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風のゆくえには~たずさえて12(菜美子視点)

2016年07月28日 07時21分00秒 | 風のゆくえには~たずさえて

2015年12月29日(火)


『山崎さん、絶対、戸田ちゃんに気があるよねー』

 3日前、帰り際の樹理亜にコッソリ言われた言葉がフワフワと頭の上の方に浮かんできた。

『ずっと戸田ちゃんのことチラチラ見てたしさー、しかもさっき「戸田さんが樹理ちゃんのこと心配してるから、だから樹理ちゃんのことが心配」って言ったんだよー失礼しちゃうよねっ』

 失礼しちゃう、と言いながら、樹理亜の顔はニマニマしていた。

 中学生じゃあるまいし、そんなことで浮かれたりはしない。だいたい、そんな不確定なことを信じるのも馬鹿馬鹿しい。

 そう思いながらも、ちょっとそうなのかな、と思ってしまう自分もいる。
 山崎さんは、3日前もわざわざ一人でクリニックに戻ってきて、家まで送ってくれた。昨日も、一昨日も、夜に「大丈夫でしたか?」と短いながらも、本当に心配してくれてるんだろう、と思える誠実なラインをくれたりして……

 山崎さんは変な人だ。基本的には、一歩引いて接してくるのに、突然、あの見透かすような瞳でこちらに踏み込んでくることもある。わりと聞き上手で、あの落ちついた淡々とした声に促されると、自然と話が引きだされてしまう。こんな人、今まで私のまわりにはいなかった。そんな彼が私に気があるって……


「いやいやいやいやいやいやいや」

 思わず、声に出して否定してしまう。誰も残っていない静かなクリニックの廊下に自分の声が響いて笑える。

 もし、そうだったとしても、上手くいかないことは目に見えている。
 山崎さんは、私のヒロ兄への思いに気がついている。家まで送ってくれた際、意を決したように聞かれたのだ。

『あの時、突然帰ってしまったのは、もしかして、あの彼と何かあったんですか?』

 と。本当に鋭すぎる。

『まあ、そんなとこです』

 苦笑して肯くと、山崎さんは、それ以上は何も聞いてこなかった。
 だから、もう、これ以上の関係に進むことはありえない。それでいい。

 結局、ヒロ兄への想いを捨てられない私は、他の人と本気で恋愛することなんてできないのだ。


「…………あれ?」

 窓の外にふと目をやり、なぜか嫌な感覚にとらわれた。なんだろう……この違和感。

 今日は、ヒロ兄の病院での診療を終えたあと、クリニックに戻ってきた。明日から冬休みに入るため、今年のうちに片付けておきたい仕事をしたかったのだ。他の職員はみな最終日ということもあって上がりが早く、現在残っているのは私だけ。廊下の電気も最小限にしか付けていないので、薄暗くて少し怖い。

 そう思いながら外を見続け、違和感の理由に気が付いた。病院の入り口近くの路地に、車が停まっている。この付近はわりと駐禁の取り締まりが厳しいので、路上駐車する車は滅多にいないのだ。

「………まさか」

 自分の部屋に戻り、あわててデスクに張っておいたメモ紙を見る。
 樹理亜のストーカーの車の特徴とナンバー……山崎さんが教えてくれたものだ。ナンバーは見えなかったけれども、色と形はおそらく一致している。

「!」

 途端に血の気が引いた。

 こわい。

 山崎さんの胸倉を掴んでいた男の姿を思い出す。体格のよい、ギョロッとした目……

 こわい。こわい……どうしよう……


「……ヒロ兄」

 咄嗟に、ヒロ兄の携帯を鳴らす。

 ヒロ兄、ヒロ兄、助けて………


 長く、長く感じる、数回のコール音のあと、

『もしもし?』
「!」

 切ってしまおうかと思った。

『菜美子ちゃん?』
「………」

 電話の先の声は……敦子さん。ヒロ兄の奥さん。 

『ごめんね、峰君、ちょうど今、お風呂に入ったところで……』
「そう……ですか」

 敦子さんは今だに自分の旦那さんのことを私の前では『峰君』と呼ぶ。新婚時代の初々しさを忘れていません、というアピールに聞こえるのは、私の単なる僻みなんだろう。

『出てからかけ直しても大丈夫?』
「いえ……いいです。あの……仕事のことでちょっと聞きたいことがあっただけなので」

 仕事のこと。敦子さんにはけっして言うことのできない言葉をわざわざ選んで言う私。精一杯の抵抗だ。

『そう……じゃあ、電話があったこと伝えておくね』
「あ、いえ、結構です。すみませんでした」


 何か言われる前に、さっさと携帯を切る。

 ああ……、もう、どうでもいい……。

 窓の外を見ると、車は今だに停まっていた。駐禁で通報してやろうかとも思ったけれど、乗っているから無駄かと思ってやめておく。

 そこへ、ラインの通知が入った。

「……山崎さん」

 昨日と、一昨日と同じく、私が無事に家に帰れたかどうか心配してくれているメッセージが書かれている。
 今、まさに、ストーカーの車が停まっているかもしれないわけだけれども………。なんか本当にどうでもよくなってしまって、そのことには触れないことにした。

『仕事が残っているため、クリニックに戻りました。あと30分くらいで帰る予定です。ご心配ありがとうございます』

 そう無難に返すと、すぐに返事が返ってきた。

『遅くまでお疲れ様です。何かありましたら何なりとお申し付けください』

 ……………。

 何なりとお申し付けください、だって。

 …………変な人。

 少し明るい気持ちになりながら、仕事に戻る。
 こう言ってはなんだけれども、ストーカーの狙いは樹理亜なのだ。私のことは関係ない。もう診察時間も終わっているわけだし、そろそろ諦めて帰るだろう。

 ちょうど30分後、予定の処理を終わらせ、再び窓の外を見てみたところ、

「!」

 まだ、いる。

「どうして……?」

 まさか私に樹理亜のことを聞こうとしているとか……?

 そうだとしたら…………やっぱり、こわい。

「どうしよう………」

 爪をかんだところで携帯が鳴った。ディスプレイには……ヒロ兄!

「ヒロ兄!」

 ヒロ兄からの電話!! あわててとる。

『何かあったか?』
「……っ」

 大好きな響く声が耳に直接聞こえてきて、泣きそうになる。
 ああ、やっぱり、ヒロ兄は私のこと心配してくれてる。私のこと大事に思ってくれてる……

『菜美子?』
「あ……あの」

 安心できる声。大好きな声。
 迎えに来て………と、言いかけた。けれども。

『パーパー、まーだー?』

 後ろから聞こえてきた、ヒロ兄の下の娘の声。小学5年生の玲佳ちゃん……

『こら、パパ、お電話中よ。邪魔しちゃだめよ』

 敦子さんの楽しそうな声……

『菜美子?どうした?』

 ああ……ほら、知ってたのに……
 もう、この人の声も、手も、私のものじゃない。そんなこと分かってる。17年も前から分かってるのに……

「ごめんなさい。本当に大丈夫。おやすみなさい」
『え?菜美……』

 電話を切ってすぐに、携帯の電源も落とした。

 もう………疲れた。


***


 暗い中、クリニックの施錠を確認して回り、表玄関から外に出た。住宅街の中にあるので、夜9時を過ぎた今は人通りも少なくシンとしている。

(車………停まってない)

 どうでもいいと思いつつも、やっぱりホッとしてしまう自分に苦笑する。

 でも、どうせ私に何があったって、ヒロ兄には関係ない。いや、優しいヒロ兄は、妹代わりの私をすごく心配してくれるだろう。心配してくれる。家族の次くらいの重さで………。

(そんなこと……知ってる)

 泣きたくなる気持ちをこらえながら、駐車場の中を通り抜け、クリニックの敷地を出ようとしたところで………門柱の前の人影に気がついた。

 あれは………

「戸田さん」

 優しい、声。

「すみません、ご迷惑だとは思ったんですけど、やっぱり心配で……」

 …………山崎さん。

「携帯も繋がらなかったので……あ、もしかして、充電切れて……え」

 近づいていって、その胸に手を置き、コンッと肩に額をのせると、戸惑ったように山崎さんの声が裏返った。

「と、戸田さん?」
「…………」

 男の人の固い胸の感触。ああ、こんなに居心地いいんだったっけ……。すっかり忘れてた。
 今はもう何でもいい。温かいものに包まれていたい……。

 と、思ったんだけど。

 1分もしないうちに、笑いだしてしまった。

「や、山崎さん……」

 山崎さんは、自分の手をどうしたもんかと悩んだようで、下ろしていた腕を、一度私の腰のあたりまで上げかけ、また下ろし、そしてまた上げ、また下ろし、今度は頭をなでようとしてくれたのか上の方まであげて……、でも、結局、自分の頭を掻きはじめてしまったのだ。

「あ……すみません」

 街灯の下でも分かるくらい真っ赤になって謝っている山崎さんが可愛くて可愛くて……しばらく笑いが止まらなかった。




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お読みくださりありがとうございました!

山崎卓也41歳。約10年ぶりのシチュエーション。久しぶりすぎて何をどうしたらいいのか^^;

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有り難い有り難いと拝んでおります。
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