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風のゆくえには~たずさえて11(山崎視点)

2016年07月26日 07時21分00秒 | 風のゆくえには~たずさえて

2015年12月26日(土)


 目黒樹理亜の通うクリニックの前の路地に、黒い車が停まっていた。国産の高級車。その運転席に、先日、樹理亜を連れて行こうとしていた男が、いた。

「あ」

 オレが反射的にそちらに向かって走り出すと、男は慌てたように車を発進させていってしまった。
 過ぎ去っていく車を見送りながら、

「品川……、な、の……」

 車のナンバーをスマホのメモ帳に書き込む。

「これで警察に……」

 一緒にいた桜井浩介を振りあおぐと、桜井は困ったように眉を寄せた。

「ごめん、警察はちょっと」
「なんで?」
「ちょっと………色々つっこまれると困ることがあって」
「困る?」
「うん……ちょっとね」

 桜井が歯切れ悪く言っていたところに、窓から様子を見ていたらしい樹理亜が「追い払ってくれてありがとー!」と叫びながら出てきたので、話はうやむやになってしまった。


***


「うわー、浩介先生、浮気?」

 まだ『準備中』の札のかかった樹理亜の勤めるバーに入るなり、モップがけをしている中学生くらいの男の子に声をかけられた。

「あのイケメン慶先生とは全然タイプ違うじゃーん」
「ちょっとやめてよ。ただの高校の同級生だよ」

 桜井が本気で嫌そうに鼻に皺を寄せている。
 桜井の恋人・渋谷慶も高校の同級生だ。同性ながらももう24年も恋人関係である二人は、いまだにおそろしくラブラブなのだ。

「あとで慶もくるからね。慶に変なこと言わないでよ?」
「げーくるのかーヤダなー」

 ブツブツいいながら、男の子はモップを洗いに行ってしまった。

 あらためて店内を見る。L字型のカウンター席に、広めのソファー席が一つと、立ち飲み用なのか、背の高いテーブルがいくつか。狭くもなく、かといってそんなに広くもない。地下だから窓はないけれど、圧迫感はない。清潔感のある居心地の良さそうな……まあ、『普通のバー』だな、と思った。が、

「浩介先生」
「!」

 低く落ちついた声と共に現れた女性にギョッとしてしまった。普通では絶対にお目にかかれない神秘的な美女。東洋のクレオパトラ、といった感じ。

「樹理がお世話になったそうで……」
「陶子さん」

 桜井が何でもないように、頭を下げているのをみて、感心してしまう。

(やっぱり、普段からあのイケメン渋谷と一緒にいるから、美形慣れしてるのか?)

 オレはとてもじゃないけど、こんな美女に話しかけられたりしたら……

「もしかして、山崎さん?」
「は、はい?!」

 ……………。声がヒックリ返ってしまった……。


***


 その美女『陶子さん』は、このバーのママだそうだ。
 先ほどモップがけをしていた中学生の男の子みたいな子は、最近アルバイトをはじめたという『ユウキ』という大学生。後から知ったのだけれど、体は女性で心は男性、なのだそうだ。樹理亜に片思いしているそうで、一方的に渋谷のことを敵視しているらしい。

「ごめんなさい、警察は……」

 オレが警察に通報した方が、という話をしたところ、陶子さんも桜井と同じように首を振った。

「ちょっと色々あって……」
「そうですか……」

 よく分からないけれど、立ち入らないほうがよさそうだ。
 大人たちが黙ってしまったところに、ユウキが割って入ってきた。

「あのさあ、なんで、樹理がその病院に行くってバレてんの?」
「え」

 それはどこかから尾行して……、と答えかけて、違う、と気がつく。
 樹理亜はここから電車で移動している。一方、あの男は車だった。行先を知らないかぎりあそこに現れることはできない。

「予約も何もしないで、ふら~って行ったんでしょ? それなのにおかしくない?」
「……確かに」
「樹理」

 ちょうど店に入ってきた樹理亜に、陶子さんが淡々と問いただす。

「今日、戸田先生のところに行くって、私以外の人に言った?」
「んーーー」

 樹理亜は頬に手を当て考えこんでから、「あ」と手を打った。

「ママちゃんに言ったー。今日何してるの?って電話きたから」
「…………」
「…………」

 桜井と陶子さんが顔を見合わせ……そして同時にため息をつきながら下を向いてしまった。

 なんだ? ママちゃんって誰?

 意味が分からず樹理亜を見返すと、樹理亜も、はて? と首をかしげている。

「何? 陶子さんも浩介先生も。どうかした?」
「………いや」
「なんでもないわ」

 二人とも何でもなくないように額を押さえている。

 オレには分からないことばかりだ。分からないけれど……何か入り組んだ事情があるということだけは分かった。
 そして、この場で本当に何も分かっていないのは、当事者であるはずの樹理亜自身だということも、分かった。

「……樹理。グラス磨いたんだけど、これで大丈夫か見てもらってもいい?」
「ん? うん、いいよー」

 ユウキが樹理亜に声をかけている。ユウキもまた、何か察するところがあったようだ。それでも何も言わず、寄り添おうとしているところに健気さを感じる。少し感心しながら若い二人の姿を眺めていたところ、

「山崎……頼みがあるんだけど」

 桜井が真面目な顔をして言ってきた。

「今から戸田先生のところに戻ってもらえる? 念のため、戸田先生のこと送ってあげてほしいんだけど」
「え」
「それから、今の話、伝えてもらえるかな。ちょっと、電話やメールでする話じゃないし……」
「あ……、うん……分かった」

 戸田さんとは、さっき樹理亜と桜井と一緒に診察室で会った時もなぜかギクシャクしてしまって、それが解消できないまま別れてしまった。

(もしかして………)

 これはチャンス? 一対一ならギクシャク解消できるかも……?

 と、そこまで考えてから、自身に「何言ってんだ」とツッコミを入れる。
 こんな大変な時に、そんな不謹慎なこと……。それに何より、オレ、戸田さんと関係を改善させる必要あるのか? 別に、戸田さんにどう思われようとも、オレには関係ない………

「………………」

 ………………。

 いや、改善はしたほうがいいよな。先月、戸田さんがしてくれた音楽祭の司会、すごく評判良かったから、またお願いするかもしれない。

 そうだ。改善するべきだ。
 あの司会は本当に素晴らしかった。あの聞き取りやすい声。それに何より、舞台監督の指示に即座に答えてくれる反応の良さ。1言えば10察する心使い。
 あのレベルの高さなのに、交通費に毛のはえたようなボランティア価格でも何も文句も言わず引き受けてくれて……

 音楽祭の時の、薄いグリーンのスーツもとても似合っていた。仕事の出来る女という感じ。
 そして、3日前の演奏会の司会の時の、シルバーのスーツも良かった。華やかなクリスマスコンサートの雰囲気に合っていて……

「………………」

 でも、その後に二人で行ったワインバーで、戸田さんは急に帰ってしまって……

(やっぱりオレが何かしたのかな……)

 でも、翌日お詫びのラインくれたし……
 でも、さっきもギクシャクしていたのは、確実にその余波だし……

(でも、ワインバーでのあの真っ青な表情………)

 どうしたんだろう………。
 もしかして、あの不倫相手と何かあったんだろうか……。
 なんだか胸がざわつく。今日はただ気まずい雰囲気だっただけだけど……

 でも、でも、でも…………

「山崎? 大丈夫?」

 考えこんでいたら、桜井に心配顔で見られてしまった。 
 
 いや、やっぱり、色々、大丈夫じゃない。




【おまけ】

(浩介視点)

 山崎と一緒に店を出て、慶との待ち合わせの駅に向かった。山崎にはすぐに戸田先生の元に行ってもらい、おれは改札前で慶を待つ。一緒に住むようになってからは、外で待ち合わせる、という機会が減ったので、新鮮でいい。

「…………あ」

 遠くからでも分かる、慶のオーラ。周りの人が時々振り返るから、それで余計に分かるのかもしれない。

「浩介!」

 おれの姿を見つけた慶がニコニコで手を上げ、人の波と共に改札を抜けて、こちらに向かって歩いてきてくれる。

「慶………」

 ああ………抱きしめたい。
 どうしてこの人はいつまでたってもこんなに可愛いんだろう。どうしてこんなに真っ直ぐおれを見てくれるんだろう。

「慶っ」
 我慢できなくて、近づいてきたその腕を掴み、引き寄せると、

「あほかっ往来で何してんだよっ」
「痛っ」

 速攻で蹴られた………
 人前ではつれないところも、いつまでたっても変わりません……


***


「慶先生ー、今日、浩介先生、他の男とイチャイチャしてたよー」
「ユウキ君っ」

 店に入るなり、ユウキにとんでもないことをいわれて焦ってしまう。
 でも、慶はあっさりと、

「あー、聞いてる。ありゃ高校の同級生だ」
「えーでもさー」

 慶にあっさりあしらわれたのが気に入らないらしく、ユウキは不満げだ。

「すんごい仲良さそうだったよ?」
「そりゃ付き合い長いからな」
「ふーん……」

 いつものカウンター席に座ったところで、ユウキが温かいおしぼりを渡してくれながら言う。

「慶先生さあ、そんな余裕かましてるとそのうち痛い目あうよ?」
「痛い目?」

 きょとん、と二人で見返すと、ユウキは口を尖らせたまま、

「浮気、とか」
「浮気ー?」

 ぷっと吹き出してしまう。

「ないない。あるわけない」
「そう言ってる人があやしいんだよー?」

 ユウキの口は尖ったままだ。

「慶先生、ホント知らないからねー?」
「何が」

 慶も苦笑したまま、ユウキを見返した、が、

「こういう人が、朝起きたら突然いなくなってたりするんだよ?」
「……っ」

 ピキッと固まってしまった。

 まずい。それはNGワードだ……

 でも、ユウキは気が付くことなく、メニューの表を差し出してから行ってしまった。こんな爆弾落としておいて……

「……慶?」

 慶はまだ固まっている。これはこのことについて何かツッコむべきなのか、それともスルーするべきなのか……

 慶は今だに、今から10年以上前、おれが突然、慶を置いて日本を離れたことを根に持っている。いや、根に持っている、という言い方はおかしいか……。
 その時のことを思いだすと、ストーンと穴の中に落ちていくような感覚に陥る、と前に言っていたことがある。もしかして今も、穴の中に落ちてしまっているんだろうか……

「慶?」
「………浩介」
「!」

 カウンターの上に置いていた左手をギュウッと握られた。慶は下を向いたまま、ポツンと言った。

「お前……いなくなる?」
「…………」

 握られた手を両手で包み込み、慶の顔をのぞきこむ。

「いなくならないよ?」
「………」
「ずっとずっと一緒にいるよ?」
「………」

 目をつむってしまった慶の目尻に唇を落とす。頬にも落とす。

「ずっと、一緒にいようね」
「…………ん」

 かわいいかわいい慶……
 「ずっと一緒に」は慶がよく言ってくれる言葉だ。慶は、「好き」とかそういう直接的な愛の言葉はめったに言ってくれないけど、「ずっと一緒に」とか「ずっとそばに」とかは、呪文のように言ってくれる。

 たぶん、慶自身が強く強く願ってくれている言葉……いとおしくてたまらない……

 コクッと小さくうなずいた慶の額に額を合わせ、そして………と思ったところで、

「あー!ラブラブーいいなー!」
「…………あ」

 甲高い声に我に返った。目黒樹理亜が、パタパタと両手を振っている。

「いーなーいーなーいーなー」
「………………」

 その後ろでニターッとしているユウキ。
 彼は樹理亜に片想いしている。わざとけしかけるようなことを言って、おれ達をイチャイチャさせ、それを樹理亜に見せたかったらしい……。

「あたしもラブラブしたーい!」
「だから樹理、ボクと……」
「ユウキはお友達だからダメだってー」

 前からよく見かける光景だけれども、前よりも少し、樹理亜の拒否感が薄くなってきた気が…………

「……浩介。何飲む?」
「あ、うん」

 わざとメニュー表を、慶の手に重ねて持つ。重なった手から温かい気持ちが伝わってくる。

「一緒のがいいな」
「ん」

 うなずいた慶の目尻に再び唇を落とす。

 ずっとずっと、一緒がいい。



--------------

お読みくださりありがとうございました!

山崎君、何しろ10年恋から離れていたので諸々ギコチナイですが、恋ってこんな風に相手のことが気になってしょうがなくなることから始まるのではないでしょうか。

そして【おまけ】。
浩介と慶のイチャイチャに飢えているもので我慢できず書いてしまいました。

それで、今回、この話を書いていたら、
「やっぱり次の長編は、離れ離れになるキッカケの話だよねー」
と、思いまして……。
それに伴い、2014年秋に書いた『翼を広げる前』という短編を一回下ろすことにしました。
たぶん、このエピソードは丸丸、その長編で使うことになると思うので……

でもその前に、山崎君です。頑張ってもらわねば!!


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