白い服に身を包んだ慶。こちらに向かってふんわりとほほ笑んでいる。まるで天使だ。
そちらに行きたいのに、進むことができない。足が石のように重く動かない。
(慶……)
声が出ない。必死に呼びかける。慶、慶、と。
だって、ほら、そこに黒い魔女がいる。
(慶、逃げて……)
魔女が慶に近づいていく……
(やめて、やめて、やめて……っ)
「お母さん!!!」
「!」
自分の叫び声にびっくりして目を覚ます。
昨晩はほとんど眠れなかった。頭が痛い……。
今日はクリスマスイブ。ボランティア先でクリスマスパーティーがある。
慶は喫茶「アマリリリス」で一日だけバイト復帰すると昨日言っていた。店長のお孫さんが風邪をひいて娘さんが出勤できなってしまったのだが、クリスマスイブということもあって交代できるバイトが捕まらず、やむなく慶に連絡があったらしい。
だから、おれはクリスマスパーティー後に、久しぶりにアマリリリスに行くことにしていたのだが……。
「あら、浩介、おはよう」
「…………おはようございます」
台所で朝食の用意をしている母に低く挨拶をする。
なんだかんだ言っても、結局おれは母の世話になっている。食事も、洗濯も、すべてしてもらっている。その自覚はある。その感謝はしないといけないと思っている。だから、何があっても挨拶だけはきちんとしようと決めている。
「浩介、なんだか顔色悪いわね? 大丈夫? 今日の予定は?」
「ボランティアだったけど……休みます。今日はずっと家にいます」
「え、そうなの? そんなに悪いの?」
心配そうな顔をした母に「電話使います」と断ってから電話の子機を取る。
わざと母に聞こえるように、ダイニングテーブルの端に座って電話をする。
まず、事務局の方へ。いつもの真面目さが幸いして、特に疑問を持たれることもなく、それどころかものすごく心配されながら、休みの許可がもらえた。
そして、もう一本……
「あかね先生? 朝からすみません。桜井です」
『………………』
たぶん寝ていたのだろう。ゴソゴソと動く音だけがする。
『…………あれ?もうこんな時間……。目覚まし止めた?綾さん』
しまった。恋人と一緒だったらしい。何かボソボソと話す声がした後、
『失礼。どうかしました? 桜井先生』
いきなり余所行きの声に変わった。
「おれ、体調不良で今日休ませてもらうんですけど、ちょっとお願いがありまして………」
『はい。なんでしょう?』
「まず、アニサのことなんですけど………」
事務的な内容を色々話していたら、聞き耳を立てていた母がようやく満足したのか、換気扇をつけてジュージューと音を立てながら何かを炒めはじめた。
よし。今がチャンスだ。
「あ~、その件、おれ資料持ってます」
話を途中でぶっちぎって、勝手に話しはじめる。
「もしかしたらあかね先生も持ってるかもしれないんですけど……ちょっと待ってください……」
適当なことを言いながら、リビングまで移動する。ここなら聞こえないはず。
資料をローテーブルに並べながら、台所に背を向け、下に向かって話す。
「あかね。頼みがある」
『うん』
口調を変えると、勘のいいあかねは何も聞かず、うなずいてくれた。
「今日、慶がアマリリリスに一日だけ復帰してる。おれ帰りに寄る約束してたんだけど、行けないから代わりにいって行けなくなったこと伝えてもらえないかな」
『分かった』
「くれぐれも慶には体調不良ってことで。良くなったら連絡するって言って」
『それで大丈夫?』
「分かんない。とにかく今は見張ってないと不安で」
『了解。慶君にはうまいこと言っておくから任せて』
「ありがとう」
本当にありがとう。あかねのおかげでどれだけ助かるか。
『浩介』
あかねが心配そうに言う。
『早まらないでよ』
「…………うん」
考えなくてはならない。おれがどうしなければいけないのか。どうすれば慶を守れるのか。
「そういうことで、あかね先生。申し訳ないんですけどよろしくお願いします」
『承知しました。お大事になさってくださいね』
白々しく他人行儀な会話をして電話を切る。
「あかね先生って女性?」
「うん………」
ニコニコと母が朝食を運びながら聞いてくる。
悔しいほど、悲しいほど、おいしそうな匂いがしてくる。オムレツだ。
「おいくつ?」
「同じ歳」
「そう。同じボランティアをしてるんだから気も合いそうね。そういう子もいいわね」
「………………」
「具合は大丈夫? ねえ、お母さん、ケーキ焼こうかしら。クリスマスだものね。浩介がクリスマスにうちにいるなんて久しぶりね」
「………………」
はしゃぐ母を直視できず、オムレツに手を伸ばす。
「いただきます」
出来立てのオムレツ。卵がフワフワで………
「………おいしい」
「あら、そう?」
嬉しそうな母。オムレツがおいしすぎて………苦しい。
おれは………どうすれば………。
***
クリスマスイブ以降、おれはずっと母と一緒にいた。大掃除の手伝いをしたり、年末の買い物に付き合ったり、とにかく従順に過ごした。
こんなに何日も慶に会わなかったのは、高校三年生の受験の時以来だ。
「お父さんが話してくださったおかげで、浩介も目が覚めたみたい……」
母が父に報告しているのが聞こえた。父は興味なさそうに肯いただけだった。
おれはずっと考えていた。慶を守る方法を。
慶に会いたい。慶と一緒にいたい。おれは慶がいなくては生きていけない。
でも、おれと一緒にいたら、慶を危険な目に合わせてしまう。
毎晩、同じ夢を見た。
真っ白い天使の慶に、魔女が大きな鎌を振りおろす。
おれは止めることもできず、悲鳴を上げ続ける。
現実に同じことが起こったら……。
あの写真の傷を思い出す。あの傷を実物の慶につけられたら……。
何度も何度も考えた。そしてたどり着いた結論は一つだった。
おれが慶のためにできること、それは……
それは、慶と別れること。
慶と別れる……。
「………………」
でも、あの慶が、本当のことをいって納得するわけがない。慶はきっと、そんなの大丈夫だから、というだろう。だからウソをつくしかない。
(おれ達、別れよう。おれ、もう慶のこと好きじゃなくなった)
自分で言いながら、泣きそうになってくる。でも慶を本当に失うわけにはいかないんだ。
慶。慶……。大好きな慶。
***
12月29日。
例年通り、母が父の事務所へ出かけた。最終日の納会の料理は毎年母が用意することになっているのだ。
おれは仮病を使って、家で寝ているということにした。この日をおいてチャンスはない。
慶の家に電話をすると、ちょうど慶が出てくれた。数日ぶりに聞く慶の声。とてつもなく愛おしい。
ご両親は仕事でおらず、南ちゃんはなんかものすごいイベントがあるとかで早朝に出ていったらしい。
自転車で大急ぎで慶の家に行く。
インターホンを鳴らすと、慶がすぐに出てきた。
「よ」
いつものように、なんでもないように、軽く手を上げる笑顔の慶。
「…………っ」
今すぐ抱きしめたくなる衝動を、どうにか押し込める。
「上がってもいい?」
なんとか冷静に言うと、「当たり前だろ?」と慶がちょっと笑いながら家にあげてくれた。
そのまま部屋に通される。整理整頓された慶の部屋。居心地がいい。
いつものようにベットに腰かける。
このベットで、初めて、した。よみがえってくる色々な思い出を首を振って追い払う。
慶が不思議そうな顔をして、おれの目の前に立った。
「どうした?」
優しい慶の声。大好きな慶の声。
くじけそうになる心をどうにか奮い起こし、意を決して顔をあげる。
「慶」
そして、ここにくるまでに頭の中で何度も練習した言葉を口に出した。
「……おれ達、別れよう」
「………」
いつもにもましてキレイな慶の瞳がジッとおれを見おろす。
「……理由は?」
冷静な慶の声。
震える手を押さえながら、用意してきた言葉を告げる。
「おれ、もう、慶のこと、好きじゃ……っ」
続けられなかった。
「…………っ」
柔らかい慶の唇にふさがれた。
強く両頬を押さえられ、逃げることもできない。いや、押さえられていなくたって逃げることなんてできない。おれのウソを吸い込むように、慶の唇が包み込む。
慶……
「………で?」
長い長いキスの後、慶がおれを真正面から覗き込んだ。
「おれのことが、何だって?」
「……慶」
崩れ落ちる。無理だ。
好きじゃない、なんて大ウソ、ウソであっても口にできない。
「慶、おれは…」
「おれには別れるなんて選択肢、ひとかけらもないからな」
きっぱりと、慶が言う。
「慶、でも」
「お前のことだから、おれに迷惑がかかるとかそういうアホらしいこと考えてるんだろうけど……」
「アホらしいって」
ちょっとムッとする。
「おれが今までどれだけ悩んできたのか……おれの気持ちも少しはわかってよ」
「だったらお前も、今のおれの気持ちわかれ」
「痛っ」
頭を小突かれた。
「好きじゃない、なんて言葉、本心じゃなくても聞きたくない」
「…………っ」
慶の瞳。なんて強い光。
「……ごめん」
傷つけるところだった。いや、傷つけてでも離れるべきだと思っていたけれど、そんなウソ、見透かされている。
慶の温かい手がおれの頬を包んでくれる。
「おれはどんなことがあってもお前と別れる気はないからな。まわりにどれだけ迷惑かけようと、どんな汚い手を使ってでもお前を手放す気はない」
「慶……」
慶は本当にキレイだ。顔の造形もだけれど、瞳の輝きも、魂の色も、おれにはまぶしすぎる。
どうしてこんな人がおれなんかを求めてくれるんだろう。
「慶……いいの? おれなんかで……本当にいいの?」
「当たり前だろ」
引き寄せられ、ぎゅっと頭を抱きしめられる。
慶の匂い。愛おしい。
「お前以外、何もいらない」
「慶………」
こんなに愛おしい。こんなに離れたくない。こんなに愛してる。
涙があふれる。いつもいつもそうだ。慶の腕の中でだけ、おれは泣くことができる。
たった一つのおれの居場所。
「浩介………」
慶が頭を撫でてくれる。その唇で涙をぬぐってくれる。たくさんのキスをくれる。
「もう、大丈夫だな?」
「……うん」
何も解決できていないから少しも大丈夫じゃない。でもとりあえずうなずく。
すると、慶はにっこりと言い放った。
「じゃ、浩介」
「うん」
「おれ達、別れよう」
「……………………………はい?」
今、なんていった?
呆然としたおれに、慶は悠然とほほ笑んだ。
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浩介ターン終了!!!
この「~自由への道」を書くに当たって、我慢できなくて、上記の浩介が慶に別れようと言い出すシーンから最後までを先に書いて保存しておいたのでした。つなぎ目変じゃないかな。大丈夫かな。
しかし、ここまで行きつくのにこんなに時間がかかるとは思わなかったな~^^;
慶の「おれのことが、何だって?」と「おれ達、別れよう」というセリフは、20年前に構想を練った時点で出ていたセリフ。
『受の方が性格男っぽい』というとこに萌えるタイプでした私。あ、今もか。
さ、明日は、容姿は中性的で性格は男っぽい受の(受言うな!と怒られそうだ^^;)慶君視点です。一回で終わる予定。
あ。ちなみに、南ちゃんは当然あそこに行ってます。12月29日ですもの!!
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