2015年12月26日(土)
今日はクリニックの方に突然やってきた目黒樹理亜。でも前回、病院にきた時よりはずいぶんと元気だった。
「戸田ちゃん、なんか今日メイク濃くなーい? パンダ具合上がってるよー?」
「…………」
そんな余計なことを言うくらいに、元気だった………
樹理亜のことは予約と予約の間間で診ることにしたため、一度待合室に戻ってもらった。
次の予約の方の診療を終えて、再び樹理亜を呼ぶ前に、化粧室で鏡をチェックする。
「…………パンダか」
一昨日、病院でヒロ兄にも同じことを言われた。
いつものように、ふらっと診察室にやってきたヒロ兄………
『戸田ー。今日、化粧に気合入ってるじゃねーか。デートかー?』
『院長、セクハラです』
ムッとして答えると、ヒロ兄はまわりに誰もいないことを確認してから、すっとこちらに身を寄せた。
『おばさんから聞いたぞ。お前、昨日デートだったんだってな? ついに新しい男できたか?』
『……………』
お母さん、余計なことを……
『もしかして今日もそいつとデートか? 今日がクリスマスイブだもんな?』
『…………』
無視して手元のカルテに目を落としたところ、
『菜美子』
『………っ』
顔をのぞきこまれ、カアッとなる。
『お前、そんな化粧しなくてもいいのに』
『…………』
『パンダみたいだぞ』
『……っ』
バンッと思いっきり額をカルテで叩いてやると、ヒロ兄はケタケタ笑いながら出ていってしまった。
「……知ってる」
パンダみたい。知ってる。
でも、くるっとした目になりたい。くるくるっとした目になりたい。
「敦子さんみたいな目になりたい」
鏡の自分の目に触れる。
はじめて敦子さんに会った時のことを思い出す。
駅近くにあるワインバー。当時の私には別世界だったおシャレなお店。
高校の入学祝だといって連れてきてくれたのに、3人分のテーブルセッティングがされていて……
『わあっあなたが菜美子ちゃんね! 峰君から話聞いてる通り! かわいー!』
『…………』
遅れてやってきた小柄な女性。くるくるした瞳……
高校の同級生だったという2人。当時はほとんど話したこともなかったけれど、半年ほど前に再会してから意気投合して、付き合うことになったそうだ。
ヒロ兄の彼女には何人か会ったことある。その中でも一番目がくりくりしてる。一番かわいい。一番明るい。童顔。30半ばには見えない。
帰り際、化粧室に行ったところ、敦子さんが後から入ってきた。
そして、そのくるくるした瞳で、鏡越しに言ったのだ。
『私、峰君と結婚するの』
『………え』
振り向くと、敦子さんはニッコリと笑った。
『ごめんね』
『え?』
ごめん? 何が? 聞き返すと、敦子さんはスーッと真顔になって、もう一度言った。
『ごめんね』
『………………』
くるくるした瞳……
『もう、あなただけのヒロ兄じゃなくなるから』
『………』
それは……
私が固まって何も言えずにいると、敦子さんはまた、ニコッとして、私の頬に少し触れた。
『いいね。女子高生。お肌が綺麗』
『…………』
『峰君が言ってた通り。菜美子ちゃんってホントかわいい』
『…………』
『私も菜美子ちゃんのこと、妹だと思っていいかな?』
くるくる……くるくるした目……
コクリと肯くと、敦子さんは安心したような笑顔を浮かべた。
化粧室から戻ると、ヒロ兄は組んでいた腕を解いて、ムッとして言った。
『おせーよ』
『ごめんなさーい。あのね……』
敦子さんがヒロ兄に何か小声で言った。すると、ヒロ兄は目を見開き……
『!』
ポンポンと敦子さんの頭を撫でた。
その瞬間、ズキッと胸のあたりに痛みが走る……
『ヒロ兄……』
笑ってる………愛おしそうな瞳で敦子さんを見てる……
『ヒロ兄』
もうあなただけのヒロ兄じゃなくなるから。そう言った敦子さんの大きな瞳……
『ヒロ兄』
ヒロ兄のその大きな手は、もう、私だけのものじゃない……
『………なーんだ』
ふっと、笑ってしまう。
こんなに胸が痛いのは……こんなに苦しいのは……
『私……』
今さら気がついた。ずっと一緒だったから気がつかなかった。
『私……』
ヒロ兄のこと、好きだったんだ……。
「あれから……17年?」
3日前から、あの時見た映像が妙にくっきりと思いだされている。あのくるくるした瞳になりたくて、ついつい念入りに化粧してしまっている自分が嫌になる。
「せっかく記憶薄くなってたのになあ」
鮮明になってしまったのは、確実に3日前にあのワインバーに行ってしまったことが原因だ。リニューアルもされていたし、大丈夫だと思ったのに……
(山崎さんに悪いことしちゃったな……)
ヒロ兄とは真逆の、純朴な感じの山崎さん。あんなオシャレなバーなんて全然似合ってなくて。無理して予約してくれたんだろうに……
「先生、目黒さん、保護者の方も一緒でもいいかって」
「え」
診察室に戻るなり看護師の柚希ちゃんに言われ、我に返る。
「保護者って? お母さん?」
「いえいえ。それがビックリなんですけどーあのー……」
「失礼しまーす!」
言いかけた柚希ちゃんの言葉にかぶるようにドアが開き、樹理亜が顔をのぞかせた。
「入っていい?」
「………あ」
いいという前に、さっさと診察室に入ってきた樹理亜。その後ろから「すみません…」と頭を下げながら入ってきたのは桜井氏。
桜井氏は以前は毎週このクリニックに通っていたけれど、今は月に1度程度に落ちついている。柚希ちゃんは樹理亜と桜井氏が知り合いとは知らないので、それで「ビックリ」だったのだろう。
「桜井さん、今日はどうし……」
言いかけて、言葉を止めてしまう。桜井氏の後ろから入ってきたのは……
「………山崎さん」
居心地悪そうな表情をした山崎さんだった。
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お読みくださりありがとうございました!
『あいじょうのかたち』の中で浩介が何度か「パンダみたい」と表現してましたが、
戸田ちゃんのパンダメイクにはそんな悲しい理由があったのでした。
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ホントにホントにもう嬉しすぎて……皆様ホントお優しい……ありがとうございます!!
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