慶の誕生日は4月28日。翌29日はみどりの日、じゃない昭和の日(おれ達が日本を離れている間に変わったらしい)で休みだし、ちょうど当日も火曜日で慶は休みだし、外で食事でも……と思ったんだけど。
「キャバクラにでも行くか」
と、慶が、おれが以前樹理亜の母親からもらったキャバクラの名刺をポイッとテーブルに置いた。
「目黒樹理亜と連絡がとれなくなって丸二日だ。せっかくあの子は変わろうとしていたのに、これじゃ元の木阿弥ってやつだ」
「…………」
土曜日の夜。樹理亜の母親が陶子さんの店にやってきた。
慶は、おれとの関係を知られたらマズイだろう、というあかねの咄嗟の判断により、すぐに従業員用の部屋に押し込められたので、樹理亜の母には会っていない。
樹理亜の帰宅を促してきた樹理亜の母と、おれとあかねと樹理亜の4人で話をしていたところ、はじめは「ここでのお仕事楽しいからやめたくないなー」と、帰ることを拒否しようとした樹理亜だったが、
「樹理亜っ」
鋭く名前を呼ばれると、ビクッとして、「やっぱり帰る」と言い出した。
おれもあかねも止めようとしたが、樹理亜の意志は固く……
「お店、遊びにきてね?」
と、乾いた笑顔を浮かべた樹理亜。今思い出しても切なくなってくる。
それから樹理亜の携帯が繋がらなくなってしまった。
樹理亜の担任だった圭子先生に、樹理亜の母親と連絡を取ってもらったけれど、一方的にキレられ、話にならなかったそうだ。学校側からも、卒業した生徒に過度に関わるな、と注意を受けてしまい、おれも圭子先生もこれ以上動けなくなってしまった。
どんよりとした気持ちを切り替えたつもりでの、「明日の誕生日の夜、どこに行きたい?」だったのだけれど、慶にはお見通しだったということだ。
**
名刺の毒々しいピンク同様に、店内も吐き気がするほどのピンクであふれていた。これが良いと思っている人の気がしれない。
「いらっしゃいま………」
入口にいた女の子が、慶とあかねを見てポカンと口を開いた。そりゃそうだ。この2人、揃うと相乗効果で美形オーラがとんでもないことになる。特に今日のあかねは気合いの入り方が違う。そして慶も、あかねの指示により、さっくりとした白いシャツを鍛えている胸元が見えそうなくらい開けていたりして、色気がハンパない。道を歩いていても、モーゼの十戒よろしく人波が割れたくらいだ。
「樹理ちゃん指名したいんだけど?」
「は……はいっ」
転がるように入って行く女の子の後ろから、勝手に店内にズカズカ入り込むあかね。
店の中には、着飾った女の子が3人、やる気のなさそうな男の子が1人、それから……ピンクのママ。客は今、3人……。開店時間直後だから少ないのかいつもこんな感じなのかは分からないけれど、閑散とした雰囲気の小さな店だ。
「……姫?!」
ビックリして立ち上がったピンクの頭の子。樹理亜……ピンクの頭に戻ってる……。
「え、それに、慶先生?! 浩介先生も!」
「樹理」
あかねが樹理亜に駆け寄り、思いっきりハグをする。
「会いたかった!」
「姫……会いたかったって、3日前に会ったばっかりだよー」
樹理亜がくすぐったそうに言うと、あかねは「でも、ずいぶん長い間会ってなかった気分よ?」と言いながら引き続きハグを続けている。
「ちょっと、なんなの?」
樹理亜の母親が尖った声であかねを咎める。
「あんたこないだの店にいた子よね? 営業妨害……」
「え、女性のお客お断りなの? この店?」
きょとんとあかねが言うと、樹理亜がブンブンと首をふった。
「だよね? 私、お客さんでーす。樹理ちゃんご指名ー」
「ちょっと! 樹理亜には先客が」
「先客さんどこー?」
え、と顔をあげた近くのテーブルの中年二人。
「ここのテーブル? ねえ、オジサマ方、私ご一緒してもよろしいかしら?」
「ちょっと、あんた……」
「も、もちろん」
あかねの素晴らしく綺麗な足に釘づけのオジサマ二人。
「じゃ、失礼しまーす」
「ちょっと、エミリ……、エミリ?!」
樹理亜の母親が呼んでいるであろう、キャバ嬢のエミリは、早々に慶のところにすり寄っていた。もう一人の女の子も慶のテーブルにつこうとしている。
「まったく……」
ため息をついた樹理亜の母。
「あの……」
「ああ、浩介先生、来てくれたのはいいけど、ずいぶん派手なお友達を連れてきてくれたものねえ」
「すみません……」
頭を下げると、樹理亜の母は肩をすくめ、
「まあ……いいわ。浩介先生はどうする? あっちのテーブル? それとも……」
「ちょっとお話できたら、と思ってるんですけど」
「え?」
「あの……」
跳ね上がる心臓をどうにか抑え、普通の顔で言う。
「裏メニューがある、という話をきいたもので」
「……………」
ジッとこちらを見つめ返してくる樹理亜の母。
「ふーん……」
「……………」
「いいわ。こっちにきて」
カウンターの隅の席を案内された。その二つ離れたところに、小太りで冴えない感じのスーツの男が座っている。50代後半といったところか。おそらくこいつが慶の病院に一緒にきたという弁護士……。
ちらりとあかねに目をやると、あかねが自然な感じにすーっとやってきた。
「あら、このバッチ、もしかして弁護士さん?!」
「………ああ、まあ……」
あかねに間近に顔を覗き込まれ、気の毒なくらい赤くなった弁護士さん。あかねはこれでもかというくらい魅力的な笑みを浮かべると、
「まあ! 素敵! よろしければご一緒にいかがです? 弁護士さんとお話しできる機会なんてめったにないから是非ご一緒したいわ」
「え」
「グラスお持ちしますね。樹理ー、弁護士さんご一緒してくださるってー」
「ちょ、ちょっと……」
弁護士さんがあわててあかねについていく。
樹理亜の母は呆気にとられたような顔で2人を見送ったが、気を取り直したようにこちらを見た。
「先生、何飲みます?」
「じゃあ……とりあえず、ビール」
「とりあえず、ビール」
クスリ、と樹理亜の母が笑った。
「こういう店来なれてないでしょ? そのセリフ、普通の飲み屋のマニュアルよ?」
「…………」
そして、ビールをついでくれながら、妖しい笑みを浮かべる。
「でも、そういう人ほど裏メニュー利用したがるのよね。風俗には行きたくないけど、みたいなね」
「……………」
「誰から聞いたの? 樹理亜から?」
「ええ………まあ」
あいまいな感じに肯くと、樹理亜の母は左手をパー、右手を3にして差し出した。
「今、先生のお友達の右側に座ってるエミリは一晩8。あの子は色々できるわよ。例えば……」
「…………」
「先生って一見Mに見えて、実はSでしょ?」
「…………さあ」
ふっと笑ってしまう。鋭いな……。
「そういうのも対応できるし。ご期待に添えると思うわ」
「…………」
少し肩をすくめて見せると、樹理亜の母は「じゃあ」と言って、左手のパーだけ残した。
「樹理亜は5。何もできないけどね。ただされるがまま。まあ、そういうの好きな人も結構いるのよね。セーラー服とか着せてね」
「それで5?」
聞きかえすと、樹理亜の母はちょっと笑った。
「でも樹理亜は本番OKよ」
「え」
「ピル飲ませてるから、生でも大丈夫。ほら、そう考えると安くない?」
「……………」
「でも、気持ち良くしてあげてね。あの子するの大好きだから」
「……………」
本当に………そうなんだ………。
ニヤニヤと笑っている樹理亜の母親……。
ピンクのお化けだな。………気持ち悪い。
直視できず、ビールのつがれたグラスを見つめていたら、本当に胃液があがってきた。
「まあ先生、ゆっくり考えてみて。あと、手前側に座ってるミーナはね……」
樹理亜の母の卑猥な話が続いていく。普通の顔をしつつも内心は怒りと吐き気で頭が割れそうだ……。
「…………浩介」
もう限界、と思ったところに……涼やかな風のような声。背中に触れられた優しい手によって毒が浄化されていく……。
「………ばっちり」
「こっちもOK」
慶も苦々しい顔をしている。
「何の話?」
眉を寄せた樹理亜の母を置いて、樹理亜の元に向かう。あかねがニッコリと手を振ってくる。
「もういいの?」
「はい。もう充分です」
慶が肯くと、あかねが樹理亜に向き直った。
「じゃ、樹理。行こっか」
「…………………え?」
キョトンとした樹理亜にあかねが言葉を継ぐ。
「樹理は本当にずっとここにいたいの? ここが樹理の居場所?」
「え……」
「樹理は本当に髪の毛をピンクにしたいの? ピンクの服を着たいの?」
「…………」
うつむき、ピンクのスカートの裾を掴む樹理亜……。
「樹理は本当にここで好きでもない人とエッチしてたいの? 本当の愛を知りたくないの?」
「何を言って………っ」
慌てたように、弁護士先生があかねの言葉を遮ろうとした。やはり、こいつも知ってたのか。
「ちょっとあんたたち、一体何なのよ……っ」
樹理亜の母がヒステリックに叫びながら、カウンターから出てきた。
常連客であろう中年二人も、キャバ嬢二人も、若いボーイも、息をひそめて事の成り行きを見守っている。
「樹理亜は私の娘よ。母親のいる場所が居場所に決まってるじゃないの」
「売春を強要するような人を母親とは呼べません」
ピシャリと慶がたたきつけるように言う。
「何をいって……」
「先ほどのお話、録音させていただきました」
今度はおれがポケットの中からボイスレコーダーを取り出し掲げてみせると、樹理亜の母の顔がザッと青ざめ、弁護士先生も「しまった」という顔をした。やはり弁護士を引き離して正解だったようだ。おそらく彼が横にいたら、新規の客であるおれにあそこまで具体的な話はさせなかっただろう。
「はっきりと、樹理亜さんに売春行為をさせていることをおっしゃっていましたよね」
「こちらも」
慶も携帯電話を掲げた。
「そちらのお嬢さん2人のお話、録音してあります」
「やば……」
ピンクのママに睨まれ、エミリとミーナが手を握り合いながらソファに身を埋める。
「このまま警察に行くことも可能ですが………」
「警察?!」
樹理亜の母と弁護士先生は同時に叫んだが、弁護士先生はさすが弁護士をしているだけあって、すぐに切り返してきた。
「あなた方の目的はなんですか? 警察に届けることが目的ではないでしょう?」
「ええ」
あかねが樹理亜の手を取り、にっこりという。
「私たちの目的は、樹理が自由になること、です」
「自由………」
樹理亜がポツンと言う。
「自由って……何?」
「誰にも行動を制限されたりしないで、自分の好きなように生きることよ?」
「好きなように……」
考え込んだ樹理亜に、母親が慌てたようにつめよる。
「樹理亜、あなたはここにいればいいの。ママのこと大好きでしょう? 今までママがどれだけ樹理亜のために頑張ってきたか分かってるわよね?」
「ママちゃん……」
樹理亜が眉を寄せて母親をふり仰ぐ。
「あたしは………」
「陶子さんはね」
あかねが優しく響く声で樹理亜に言う。
「陶子さんは、樹理の好きにしなさいなって言ってたわよ」
「………うん」
「でも」
にっこりとするあかね。
「でも、ミミが寂しがってるわよ、ですって」
「ミミ……」
ミミって何だ? と首を傾げたところ、慶が小さな声で「陶子さんちの猫の名前」と教えてくれた。
樹理亜が心配そうにあかねを見上げる。
「ミミ、ちゃんとご飯食べてる?」
「さあ? 心配だったら自分で確かめたら?」
「…………」
樹理亜はあかねの手を握り返してから離すと、母親を正面から見返した。
「ママちゃん、あたし、ミミが心配だから帰るね」
「帰るって……あなたの家はここでしょう?」
呆気にとられたように樹理亜の母が言う。
「何を言ってるの?樹理亜……」
「ママちゃん、ごめんね」
樹理亜はピンクのスカートの両端を掴んで上げると、
「あたし、もう、ピンクの服は卒業したいの」
「え……」
「ピンクの髪の毛も、もう止めたい」
樹理亜の瞳が射抜くように母親を見上げている。口調もいつもの間延びした感じから、意志のこもった話し方に変わっている。
「それに、もう、愛のないエッチもしたくない」
「じゅ……」
「昨日、どっかの社長さんとしてて思ったよ。上辺だけ気持ち良くても心が気持ち良くないって。あたし、ちゃんと幸せなエッチがしたいって。だからママちゃんのお願いはもう聞きたくない。だから」
「樹理亜っ」
「!」
樹理亜の母の振り上げた手を咄嗟に後ろから掴む。
「ちょっと、離してっ」
おれが手を離すのと同時に、慶が母親の前に立ちはだかった。
あかねが樹理亜を引き寄せる。
「樹理、荷物取りに行こうか?」
「………うん」
「浩介、お会計よろしく~」
そしてそのまま樹理亜の肩を抱いて、ドアから出て行く。
「樹理亜っ。待ちなさいっ」
追いかけようとした樹理亜の母を、慶が手を広げて遮った。
「一か月前に出て行けと言ったのはあなたの方でしょう? それを急に呼び戻したのはなぜですか?」
無表情で淡々と言う慶。
「それは」
「売春の依頼が入ったから、ですよね?」
「……………」
樹理亜の母がソファのキャバ嬢二人をにらみつけた。これで肯定したのも同然だ。
「親だからといって子供に何してもいいわけないでしょう」
怒鳴りたい気持ちをなんとか抑え、樹理亜の母に冷静に告げる。
「これ以上、樹理亜さんを苦しめないでください」
「苦しめるなんて、そんな」
「あなたの存在そのものが彼女を苦しめている」
ボイスレコーダーをつきつけ、言いきる。
「今後一切、樹理亜さんに近づかないでください。もし近づいたら、警察に通報します」
「な………っ」
樹理亜の母は弁護士先生を振り返ったが、彼は苦虫を噛み潰したような顔をして首を横にふっただけだった。樹理亜の母は崩れるようにソファに座り込んだ。
「私は樹理亜の母親よ……会えないなんておかしいじゃない。樹理亜だって私に会いたくなるはずよ……」
「会いたくなったら、樹理亜さんの方から会いにくるでしょう。それまではどうぞ遠くから娘さんの幸せを祈っていてください」
慶は冷たく言うと、若いボーイに視線を移した。
「すみません。お会計を」
「は……はい」
慌ててレジに向かうボーイの後をついていく。
「…………樹理亜」
ポツリと言う樹理亜の母の声を背に、おれも慶の後に続く。
これでいい。これでいいんだ。
これで、樹理亜はピンクの毒から解放される。
「…………」
振り返った視線の端に写る樹理亜の母の姿と、自分の母親の姿が重なり合う。
お母さん。子供も一つの人格を持っているんだよ。
子供は親の所有物じゃないんだよ……。
***
あかねが樹理亜を陶子さんのところまで送って行ってくれるという。
「だって今日、慶君誕生日でしょ? 二人でお祝いしなよ」
こそこそっと言うあかね。あいかわらず気が利く。
「どこに行きたい?」
あかねと樹理亜を見送った後、慶を振り返ると、慶は「んー」と首を傾げた。わざと開けていた胸元はもうキッチリ閉められている。残念なような、他の奴には見せたくないから安心したような……
「どこでもいい。つか、夕飯買って家で食べてもいいくらいだ。なんか疲れた」
「……そうだね」
肩を抱き寄せたいところをぐっとこらえて、「それじゃ」と提案する。
「慶の実家に行こうか。ケーキ買って」
「は?」
眉を寄せた慶。その額に口づけたいのもぐぐっとこらえる。
「慶の誕生日だもん。慶のご両親もお祝いしたいでしょ」
「いや……この歳で誕生日っていってもなあ」
「電話してみるね」
電話をしようと携帯を取り出したところで、
「ちょっと待て」
手首をつかまれた。今さらながらドキッとしてしまう。
「………何?」
「実家は行くなら明日でもいいだろ」
「でも、今日が誕生日当日だし」
「だからこそ」
手首をつかんだまま、慶がこちらを見上げる。黒曜石みたいな瞳。
「今日はお前と二人でいたい」
「え」
慶………。
感動して抱き寄せたくなったのに、
「だいたい、ここから実家まで1時間以上かかるじゃねえかよ。行くのも帰ってくるのも面倒くせえよ」
さも面倒くさそうに言う慶……。
「………そっちが本音だね」
思わずつぶやくと、慶が小さく舌をだした。
「ばれたか」
「……………」
あ、その舌、舐めたい。
ほとんど無意識に、慶に顔を寄せようとしたところ、ゴンっと拳骨で額を押し戻された。
「お前、こんな人通りの多いところで何しようとしてんだよ」
「舌、舐めようかと」
「あほかっ」
ぐりぐりぐりと額を押される。
「そういうことは帰ってからにしろ」
「え、帰ったらしていいの?」
「……………」
カーッと赤くなっていく慶……。
もう……なんでこんな初々しいの? おれたち付き合って何年目?って感じだけど……
「じゃ、夜ご飯、買って帰る?」
「ああ。駅前のスーパーの弁当にするか」
「え、誕生日なのに?」
「いいんだよ。さっさと帰りてえし」
「……うん」
樹理亜も帰れただろうか、自分の居場所に。
「じゃ、ケーキはちゃんとケーキ屋さんで買おうね?」
「あー、じゃあ、渋谷で乗換するときに買うか」
「うん」
並んで歩きだす。
おれの居場所は、慶の隣。ただ、それだけ。
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長くなりました。でも、とりあえず、樹理亜を母親から離すことができました。
けど、樹理亜は別に母親のこと嫌いじゃないあたりが逆に悲しい感じで……。
さて。次は浩介の番。慶のおかげで精神的には落ちついてきたからそろそろ頑張れるかなあ。
でもせっかく落ちついてきたのに、また壊れちゃいそうでこわいんだけど……。
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