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風のゆくえには~ あいじょうのかたち6(慶視点)

2015年06月05日 13時05分37秒 | BL小説・風のゆくえには~ 愛情のかたち

 目黒樹理亜の母親が弁護士をつれて病院に押しかけてきたのは、バレンタインの翌々日のことだった、らしい。

 らしい、というのは、おれは診療中でその場に呼ばれなかったため見ていないからだ。
 その場に呼ばれた看護師の西田さんによると、「院長、かっこよかったですよ~!」とのことだ。

 樹理亜の母は、娘に精神的苦痛を与えたことによる慰謝料の請求、をしてきたらしい。
 おれが彼女をこっぴどく振ったことになっていて、「未成年の娘に対して医師がそのような態度をとるのはいかがなものか。娘はあれ以来食事も喉を通らない」と、たいそうご立腹だったそうで……。

 黙って聞いていた院長は、おもむろにノートパソコンの画面を弁護士に向け、
「樹理亜さんのこの行動は脅迫罪に当たるのではと思うのですが、先生はどう思われますか?」
と、防犯カメラの映像に西田さんが録音していてくれた音源を合わせたものを見せたそうだ。
 
 弁護士は「聞いていた話とずいぶん違う」と飽きれたように言い、ぐずる母親を無理に立たせてすぐに退散してくれたらしい。


「ご迷惑をおかけして………」
 院長室に呼び出されたので、てっきりその件かと思って即座に頭を下げると、院長である峰先生は肩をすくめて、

「目黒樹理亜の件か? 別にそんなのは迷惑のうちに入らねえよ。気にするな」
と、言ってくれ、「そんなことより」と口調を変えた。

「今度の日曜日、午前だけって言ったけど、午後も出られるか?」
「? はい。大丈夫ですけど……」

 今度の日曜日、この地域で『福祉祭り』というイベントが行われるらしい。会場は地元小学校の校庭と体育館だ。毎年、この病院では『健康チェックブース』というのを出店しているそうで、その手伝いをするように前々から言われていたのだ。

「イケメン渋谷先生は何時にいるのかって、問い合わせが何件もきてる。午前だけだって答えても、自分は午後からしかいけないから何とかしろって無茶苦茶言う奴までいてなー。めんどくせーから、午後もいてくれや」
「………はい」
「片付けには参加しなくていいからよ。3時までな」
「わかりました」

 こっくり肯くと、峰先生はヒヒヒと笑っておれの肩をたたいた。

「お前も大変だなー。でもこっちはおかげで患者数右肩上がりで助かってるけどなー」
「………………」
「ホント、口コミってすげえよな。ママ友ネットワーク恐るべしだよ」
「あの……そのことなんですけど……」

 この機会なので、ずっと不安に思っていたことを口にする。

「おれがゲイだってこと知られたら、それこそ口コミであっという間に広がって、大打撃うけることになりませんか?」
「んあ?」

 峰先生がコーヒーを飲みながら、首をかしげる。

「まー…大丈夫じゃね?」
「そんな軽く……」
「ほら今、おねえとか流行ってるし」
「………おねえではないんですけど」

 なんか混同されてるけど、おれは単なるゲイであって、女装癖もない。性同一性障害でもない。
 ………なんてことは面倒くさいので言わない。

 峰先生は、まあまあ、と再びおれの肩をたたくと、

「お前ホント真面目だよなー。なるようになるからいいんだよ。そんなことイチイチ悩んでたら禿げるぞ?」
「……………」
「とりあえず、福祉祭りの件よろしくな。これが集客アップにもつながるんだからな? あと健康診断の宣伝もな」
「………はい」

 峰先生はすっかり経営者の顔をしている。でもこれほど理解のある雇い主はそうそういない。


***


 福祉祭り当日。
 朝まで降っていた雨も何とか上がり、客足も上々。病院のブースは大繁盛となった。
 おれも朝から何人分の血圧を測ったのか、数え切れない……。

 さすがに作り笑顔に限界がきた、もうすぐ終了、という時間に……
 
「お願いします」
「!!!」

 聞き覚えのありすぎる声にぎょっとして顔をあげた。

「こ………っ」
 叫びそうになり、慌てて言葉を飲み込む。

 変装のつもりなのか、眼鏡をかけている浩介……。
 来るなって言ったのにっ。

「………左腕出してください」
「はい」

 しれっと左腕を出してくる様子に、既視感をおぼえた。

(ああ……昔バイトしてたときもこんな感じだったな)

 大学時代、おれがバイトしている喫茶店に、浩介は他人のフリをしてしょっちゅう来ていたのだ。その時もこんな風に素知らぬ顔をしていた。

「はい……ああ、いいですね。正常値も正常値。正常値のど真ん中です」
「………血圧まで平均値か」

 苦笑した浩介に、思わず笑ってしまう。
 浩介は友人のあかねさんに『平均値男』と揶揄されているのだ。おれに言わせれば、浩介は30~40代男性の平均身長より5cmも高いし、国内トップクラスの大学に現役合格してきちんと4年で卒業しているし、平均より上なことが多いと思うんだけど……。
 しかも、血圧は……

「いや、『平均値』じゃなくて『正常値』だから」
「ああ、そっか」

顔を見合わせ吹き出してしまう。……いかんいかん。

「じゃ、次は肺活量の計測へどうぞ」
「はい。ありがとうございました」

来たとき同様、しれっとその場を去る浩介。

(………おれも単純だよなあ)
 このほんのわずかな時間で、少し元気が復活した。終了時間まであと数分。何とか頑張れそうだ。

「渋谷先生、あと5名です」
「はい。ありがとうございます」

 受付を担当している看護師の谷口さんが報告に来てくれた。彼女は働き始めてまだ2年目らしいけれど、気が利くし、落ちついているので頼りにしている。

 そろそろ祭りの終了時間だ。見渡すと、片付けをはじめているブースもある。
 ああ、あそこのクッキーおいしそうだったのに買えなかったなあ……浩介買ったかな……。

 そんなことを頭の隅で思いながら、4名終わり、最後の一人。

「………あれ?」
 すとん、とテーブルを挟んだ目の前に座ったのは、丸い黒縁眼鏡にニット帽をかぶった小柄な女の子。
 見たことある……と思った瞬間、頭の中で一致した。

「……目黒さん?」
「……はい」

 目黒樹理亜はぎこちなく肯くと、左腕を差し出した。手首にいくつも傷がある。

 視線が定まっていない。嫌な予感がする……。

 けれども、今は何ともしようがない。

「……血圧、測るね?」
 普通を装い、血圧計を手にした、その時だった。

「……目黒さん?!」

 樹理亜がおもむろに右手を振り上げた。その手には……カッター?!

「ちょ……っ」

 血圧計を持っていたせいで反応が遅れた。
 樹理亜のカッターが、彼女自身の左手に振り下ろされる……!

「目黒さ……っ」
「!!」

 ザッと切りつけられ、血が……

「………………?!」

 切りつけられた先にあった手は、樹理亜のものではなく……

「………いってえ」
「浩介?!」

 ざっくりと、浩介の大きな手の甲に真一文字の赤い線が……。
 浩介の右手が樹理亜の左手をかばったのだ。

「な……っ」

 樹理亜が蒼白になって持っていたカッターを地面に落とした。
 浩介の手から、ポタポタと血が流れおちる。

「浩介……っ」
 とっさに手を心臓より高い位置にあげさせる。

「樹理ちゃん?!」
 隣で肺活量計測を担当していた心療内科医の戸田先生が異変に気が付いて悲鳴まがいの声をあげた。その横にちょうど看護師の谷口さんがいる。

「谷口さん、救急セット!」
「はい!」
 機敏に動く谷口さんを横目に、浩介をテントの内側に引っ張り込み、椅子に座らせる。

「ちょっと我慢しろ?」
 ハンカチを傷口に当てて止血を試みるが、あっという間に血で染まる。止まらない……。

「な、なんで……なんで」
 口に手を当て、震えている樹理亜の姿にイラッとする。
 お前のせいで……お前のせいでっ。

「戸田先生! 目黒さん、どっかに連れていってください!」
「は、はい」
 戸田先生がそこらへんのものを落としながら樹理亜に近づき、腕をとった。樹理亜のことは視界に入れたくない。

「浩介………」
 止血しているハンカチからも血が滴り落ちている……。

「目黒さん、大丈夫かなあ」
「この馬鹿っ」

 呑気なことを言ってる浩介を怒鳴りつける。

「自分の心配しろっ。無茶しやがって」
「いやあ、とっさに手が出ちゃって」
「出ちゃって、じゃねーよっ」
「渋谷先生!」

 谷口さんが救急セットを持ってきてくれた。助かった。

「ガーゼください」

 いったんハンカチを外す。ぶわっと血があふれだす。
 ……深い。縫合が必要なレベルだ。

「浩介……」

 血が地面に流れ落ちる。浩介の血が、流れ落ちていく。

 だめだ。冷静でいられない。
 止血……止血をしなくては……

「ガーゼです。……先生?」

 谷口さんが渡してくれたガーゼを取り落してしまった。
 手が震えて……

「……くそっ」
 手が震えて、うまく動かない。

 浩介の血……浩介が………浩介が……浩介が……っ。

「慶?!」

 ぎょっとしたように浩介が叫んだ。
 おれが自分の手首を思いきり噛んだからだ。震えが……止まった。

「すみません、ガーゼください」
「は、はい」

 ガーゼで上から強く抑える。
 止まれ止まれ止まれ止まれ……っ。

 ものすごく長い時間が過ぎたように感じたけれど、実際は数分といったところだろう。
 染み出てくる血の量が減って、一息ついていたところ、

「え、渋谷先生、怪我人? 大丈夫?」
 今日一緒に参加していた内科の荒木先生と清水先生が気がついて声をかけてきた。

「ええ、ちょっと……」
「すみません。僕が不注意で怪我をしてしまって」
 浩介がニッコリという。
 少しも痛くないような顔をしているので、先生方もたいした怪我ではないと思ったようだ。

「片付けはじめちゃっていい?」
「あ、はい。お願いします」

 お祭り自体終わりの時間なのだ。どこもみんな片付け始めている。
 浩介を促し、近くの植え込みの縁に移動し、引き続き止血をする。

「慶、片付け行かなくていいの?」
「おれは朝から出てるから片付け免除って言われてんの。余計な心配すんな。……あ。谷口さんありがとう」

 谷口さんが様子を見ながら、ガーゼの替えを渡してくれる。本当に気が利く子だ。

「渋谷先生」
 ふいに、後ろから声をかけられた。戸田先生の声。

「病院に戻りますか? 車出しますよ」
「あ、はい。お願……」

 振り返り言葉を止めた。ニット帽が目に入ったのだ。戸田先生に肩を抱かれた目黒樹理亜……。下を向いていて表情は見えない。

(………このっ)
 腸が煮えくり返る、とはこのことだ。
 故意でないにせよ、浩介にこんな………っ

「あ、目黒さん。怪我はない?」
「!」

 飄々と言う浩介。まったく、こいつときたら……っ。

 腹立だしいままに、止血の手に力が入る。視界に樹理亜を入れないようにして戸田先生に言う。

「車、お願いします」
「はい。正門の前まで持ってきますので」
 戸田先生に抱えられるようにして樹理亜も歩いていく。

 ガーゼを取り様子をみてみる。なんとか血は止まりつつあるようだ。
「ああ、良かった」
 谷口さんがホッとしたように息をついた。ここにいたのが彼女で本当によかった。他の看護師……西田さんあたりだったら、大騒ぎされていたところだ。

「谷口さん、病院に連絡して縫合の準備を……」
「え、縫合って縫うってこと?」

 浩介が驚いたように叫んだ。

「うそっ。そんな大袈裟な……」
「うるせえ黙れ」

 座っている浩介の足を軽く蹴ると、再び谷口さんに向き直る。

「で、病院に……」
「は、はい。しておきます!」

 谷口さんがコクコクうなずき、心配げにおれを見返した。

「あの……大丈夫ですか?」
「ああ、ほとんど止まって……」
「そのことじゃなくて」

 谷口さんがすっとおれの右手首を指した。

「歯型……ついてます」
「あ………」

 まずい。変なとこ見られたな……。

「あ、いや大丈夫。ありがとう」
「そうですか……」
「じゃ、悪いんだけど、後のことお願いします」

 色々つっこまれる前に退散しよう。
 さっと包帯でまくと、浩介を促し、正門に向かう。

「左手で押さえて、心臓より高い位置にしとけ」
「はーい」

 浩介、妙に機嫌が良い……。痛くないのか? それはそれで問題だ。

「お前、まさか痛くねえのか?」
「痛いよ~すっごく痛い」

 でもニコニコしてる……。

「じゃ、なんでそんな嬉しそうなんだよ?」
「だってさ~」

 へへへへへ……と笑う浩介。

「おれ、愛されてるなあ~~と思って」
「は?」

 意味分かんねえ。

「何をどうしたらそういう結論になるんだよ?」
「だってさー、慶ってお医者さんモードだといつもすごい冷静じゃん? 前に目の前で交通事故があったときだって、テキパキ対応してて、めちゃめちゃかっこよかったし、あっちにいたとき、血まみれの子供が運びこまれたときも冷たいくらい冷静だったし」

「……そんなことあったな」
「だからさ」

 浩介が立ち止まり、こちらを見おろした。

「さっきみたいに動揺した慶、初めてみた」
「…………」
「不謹慎なんだけどね、すっごく嬉しくなっちゃって」

 にっこりとする浩介。

「愛のしるしだな~と思ったりして。その歯型」
「!」

 とっさに右手首を隠す。
 いや、自分でも驚くほど動揺して……。くっそー。

「あほかっ」
「痛ってーーーーっ」

 後ろ太腿に蹴りをいれると、浩介が大げさに悲鳴をあげた。

「先生、おれ、怪我人。もっと大事に扱ってくださいっ」
「うるせえ。もーお前、麻酔なしで縫合な。ちょっとはそのお花畑な頭がすっきりするだろ」
「お花畑って」
「花畑だよ。ホントによ……」

 促して再び歩きはじめる。

「もう絶対にやめてくれよ?」
「? なにが?」
「何が、じゃねえだろ」

 蹴るか殴るか頭突きするか抱きしめるかキスするか、いずれかしたいところを全部ぐっと我慢する。

「誰かをかばって怪我、とかそういうの」
「………ごめん」

 はっとしたように謝った浩介の背中に、そっと手を添える。

「おれ、お前に何かあったら……」
「慶………」

 あらためて思う。何よりも浩介が大切だ。傷つけたくない。守りたい。その気持ちは高校時代からずっと変わらない。きっと何年何十年たっても変わらない。

 正門の前についた。まだ車はきていない。
 帰るお客さんや、荷物を運ぶ関係者がおれ達の目の前を通り過ぎていく。

「……慶」
 ぽつん、と浩介がつぶやいた。

「ん?」
「今、抱きしめたら怒る?」
「…………殴る」
「じゃ」

 手を伸ばしてくる浩介。おいおい。

「だから殴るって言ってんだろっ」
「いいよ」
「いいよじゃねーっていうか、それ以前にお前、手! あげとけっ」
「えー」

 浩介はムッとしたまま、右手をブラブラと上にあげたが、

「あ、いいこと考えた。慶、そこの花壇の縁の上に立ってよ」
「なんだと!」

 浩介が指さしたのは高さ20cmくらいの煉瓦の縁。
 浩介とおれの身長差は13cm……。くそーっ。

「ちょっと背が高いからってばかにしやがって!」
「わわわっそんなつもりじゃっ」

 ぐりぐりと脇腹に拳をねじ込んでやると、浩介がケタケタ笑いだした。おれもつられて笑ってしまう。
 浩介といると笑ってばかりだ。

「あ、あの車。あれじゃない?」
「そうだな……」

 向こうからやってくる白いワゴン車……。助手席に目黒樹理亜の姿がある。
 目を尖らせたおれに気がついて、浩介が顔をのぞきこんできた。

「慶、目黒さんのこと怒らないでよ?」
「…………」
「慶?」
「……分かってるよ」

 頭をぽんぽんとされ、嫌々うなずく。

 この世で一番大切なものを傷つけられて平気な顔をしていられるほど、おれは人間ができていない。
 目黒樹理亜とは今後一切関わりを持たない、と強く心に誓った。



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長くなっちゃった。
今回書きたかったシーンは<震えを止めるため自分の手を噛む慶>でした。

慶さん、わりと冷静だし、直接的な言葉(好きとかそういうの)言わない人なんですが、
こういう行動の端々に、浩介のことがすっごく好きってことが出てしまうわけです。はい。

次は浩介視点。


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