付き合いはじめてすぐに、合鍵を渡されたけれど、結局一度しか使わなかった。そこまで踏み込むのもこわかったし、なにより女癖の悪いあかねが女の子を連れ込んでいるところに鉢合わせしたら嫌だな、というのがあった。あかねは「綾さん以外の女の子を部屋に入れたことはない」と言っていたけど、全然信用できない。
そういうわけで、いつもマンションのすぐ下の公園のベンチであかねが帰ってくるのを待っていた。
「お待たせ。綾さん」
後ろからフワッと抱きしめられる、その瞬間がすごく好きだった。
「オレ、彼女できたんだよね」
健人が助手席で携帯をいじりながらポツリと言った。
「ちょっとは自分の気持ち大事にしたら?」
と、偉そうに言い放って二階に上がっていった健人だが、11時近くになってから「中島先輩の家で上映会するっていうから行ってくる」と、おりてきた。
中島先輩とは健人が高校時代からお世話になっている二つ上の映画部の先輩。うちにも何度かきたので会ったことがあるが、しっかりしている好青年だ。
本人は電車で行くと言ったけれど、もう遅いし、私自身が家にいたくない気分だったので、無理やり車をだした。健人ともう少し話したかった、というのもある。珍しく今日の健人は饒舌だったから。
「あら、良かったわね。どんな子?」
「映画部の子。同い年。……あ、今日はこないからな。今から集まるのは野郎ばっかで、その……」
野郎ばかりの上映会、何を上映するんだか。健人の赤らんだ顔をみておかしくなってしまう。若いなあ…。
健人がまた携帯で何かを打っている。
彼女ができたと聞いて納得した。どうりで最近ずっと携帯を肌身離さず持ってたわけね……。
「オレさあ……」
携帯を操作しながら健人が言う。
「すげー彼女のこと大切なんだよね。ずっと一緒にいたいと思うし、守りたいと思う」
「…………」
「幸せにしたいと思ってる。彼女に出会って初めてこういう気持ちが分かった」
照れもせずに言う健人。深夜の車の中の雰囲気が本音を引き出しているのかもしれない。
健人は真剣な様子で言葉を継いだ。
「だから、お父さんのこと許せなくなった」
「……………」
「あいつは守らなくちゃいけないお母さんに、嫌なこと全部押しつけて、よその女のとこに行った。男としてありえねえだろ」
吐き捨てるように健人が言う。
最近しきりに「離婚すれば」と言うようになったのは、自分に愛する人ができたからだったのね…。
「お母さん、もう自由になればいいのに。じいちゃんだってもういないんだからさ」
自由……。
今さら自由になっても、どう生きていったらいいのか分からない。
「オレ、じいちゃんに感謝してることがある」
「感謝?」
ふいに言う健人。健人は義父の部屋にめったに寄りつかなかったが…。
「じいちゃんの世話があるから、お母さん、美咲のダンスの発表会とか運動会とか来られなかったじゃん?」
「……うん」
「だからオレ、ビデオ撮るのはじめたんだよね。はじめはとにかく美咲だけアップで撮ってたけど、そのうち、どうやったらお母さんとじいちゃんに楽しんでもらえるビデオが撮れるかって考えるようになって、で、映像の世界にはまって、映画部入って。で、彼女にも出会えた」
「健人……」
健人が撮ってきてくれるビデオは私と義父の楽しみだった。最後に義父と見たビデオも、ドキュメンタリー番組のVTRのようで感心したのだ。義父も喜んで何度も見ていた。
ほんの数か月前のことなのに、ずいぶん前のことのような気がしてしまう。
ナビが目的地が近いことをアナウンスしている。
「お母さん、30分以上早いけど、誕生日おめでとう」
ボソッと健人が言うのと同時に、私の携帯がなった。メールだ。
「日またぐとき一緒にいられなくてごめん。今、メール送った。誕生日プレゼント」
「え」
健人から誕生日プレゼントなんて何年振りだろう。
「オレさ、あかね先生のこと調べたことで、お母さんの若い頃のことも分かってきて……。なんか、当たり前なんだけど、お母さんにもオレくらいの歳の時があったんだよなーってビックリしちゃってさ。色々考えさせられた」
「…………」
分かる気がする。自分の親ははじめから自分の親でしかない気がしてしまうが、親にも青春時代があったのだ。
健人がキョロキョロと先輩のマンションを探しながら言う。
「で、あかね先生のこと、嫌いで別れたんじゃないならヨリ戻せば?とか思ったんだけど」
「……………」
健人って、そういうのに理解ある子なんだ? それとも今時の子はそんなもんなの?
「オレ、あかね先生なら応援するよ?」
「……なんで?」
「うーーん。こう言うのも何なんだけど……。お父さんのことは大嫌いだけど、お母さんがお父さん以外の男とどうこうなるのは抵抗あるというか……。でもあかね先生ならありかなーと。女性だし。美人だし。何より元カノだし」
「………………」
分かるような分からないようなご意見です…。
「あー、そこそこ。そこの茶色いマンション」
「分かった。……健人、お菓子と飲み物、後部座席のビニール袋の中。持っていって」
「おっサンキュー」
「本当はお酒がいいんだろうけど、未成年に持たせるわけにはいかないから」
「スナック系としょっぱい系と甘い系と酒のつまみと炭酸……さすがお母さん。気が利く~~」
調子よく言いながら健人が降りていく。
「じゃ、夜には帰るから」
「ん。先輩のご迷惑にならないようにね」
すっかり昔の明るい健人に戻った感じ。
いや、違う。戻った、のではなく、あの家にいると鬱屈して無口で暗くなるということなんではないだろうか。
中島先輩がわざわざマンションの玄関まで迎えにきてくれていた。私に向かって頭を下げている青年に頭を下げ返してから、車を発進させる。
夜の道はどこも空いていた。
家に帰りたくなくて、適当に走っていたつもりだったけれど……
「やだ。私………」
思わずつぶやく。無意識に道を選んでいたらしい。
新しい建物、新しい道路ができていて、違うところはたくさんあるのに、人間の脳は便利にできていて「懐かしい」と感じられる。……あかねが住んでいた町だ。
19年前は免許も車も持っていなかったので、駅から歩いてきていた。徒歩15分ほどのところにある白い壁の5階建てのマンション。今もあるのだろうか。
鼓動が早くなる。ゆっくりと徐行しながら住宅街を進んでいくと…
「あった……」
驚いた。19年前と変わらない佇まいの白いマンション。公園までちゃんとある。遊具は当時より新しくピカピカになっている。いつも座っていたベンチも当時よりもきれいだ。
せっかくなので、車を公園の脇にとめて降りてみる。砂利の音が懐かしい。
いつものベンチに座って、マンションを見上げる。あかねが住んでいた部屋は電気が消えている。
『住む場所も変えない。電話番号も変えない。いつでも私のところに帰ってきて』
あかねの言葉を思い出す。あれから19年。あっという間だ。あかねももうここには住んでいないだろう。
せっかくなので、健人が送ってくれたメールを開いてみる。
「………これ」
添付されていた画像を見て、息を飲む。
写真は3枚あった。
一枚は、先ほども見せてもらったK大演劇部の集合写真。
一枚は、氷の姫のラストシーンのあかねの姿。美しい。私の愛したあかね。
そしてもう一枚は……私だった。皆で衣装を作っているところだ。大きな布の裁断をしている。
「私……こんな顔してたんだ」
真剣な横顔。写っているメンバーもそれぞれ真剣に手元を見ている。
「楽しそう……」
充実した日々。
今の私には、ない。
「………いいな」
戻りたい。あのころに戻りたい。
『お母さんの意思とか希望とか、そういうのないの? お母さんの人生ってなんなの?』
ふと、脳内によみがえる、健人の言葉。
『ちょっとは自分の気持ち大事にしたら?』
「………あかね」
無性にあかねに会いたくなった。
あの瞳に、あの腕に、あの声に、会いたい。
「……でも」
指先を見つめる。
昨晩、夫に口づけられてしまった指。汚れてしまった指。
私は変わった。変わってしまった。19年前とは違う。
「………あかね」
会いたいけど、もう会えない。
でも会いたい。会いたい。
「会いたいよ……」
上を向き、こぼれそうになった涙を目に戻そうとした、その時。
「お待たせ。綾さん」
「!」
後ろからフワリと抱きしめられた。耳元で優しい声がする。
「お誕生日おめでとう。ケーキ買ってきたよ?」
「…………」
どうして……
言葉にならない。涙が止まらない。
あかねの腕に顔を埋めたまま、私は静かに泣いた。
-------------------------
会えて良かったね。綾さん。
しかし…ここまで長かった……。もー前回から健人喋りすぎ。
本当は前回ここまで書きたかったのに健人が喋りすぎるせいで2回に分かれちゃったし。
とりあえず、ポイント地点だった公園のシーンまでたどり着いてよかった。
次、ラブシーンをどこまで書くか考え中…(←私の頭の中、そんなことばっかり)
綾さんの外見モデルは、国仲涼子さんです。(だから綾さんの旧姓を国中にしたの)
あかねに関しては20年以上前から自分の中にキャラとしていたので、モデルとなる人はいなかったのですが、「自由への道」を書くにあたり、色々考えて、演じてもらうなら、杏さんがいいなーと思ってました。なので、身長も当初は172cmでしたが、杏さんが174cmということなので174cmまで伸びてもらいました。
そんな二人が今、偶然にも月9で共演中。月9を違った意味でニヤニヤしながら見てます私。
そんなこんなでまた来週。
そういうわけで、いつもマンションのすぐ下の公園のベンチであかねが帰ってくるのを待っていた。
「お待たせ。綾さん」
後ろからフワッと抱きしめられる、その瞬間がすごく好きだった。
「オレ、彼女できたんだよね」
健人が助手席で携帯をいじりながらポツリと言った。
「ちょっとは自分の気持ち大事にしたら?」
と、偉そうに言い放って二階に上がっていった健人だが、11時近くになってから「中島先輩の家で上映会するっていうから行ってくる」と、おりてきた。
中島先輩とは健人が高校時代からお世話になっている二つ上の映画部の先輩。うちにも何度かきたので会ったことがあるが、しっかりしている好青年だ。
本人は電車で行くと言ったけれど、もう遅いし、私自身が家にいたくない気分だったので、無理やり車をだした。健人ともう少し話したかった、というのもある。珍しく今日の健人は饒舌だったから。
「あら、良かったわね。どんな子?」
「映画部の子。同い年。……あ、今日はこないからな。今から集まるのは野郎ばっかで、その……」
野郎ばかりの上映会、何を上映するんだか。健人の赤らんだ顔をみておかしくなってしまう。若いなあ…。
健人がまた携帯で何かを打っている。
彼女ができたと聞いて納得した。どうりで最近ずっと携帯を肌身離さず持ってたわけね……。
「オレさあ……」
携帯を操作しながら健人が言う。
「すげー彼女のこと大切なんだよね。ずっと一緒にいたいと思うし、守りたいと思う」
「…………」
「幸せにしたいと思ってる。彼女に出会って初めてこういう気持ちが分かった」
照れもせずに言う健人。深夜の車の中の雰囲気が本音を引き出しているのかもしれない。
健人は真剣な様子で言葉を継いだ。
「だから、お父さんのこと許せなくなった」
「……………」
「あいつは守らなくちゃいけないお母さんに、嫌なこと全部押しつけて、よその女のとこに行った。男としてありえねえだろ」
吐き捨てるように健人が言う。
最近しきりに「離婚すれば」と言うようになったのは、自分に愛する人ができたからだったのね…。
「お母さん、もう自由になればいいのに。じいちゃんだってもういないんだからさ」
自由……。
今さら自由になっても、どう生きていったらいいのか分からない。
「オレ、じいちゃんに感謝してることがある」
「感謝?」
ふいに言う健人。健人は義父の部屋にめったに寄りつかなかったが…。
「じいちゃんの世話があるから、お母さん、美咲のダンスの発表会とか運動会とか来られなかったじゃん?」
「……うん」
「だからオレ、ビデオ撮るのはじめたんだよね。はじめはとにかく美咲だけアップで撮ってたけど、そのうち、どうやったらお母さんとじいちゃんに楽しんでもらえるビデオが撮れるかって考えるようになって、で、映像の世界にはまって、映画部入って。で、彼女にも出会えた」
「健人……」
健人が撮ってきてくれるビデオは私と義父の楽しみだった。最後に義父と見たビデオも、ドキュメンタリー番組のVTRのようで感心したのだ。義父も喜んで何度も見ていた。
ほんの数か月前のことなのに、ずいぶん前のことのような気がしてしまう。
ナビが目的地が近いことをアナウンスしている。
「お母さん、30分以上早いけど、誕生日おめでとう」
ボソッと健人が言うのと同時に、私の携帯がなった。メールだ。
「日またぐとき一緒にいられなくてごめん。今、メール送った。誕生日プレゼント」
「え」
健人から誕生日プレゼントなんて何年振りだろう。
「オレさ、あかね先生のこと調べたことで、お母さんの若い頃のことも分かってきて……。なんか、当たり前なんだけど、お母さんにもオレくらいの歳の時があったんだよなーってビックリしちゃってさ。色々考えさせられた」
「…………」
分かる気がする。自分の親ははじめから自分の親でしかない気がしてしまうが、親にも青春時代があったのだ。
健人がキョロキョロと先輩のマンションを探しながら言う。
「で、あかね先生のこと、嫌いで別れたんじゃないならヨリ戻せば?とか思ったんだけど」
「……………」
健人って、そういうのに理解ある子なんだ? それとも今時の子はそんなもんなの?
「オレ、あかね先生なら応援するよ?」
「……なんで?」
「うーーん。こう言うのも何なんだけど……。お父さんのことは大嫌いだけど、お母さんがお父さん以外の男とどうこうなるのは抵抗あるというか……。でもあかね先生ならありかなーと。女性だし。美人だし。何より元カノだし」
「………………」
分かるような分からないようなご意見です…。
「あー、そこそこ。そこの茶色いマンション」
「分かった。……健人、お菓子と飲み物、後部座席のビニール袋の中。持っていって」
「おっサンキュー」
「本当はお酒がいいんだろうけど、未成年に持たせるわけにはいかないから」
「スナック系としょっぱい系と甘い系と酒のつまみと炭酸……さすがお母さん。気が利く~~」
調子よく言いながら健人が降りていく。
「じゃ、夜には帰るから」
「ん。先輩のご迷惑にならないようにね」
すっかり昔の明るい健人に戻った感じ。
いや、違う。戻った、のではなく、あの家にいると鬱屈して無口で暗くなるということなんではないだろうか。
中島先輩がわざわざマンションの玄関まで迎えにきてくれていた。私に向かって頭を下げている青年に頭を下げ返してから、車を発進させる。
夜の道はどこも空いていた。
家に帰りたくなくて、適当に走っていたつもりだったけれど……
「やだ。私………」
思わずつぶやく。無意識に道を選んでいたらしい。
新しい建物、新しい道路ができていて、違うところはたくさんあるのに、人間の脳は便利にできていて「懐かしい」と感じられる。……あかねが住んでいた町だ。
19年前は免許も車も持っていなかったので、駅から歩いてきていた。徒歩15分ほどのところにある白い壁の5階建てのマンション。今もあるのだろうか。
鼓動が早くなる。ゆっくりと徐行しながら住宅街を進んでいくと…
「あった……」
驚いた。19年前と変わらない佇まいの白いマンション。公園までちゃんとある。遊具は当時より新しくピカピカになっている。いつも座っていたベンチも当時よりもきれいだ。
せっかくなので、車を公園の脇にとめて降りてみる。砂利の音が懐かしい。
いつものベンチに座って、マンションを見上げる。あかねが住んでいた部屋は電気が消えている。
『住む場所も変えない。電話番号も変えない。いつでも私のところに帰ってきて』
あかねの言葉を思い出す。あれから19年。あっという間だ。あかねももうここには住んでいないだろう。
せっかくなので、健人が送ってくれたメールを開いてみる。
「………これ」
添付されていた画像を見て、息を飲む。
写真は3枚あった。
一枚は、先ほども見せてもらったK大演劇部の集合写真。
一枚は、氷の姫のラストシーンのあかねの姿。美しい。私の愛したあかね。
そしてもう一枚は……私だった。皆で衣装を作っているところだ。大きな布の裁断をしている。
「私……こんな顔してたんだ」
真剣な横顔。写っているメンバーもそれぞれ真剣に手元を見ている。
「楽しそう……」
充実した日々。
今の私には、ない。
「………いいな」
戻りたい。あのころに戻りたい。
『お母さんの意思とか希望とか、そういうのないの? お母さんの人生ってなんなの?』
ふと、脳内によみがえる、健人の言葉。
『ちょっとは自分の気持ち大事にしたら?』
「………あかね」
無性にあかねに会いたくなった。
あの瞳に、あの腕に、あの声に、会いたい。
「……でも」
指先を見つめる。
昨晩、夫に口づけられてしまった指。汚れてしまった指。
私は変わった。変わってしまった。19年前とは違う。
「………あかね」
会いたいけど、もう会えない。
でも会いたい。会いたい。
「会いたいよ……」
上を向き、こぼれそうになった涙を目に戻そうとした、その時。
「お待たせ。綾さん」
「!」
後ろからフワリと抱きしめられた。耳元で優しい声がする。
「お誕生日おめでとう。ケーキ買ってきたよ?」
「…………」
どうして……
言葉にならない。涙が止まらない。
あかねの腕に顔を埋めたまま、私は静かに泣いた。
-------------------------
会えて良かったね。綾さん。
しかし…ここまで長かった……。もー前回から健人喋りすぎ。
本当は前回ここまで書きたかったのに健人が喋りすぎるせいで2回に分かれちゃったし。
とりあえず、ポイント地点だった公園のシーンまでたどり着いてよかった。
次、ラブシーンをどこまで書くか考え中…(←私の頭の中、そんなことばっかり)
綾さんの外見モデルは、国仲涼子さんです。(だから綾さんの旧姓を国中にしたの)
あかねに関しては20年以上前から自分の中にキャラとしていたので、モデルとなる人はいなかったのですが、「自由への道」を書くにあたり、色々考えて、演じてもらうなら、杏さんがいいなーと思ってました。なので、身長も当初は172cmでしたが、杏さんが174cmということなので174cmまで伸びてもらいました。
そんな二人が今、偶然にも月9で共演中。月9を違った意味でニヤニヤしながら見てます私。
そんなこんなでまた来週。