若さは最強。
ママちゃんも、杉さんも、吉田さんも、お店のお客さんみんな言ってる。
だから今、この若さを武器にしないでどうするの、ってみんな言ってる。
「樹理ちゃん、ホントすべすべだね~お水弾くね~」
「だって若いもーん」
いつものように杉さんが私の手をなでなでしてくる。
嫌だったら断りなさい、なんておかしなことを言ってくる人もいるけど、意味が分からない。
全然嫌じゃない。なでなでされたら気持ちいい。
もうおじいちゃんな杉さんの手はごつごつしてて水分がない。ベタベタしてないからいい。
「ねえねえ、やっぱり若い方がいいよねー?」
「そりゃそうだよ~」
吉田さんがお酒を作りながらうなずいた。本当はあたしがやらなくちゃいけないらしいけど、吉田さんはいっつも自分でしてくれて、一緒にきてる杉さんの分も作ってくれる。とってもいい人。
「じゃあさあー……女優さんみたいに綺麗な30過ぎの人と、あたしだったらどっちがいいー?」
「それはー……」
二人、顔を見合わせた。
「………もちろん樹理ちゃんだよ」
「今の間、なに?!」
即答しなかった!
「ひどい! ひどいひどいひどいーーー!」
「樹理ちゃん、落ちついて」
「樹理……」
「樹ー理ー亜!」
その場にあったコップを投げようと振り上げたところで、いきなり後ろから抱きつかれた。大好きな柔らかい感触。途端に心が落ちつく。
「ママちゃんっ」
振り返ると、大好きなママちゃんがいた。
ママちゃんは、あたしの本当のママで、このお店のママでもある。
「杉さんも吉田さんもひどいんだよー」
「うんうん。聞いてた聞いてた。ひどいね~」
ママちゃんがイイコイイコしてくれる。
「ママ。助かったー。また樹理ちゃんが暴れるかと思ったよ」
「二人が怒らせるようなことするからでしょー?」
ママちゃんがストンとあたしと吉田さんの間に座った。
「で、樹理亜? 30過ぎの女優みたいな人って、誰なの?」
「先生の奥さんー。すごい美人だったのー。あたしやっぱり負けちゃうかなー」
「そんなことないよ!」
杉さんが再び手をすりすりしてくる。
「この水水しさには叶わないよ」
「そうだね。やっぱり若さアピールの色仕掛けが有効だね」
「そうだよねー! あたし頑張るー!」
ガッツポーズを作ってみせると、杉さんと吉田さんが「よっ樹理ちゃん!」「頑張れっ」と掛け声をかけてくれて、ママちゃんはニコニコしてくれた。近くの席のお客さんも「何か分からないけど頑張れー」って拍手してくれた。このお店に来る人はみんな温かい。
**
「不倫なんて、何もいいことないわよ?」
と、戸田ちゃんが真面目な顔をしていった。
戸田ちゃんは心療内科の先生で、歳は30代前半、らしい。すごい厚化粧でパンダみたいな目をしてる。
心療内科には不安な気持ちを落ち着かせるお薬をもらうために、時々通うようにしてる。
「えーどうしてー?」
「お医者さんとしてじゃなくて、人生の先輩として言うけどね?」
戸田ちゃん、器用にくるくるペンを回してる。
「まず、渋谷先生は真面目そうだから、浮気するとは思えないけど……、まあ、例えば、ここで、樹理ちゃんが渋谷先生を略奪したとしましょう」
「うんうん。略奪愛ってやつね!」
略奪愛……素敵な響き。
「そうしたら、きっと、樹理ちゃんは一生、不安なままよ?」
「………不安?」
「第二の自分がいつ現れるかって、ずっと不安なまま過ごすことになる」
「第二の……自分?」
なんだそれ?
「自分も略奪できたってことは、今度は自分がされる番になるってことでしょ」
「それは……」
「樹理ちゃん、若さを武器にしたいみたいだけど、10年たったらアラサーだからね? 10年後、自分みたいな10代の女の子が現れて……」
「あーーーもーーーーいいよっ」
耳をふさぐ。
「そんな先のこと考えたくないっ」
「……それに何よりね」
戸田ちゃんのペンがぴたりと止まった。
「人を不幸にして手に入れる幸せなんて、続かないわよ?」
「……………。それは、戸田ちゃんの経験談?」
戸田ちゃんは、三秒ほど黙ってから、「さあね」と言って、パソコンに向かってパチパチ打ち始めた。
「いつものお薬出しておくから、また来週来てね?」
「……先生のこと、あきらめたほうがいいと思うー?」
言うと、戸田ちゃんは大きくうなずいた。
「おすすめできないわ。樹理ちゃんにはもっとふさわしい相手がいると思う」
「…………ふーん」
でも、そんなことはあたしが決めることだ。
今週末の土曜日はバレンタイン。勝負の日だ。
***
土曜日の小児科の診察は、午前中だけ。12時までになっている。
でもあいかわらずの大盛況で、全員終わったのは、2時近くだった。
そして終わったはずなのに、小児科の待合室には10組くらい親子がいる……どういうこと?
「あのー…今日は午後も小児科あるんですか?」
感じのよさそうな親子連れの母親に聞いてみると、まわりのママ達もドッと笑った。
「いえいえ、違うのよ~。この子たち、渋谷先生のファンでね~。みんなバレンタインのチョコ渡したいって言って……」
「ねー?」
あ、ホントだ。上の子は全員女の子だ。幼稚園くらいかな……。
でも「この子たち」がファンだという割りには、ママ達も化粧に気合い入ってる気が……。
「あ! 渋谷先生だ!」
「せんせーい!」
わっと子供たちが一斉に、処置室の出口から出てきた渋谷先生を取り囲んだ。
渋谷先生はみんなが待っていることは聞いていたようで、驚いた様子もなく、待合室の端のベンチにみんなを誘導すると、座って一人一人と話しはじめた。
(………天使だ)
本当に天使だ、と思う。優しい微笑みを浮かべて子供に囲まれている天使。お昼ご飯もまだだろうに、嫌な顔一つしてない……。
わあわあきゃあきゃあと写真撮影までして、10組の親子連れは帰っていった。
「あのっ渋谷先生………っ」
親子連れがいなくなったタイミングを見計らって、先生に声をかける。
「あの……っこれっ」
えいっとチョコを差しだす。ママちゃんおすすめのめっちゃ高いチョコレート屋のチョコ。
「これは……?」
「バレンタインのチョコレートです! 受け取ってください!」
「…………」
渋谷先生は、「うーん……」と言いながら頬をポリポリとかくと、
「ごめんね。受け取れない」
「え! どうして?!」
さっき、あの子たちからのチョコはもらってたのに!
「あの子たちは、全員患者さんだからね。お返しも経費で落ちるんだよ」
「け……」
けいひ? 意味が分からない。
渋谷先生は淡々と続ける。
「目黒さんはおれとは何も関係ないから、もらうことはできないよ」
「関係ないって……っ」
ひ、ひどい……。
「じゃあ、これから関係もってください! あたしと付き合ってください!」
「ごめん。無理」
バ、バッサリ……。
渋谷先生の顔から笑顔が消えてる。ちょっと……怖い。
でも頑張って食い下がる。
「そ、それは……奥さんがいるからですか?」
「…………」
「奥さんのどこが好きなんですか? 美人だからですか? 背が高いからですか?」
「…………」
渋谷先生は、大きく大きくため息をついた。
「顔とか背の高さとか、そんな外側のことはどうでもいいよ」
「じゃあ、どうして……」
「ずっと一緒にいたいと思う大切な人だからだよ。だから悲しませるようなことは絶対にしない」
「…………」
「ここのお店、すごく高いよね? せっかく買ってくれたのにごめんね」
「…………」
なんだそれ。なんだよそれ……。
「奥さん、いくつ?」
「え?」
「もう30越してるよね? ほら、見て。あたしの足」
しゅっとスカートをたくし上げる。
「きれいでしょ? 水水しいでしょ? はりもあるでしょ? いいなって思わない? 試してみたいって思わない?」
「………目黒さん」
渋谷先生、また大きく大きくため息をついた。
「あのね、本当に愛している相手だと、その人の張りのなくなった肌であろうと、白髪であろうと、全部が全部愛おしいって思えるものなんだよ?」
「……………」
そのセリフ……先週聞いた……。
「それ、ドラマとか映画とかのセリフ?」
「? どうして?」
「こないだ同じこと言ってた男の人がいるの。前通ってた学校の先生なんだけど」
「…………」
「渋谷先生よりちょっと年上くらいかなー。フツーのオジサンだったけど」
「…………」
渋谷先生はなぜか結婚指輪をぎゅっと握ってから、顔をあげた。
「目黒さん、おれのこといくつだと思ってる?」
「え? さんじゅう……に? さん?」
「40だよ」
「え?!」
40?!
「もうすぐ41」
「うそっ」
ママちゃんより年上?!
「もしかして、目黒さんのご両親より年上なんじゃない?」
「う………うん」
「目黒さんにはおれなんかじゃなくて、もっとお似合いの相手がいると思うけど?」
「そんな……っ」
あたしは子供すぎて相手にならないってこと?!
「あたし、もっと年上の人とだって付き合ったことあるよ! 年上全然オッケーだよ!」
「目黒さんがよくても、おれがよくないから」
ぴっと手で制された。結婚指輪が光ってる左手……。
「じゃあ…」
「先生、待って」
行きかけた先生を呼び止めて、思いっきり自分のブラウスを引きちぎる。
「この状態で、あたしがここで悲鳴をあげたら、どうなると……」
「残念だけど」
「!」
すっと無表情に見返された。ドキッとするほど冷たい目……。
「そこの防犯カメラに全部写ってるから。それに……」
「………目黒さん」
柱の陰から看護師が出てきた。よりによってあのガサツな西田サンだ。
「全部聞いてたよ?」
「……………っ」
「ボタン、取れちゃったやつ、付け直してあげる」
西田サンと入れ替わりに、渋谷先生が行ってしまった。振り返りもしない。
冷たい……冷たい人だったんだ……。
裏切られた。天使なんて大嘘だ。悪魔みたいに怖い人だ。
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モテる人って大変だよねー。って話でした。
慶さん、心の中で「めんどくせーなー」って思いながら帰っていったね……。
次回はそんな慶さん視点のお話。
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