいけなかったか。
「ご乱心っていうかねー……、ほら、こないだのオーディション落ちたじゃない? 私」
憧れの監督の舞台のオーディションだった。主人公と激しい恋に落ちるヒロイン役。
「監督に理由を聞いたの。私のどこが悪かったのかって」
「どこだって?」
興味を持ってくれた綾さんに、肩をすくめてみせる。
「色気のなさ、だって。君は男性経験ないだろう、って言われちゃった」
「なるほど」
「なるほど? 納得しちゃう? そこ」
「だって、経験ないでしょ?」
おかしそうに言う綾さん。
ええ。確かに男性経験はありませんよ。女性経験は数え切れないほどありますが。
「それで、アマリリリスの天使に声をかけてみたってこと?」
「そう。あの子、中性的だから何とかなるかな、とか思って。まあ結局振られたんだけど」
「何とかなりそうだった?」
「うーん……」
天使の顔を思い浮かべる。確かに綺麗な顔をしているけれど……
「やっぱり無理。顔は綺麗でも喉仏あるし、声も男だし」
「ふーん?」
綾さんが小首をかしげる。
「でも、もう一つ、情報が入ってきてるわよ?」
「情報?」
なんだ?
「姫は『カウンターの君』にも興味があるらしい」
「…………」
本当に女子の噂話は怖い。
「いつもカウンターに座ってる大学生のことでしょ? こっちの子は普通に男じゃないの」
「あれはねー……」
にっこりと言う。
「面白そうだから」
「面白そう?」
眉間に皺を寄せた綾さんもキュートだ。嬉しくなってしまう。
「気にしてくれてるんだ?綾さん?」
「…………」
ふいと視線をそらす綾さん。かわいい。
「私が男に抱かれたりしたら、嫌?」
「…………」
怒られるかな? と内心ビビりながら綾さんを覗き込むと、
「あかねは……」
綾さんがポツリとつぶやいた。
「あかねは誰にも抱かれないわ」
「?」
どういう意味?と聞いた私に、綾さんは軽く首を横に振った。
その笑顔が果てしなく寂しそうに見えたのは気のせいだろうか。
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あかね視点の話はまだ続きます。
一気に書きたかったけど、書いてたらますます更新遅くなってしまうので、ここで切ってみました。
あかねさん、アマリリリスの天使、こと、渋谷慶のことを「あの子」呼ばわりしていますが、同じ歳です。
あかねは大学二年生。慶は浪人してるから一年生なんですね。
あかねと慶は同じ大学です。学部違うからキャンパス違うけど。
綾さんは演劇サークルの先輩。2歳年上。
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