慶と初めてキスをしたのは、高校二年生の11月3日。文化祭の最終日の、後夜祭の最中のことだった。
キャンプファイヤーの火を遠目に見ながら、校庭の隅っこに座って話をしていたのだけれど、
(綺麗だな……)
慶の横顔にみとれていたら、その視線に気がついた慶がこちらを振り返って。そうしたら、その唇がとてつもなく魅力的で、ほとんど無意識に唇を重ねてしまって……
それから、おれはようやく、慶への気持ちに気がついたのだ。友達としてだけではなく、特別な存在だと思っているということに………
あれからちょうど24年……
「何ジロジロ見てんだよ」
「え、あ、うん。綺麗だな、と思って」
「何が?」
眉間にシワを寄せた慶にそっと口づける。
「慶の横顔が」
「なんだそりゃ」
苦笑する慶。正装をしている上に、髪の毛もプロの人にセットしてもらって、薄く化粧までしているせいか、いつもにも増して芸能人オーラを放出しまくっている。この人絶対芸能人になれる。……あ、でも照れ屋だから演技とか歌とかできないし、写真撮られるの嫌いだからモデルにもなれないし、やっぱり無理だな。いや、無理でいいんだけど。芸能人なんかになられたら困るし……
「ご準備、よろしいでしょうか?」
「あ、はい」
カーテンの向こうから声をかけられ、返事をする。
今日は、かねてからの計画通り、写真館へ撮影をしにきているのだ。
慶が結婚式はどうしても嫌、百歩譲って写真撮影だけ、というので、その話を友人のあかねにしたところ、同性カップルの写真撮影を請け負ってくれる写真館を紹介してくれたのだ。あかねは顔が広く友人が多い。結婚指輪もあかねの友人が働く店で買ったが、この写真館も彼女の友人がカメラマンとして働いている店なのだ。
カーテンが開くなり、スタッフの女性陣がきゃあっと声を上げた。そりゃ、この慶を見たら誰でもきゃあっていうよな。
でも、残念でした。お前らがいくら騒いでも、慶はおれ一人のものなんだよ。
純白のタキシードを着た慶。用意されていた靴を履くと、あれ?と首をかしげた。
「これ、もしかしてシークレットシューズですか? いつもより目線が……」
慶が言うと、スタッフの女の子がニコニコと、
「シークレットってほどではないですけど、5センチほどヒールが入ってます」
「お~~これが170センチの視界かあ~~」
いや、正確には169でしょ、というツッコミはやめておく。慶、やたらと嬉しそうだ。
「おれもせめてこのくらいは身長欲しかったなー。いいなー。おれこの靴買おうかなー」
「歩きにくくないの?」
「いや?別に……ととっ」
慶は歩き出そうとして前につんのめり、おれの腕にとっさにつかまった。
「くそー。やっぱり歩きにくいなー」
「そう考えると、女の人ってあんな高いヒールよく履けてるよね」
「だよな……って、お前ももしかして履いてる? 差がいつもと変わんねえ……」
「ん? どうなんだろう?」
靴底を見たりしていたところに、別のスタッフが入ってきた。
「ご両親様のお支度も整いましたので、どうぞスタジオへいらしてください」
「はーい………、おっと」
やはりおれもヒールが入っていたようで、気をつけないと前につんのめりそうになる。二人して用心して歩いていたら、何だかおかしくなってきた。
「明日変なとこ筋肉痛になってそう」
「いや、おれ、もうだいぶ掴んできたぞ。マジで買おうかな、この靴……」
「え」
これで慶に背まで高くなられたら、もう本当に弱点ナシじゃないか。ますます女性に目をつけられるじゃないかっ。
「170センチ~」
「…………」
慶、ご機嫌だ……。
う……慶の身長コンプレックスを知っているだけに反対できない……。
「これ、いくらぐらいすんだろうな。やっぱ普通の靴より高いのかな」
「え、あ、そうだね……」
本気で慶が購入を考えはじめてる。どうしよう……と思っていたところに救いの声がかかった。
「やめた方がいいと思うよ」
「南ちゃん!」
いつの間に、慶の妹の南ちゃんが真面目な顔をして立っていた。
「今持ってるズボン、履けなくなるよ? スーツとか全部作り直しだよ」
「………。そりゃ面倒くせえな」
「だいたい、普段履きの靴はともかく、フォーマルの革靴は3センチくらいヒールあるでしょ。それでいいじゃん」
「……だな。やっぱやめた」
あっさりと慶が諦めてくれて、ほっとする。それから、あれ? と思う。
「南ちゃんも来てくれたんだ」
「うん。でも写真には写らないよ」
確かに、南ちゃんラフな格好してる。
「聞いたら、こっちでも写真撮っていいって言うから、今日はカメラマンとして来ました~」
「お前、まさかその写真……」
「参考資料として使わせていただきます。売らないから安心して」
「当たり前だっ」
南ちゃんは小説家をしている。その作品は男が手に取りにくいものばかりだったりする。そして、南ちゃんはおれ達の写真を隠し撮りして売っていた過去もある……。
南ちゃんは、にーっこりと笑うと、
「今日はおめでとうございます、だね。今日にしたのは、初キス記念日だから?」
「み………っ」
ケロリといった南ちゃんのセリフに血の気が引く。
南ちゃん、それは言わない約束だったでしょっ! って、24年も前の約束って無効なのか?!
24年前、キスしたことで慶とギクシャクしてしまい、それを南ちゃんに相談したのだ。南ちゃんバッチリ覚えていたようだ。
「なんで知ってる!? ってお前かっ」
慶が南ちゃんにつめよりかけて、はっとおれを振り仰いだ。
「お前が喋ったってことだな?!」
「ごめんごめんっ。でも24年も前のことだよーっ」
「お前、他に何喋った?!」
「喋ってない喋ってないっ」
色々喋ってるけど、とてもじゃないけどそんなこと言えない!
慶はプリプリ怒りながらおれの額にぐりぐりと人差し指をつきつけてきた。
「前々から言おうと思ってたけどな、お前南に……」
「桜井さん、渋谷さん」
そこへ、苦笑気味にスタッフの女性から声をかけられた。
「皆様お待ちですので、こちらへどうぞ」
「あ……すみません」
慶と顔を見合わせる。慶はイーッという顔をすると先にスタスタ言ってしまった。
変わってないよなあ……ホントに。慶はあのころと同じ、可愛いままだ。
思わずその後ろ姿に見惚れていたところ、背中をバシバシ叩かれた。
「ごめーん、浩介さん。内緒だったんだっけ」
「南ちゃん……ホント、これ以上バラすのやめて」
「ごめんごめん」
全然反省してない様子の南ちゃん。おれの横にそそっと寄ってくると、
「で、さあ、こないだから聞きたかったんだけど……」
「…………なに?」
嫌な予感がする……。南ちゃん、いたって真面目な顔でいった。
「二人って、受攻変更したの?」
「は?!」
何の話?!
「半年くらい前だっけ。浩介さん、お兄ちゃんのこと亭主関白だって言ってたじゃない? それって精神的な話ってこと? それともあっちの話が変更に……」
「みーなーみーちゃん?」
そんな突っ込んだ下ネタ、こんな場所でやめてくれっ。
「いいじゃん。教えてよー」
「教えるもなにも、昔から何も変わってないよっ」
「あ、そうなの?」
小首をかしげた南ちゃんにビシッと指をさす。
「そう。おれ達は、昔から、なーんにも、変わってない、の」
初めてキスした24年前から。ずっとずっと、おれ達は何も変わっていない。
扉をあけると、天井からたくさんのライトがつるされた部屋に出た。明るい光の下でスタッフの女性と何か話している慶。やっぱり慶は光輝いてる……。
(昔から変わらない。愛しいおれの光……)
吸い寄せられるようにそちらに行こうとしたのだが、
「浩介」
遠慮がちな声に立ち止まった。振り返ると、黒留め袖姿の母がいた。こちらで着付けとヘアーセットもお願いしてあったので、とても綺麗に髪も結い上がっている。
母はいつものように手を揉み絞りながら、うんうんと肯き、
「ああ、やっぱりその色にして正解だったわ。良く似合ってる」
「………ありがとうございます」
今回、事前の衣装選びは母にも付き合ってもらった。そうしろ、と慶にうるさく言われたからだ。
カタログを見ながら散々悩んだ結果、色違いのタキシードにした。慶は白、おれはシルバー。それは母の見立てだった。
感動した様子の母の姿に、慶の言う通りにして良かったな……と思いながら、母に頭を軽くさげる。
「お母さん、今日は遠いところを……」
「あなた。そんなところにいらっしゃらないで」
「え」
おれの言葉を遮って、母が声をかけた先には……
「……お父さん」
茶番に付き合う気はないって言ってたのに……
きっちりとモーニングを着こなした父が、仏頂面をして立っていた。
----------------
以上です。
終わる終わる詐欺ですみません。終わりませんでした……。
お読みくださりありがとうございました!
私、話は大筋だけで、あとは登場人物が勝手に動くので、それを書くだけなんですが、
今回も慶が勝手にシークレットシューズに食いついてしまったため、
シークレットシューズについて色々と調べてたら、すごい時間を取られてしまいまして^^;
そうこうしているうちに3500字超えてしまったので、一度ここで切ることにしました。
次こそは、最終回。(……たぶん)
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そして、クリックしてくださった方々、本当にありがとうございます!
こんな真面目な話にご理解くださる方がいらっしゃること、なんて心強いことか……
一人一人にお会いして、お礼申し上げたい気持ちでいっぱいです。
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『あいじょうのかたち』、慶視点での最終回です。
次回、浩介視点での最終回が本当の最終回になります。
----------------
浩介が発作を起こした。
浩介の父親が怪我をしたことをきっかけに、両親と会うようになってから約一か月。
最近の浩介は、妙に甘えてきたり、それでいて夜は妙に攻撃的だったり、とにかく不安定だった。なので、やっぱり……というのが正直な感想だ。やはり少しペースが速すぎたのだと思う。浩介の中でいっぱいいっぱいになってしまったのだろう。
「お前、今日うちの病院くるか?」
「……え、でも」
今日は木曜日。浩介は休みを取って父親の通院の送迎をする予定にしていた。
発作はおさまったとはいえ、このまま家に一人にしておきたくない。
「今日、ちょうど戸田先生くる日だしな。予約ないけど診てもらえないか聞いてみるよ」
「………いいの?」
不安気な浩介の頭をぐちゃぐちゃとかき混ぜてやると、浩介は下を向いたままぼそぼそと言葉をついだ。
「ごめんね。おれ、大丈夫だと思ったのに……もう大丈夫だって……」
「そんなに急ぐな」
頭をかき抱き、耳元にささやく。
「ゆっくりでいいから。おれがついてるから。一緒にいるから」
「…………うん」
ようやく体の力を抜いた浩介に、そっと口づけて、そして………なんて時間はない。
「じゃ、あと5分で出るぞ。さっさと支度しろ」
「うわわ。ちょっと待って!」
浩介がバタバタと用意している間に、浩介の母親に連絡した。体調不良、とだけ伝えたが、何か感じることがあったかもしれない。
40年の溝を埋めるには、まだまだ時間がかかるだろう。でも、大丈夫。ゆっくり、一緒に歩んで行こう。
***
心療内科は午前中は予約でいっぱいで、午後に少しだけ空きがあるという。浩介には午前中は近くのファミレスと本屋で時間を潰させて、おれも昼休みを調整してその時間の診療に立ち会うことにした。
「少し日にちが空いてしまいましたね」
戸田先生、若干渋い顔をしている。浩介の父親が怪我をして、その通院の送迎をすることになって以来、浩介は定期的に通っていた心療内科クリニックに行けなくなってしまったため、戸田先生に会うのも約一か月ぶりなのだ。
「あの………」
浩介が遠慮がちに口を開いた。
「僕、ずっとこのままなんでしょうか? これ、治らないんですか?」
「そんなことは」
「もう、大丈夫だと思ったんですよ。もう、ほとんど普通に話せてるし、あっちの威圧感も半減してるし、これならもう、怖くないって。それなのに……」
浩介は祈るように組んだ手を、ぐっと強く額に押しつけた。
「今朝、これから父を迎えに行くんだって思った途端、急に足が震えてきて、指先が冷たくなって、息が……」
「…………」
戸田先生に目線で許可を取ってから、浩介の背中をゆっくりなでてやる。
しばらくの沈黙のあと、戸田先生が穏やかに語りはじめた。
「給水と排水のバランスの問題ですよ。今回は、急にたくさんの水が注がれて、排水が間に合わなくてあふれ出てしまったってことです」
「給水と排水……」
うまいことを言う。
でも、浩介はうつむいたままだ。
「あの……本人いる前で言いにくいんですけど……」
「ん?」
本人っておれのことか。
「おれ出てた方がいいか?」
「ううん。もう、今さら………」
ぼそぼそと言う浩介。戸田先生にも軽く首を振られたので、立ち上がりかけた腰を再びおろす。浩介が下を向いたまま続ける。
「あの……、こんな風に彼に迷惑をかけて、彼の負担になるのもつらいです」
「はああ? ……あ、はい」
思いきり言い返そうとしたところを、戸田先生に手で制され、途中で止める。
こいつは、またそんな馬鹿みたいなことを……っ
ムカムカしながら座っていたら、戸田先生が苦笑気味に「桜井さん」と改めて浩介の名前を呼んだ。
「以前もお話ししましたが、渋谷さんの愛情の根本は『保護欲』なんですよ? なので、渋谷さん、迷惑どころか、今、内心意欲に満ち溢れてると思います」
(なんだそりゃ……)
まあ、満ち溢れてるかどうかはさておき、迷惑に思っていないことは確かだ。
「愛情には色々な形があるんです」
戸田先生は、口元に人差し指をあて、ニッコリと笑った。
「渋谷さんは、守りたいっていう愛。桜井さんは、寄り添いたいっていう愛。お二人は、お互いの個を認めた上での愛なので、お互いがお互いに悪影響を及ぼすってことはないと思います」
「…………」
思わず顔を見合わせてしまう。そういわれると、くすぐったい。
「でも、それって結構難しいことなんですよ。相手を支配しようとDVに走ったりする人、多いですから」
「……」
「そして、親と子の関係だと、さらに難しい」
浩介の手がピクリと震える。
「桜井さんのご両親は桜井さんを愛しているがゆえに、自分達が良いと思う方向に無理に進めようとしてしまった。その愛の形が桜井さんには合わなかったんですよね。でも、親というのはとかく子供を自分の思い通りにしようとしてしまうものですから……」
「でも、彼の両親は全然そんなことないです。二人とも愛情はあるのに一歩引いてるというか……」
「え」
いきなりうちの両親のことを言い出すので驚いてしまう。
「うちもこうだったらいいのにって、昔からずっと思ってました」
「では……」
戸田先生がゆっくりと瞬きをした。
「ご両親と良い距離感がとれるよう、話し合っていきましょうね」
「…………」
「大丈夫ですよ。桜井さんには渋谷さんがついてますから」
あっさりと言われ、少し笑ってしまう。なんかおれ、すごい信頼されてるな。
浩介が真面目な顔をしてこちらを振り返り、頭を下げてきた。
「今後とも、よろしくお願いします」
「………あほか」
ごちんとこめかみのあたりを軽く小突いてやる。
「当たり前だ」
「………慶」
泣き笑いの浩介を抱き寄せたいのを、ぐっと我慢する。
そう。おれがついてる。おれが守る。
(確かに意欲に満ち溢れてるかも……)
戸田先生を見返すと、おれの内心を読んだかのように、にーっこりと笑い返された。
やっぱり心理士ってこわい。
***
診療時間が終わりに近づいてきたころ、なぜか、院長である峰先生がきている、と戸田先生が裏に呼ばれた。
「渋谷の彼氏が来てるって噂聞いてよ~」
楽しそうに笑っている峰先生の声がしきりの向こうから聞こえてくる……
「で、わざわざいらっしゃったんですか? 院長、暇なんですか?」
戸田先生が呆れたように言う。戸田先生と峰先生が仲が良いという噂は聞いたことがあったけれど、本当に仲良さそうだ。
「暇じゃねーよ。でも、一回会ってみたかったんだよ。渋谷の完璧彼女」
「彼女じゃないですけど」
完璧彼女、というのは、まだ20代の頃、峰先生に浩介の話を「彼女」としてしていた時に、仕事に理解があり、我儘も言わず、料理も上手なおれの「彼女」を、峰先生が「完璧すぎる」と言っていたことからきているのだと思われる。
裏から顔を出してきた峰先生に苦笑しつつ、紹介する手振りをすると、浩介が深々と頭をさげた。
「桜井浩介です。いつもお世話になっております」
「わーすっげー。ホントに男なんだなー」
「なんすか、それ……」
峰先生、正直すぎる……。
峰先生は嬉しそうに浩介に笑いかけた。
「これからも渋谷のことよろしくな。こいつはうちの稼ぎ頭のイケメンだからさ。イケメンが崩れないように食事の管理とかな」
「あ、はい」
浩介、真面目に肯かなくていいぞ?
峰先生は機嫌よくパチンと手を合わせた。
「今日の夜、空いてるか? 飲みいこうぜ? 戸田ちゃんも」
「はあ?」
むっとする戸田先生。
「なんだよ? 戸田、空いてねえのか?」
「いえ、空いてますけど、空いてる前提で誘ってきたことに腹立っただけです」
「はーそうですか。女心は難しいねえ」
峰先生は軽く肩をすくめると、こちらに向き直った。
「で、渋谷たちは?」
「空いてますけど、今日車で来ちゃったからなあ」
「あ、車戻してくるよ?」
すかさず浩介が言うと、峰先生が、おおっと大袈裟に驚きの声をあげる。
「お、さすが完璧彼女。気がきく~」
「だから彼女じゃないって」
ホントに、峰先生は昔から少しも変わらない。調子がよくて、でも温かくて。
変わらないのは、もっと昔かららしい。
今回、一緒に飲みに行って知ったのだが、峰先生と戸田先生は親同士が仲が良いため、昔からの知り合いなのだそうだ。20歳も歳が離れているのに妙に仲が良いのはそのためらしい。
そして、今回はじめて教えてもらった。以前、おれたちの同級生である溝部と山崎と、戸田先生とその友達で合コンをした際、結局そこでは誰も結びつかなかったのだが、後日、メンバーを増やして合コンをした結果、溝部の同僚と戸田先生の友達が結婚を前提に付き合いはじめたそうだ。
「で、結局、菜美子には彼氏できなかった、と」
「うるさいなあ」
むっとした顔をしている戸田先生はいつもの落ちついた感じと違って、とても可愛らしい。
峰先生とのやり取りは、仲のよい年の離れた兄妹のようだ。
「あの……戸田先生?」
峰先生が席を立ったと同時に、なぜかずっとソワソワしていた浩介が戸田先生の顔を覗き込んだ。
「もしかして、戸田先生の初恋の人って……」
「え?」
初恋?
「……あー、そっか。桜井さんには話したことあったんでしたっけね」
戸田先生が軽く肩をすくめる。
「そうですよー。まあ、奴も知ってることですけどね」
「え………」
戸田先生の初恋が……峰先生?
「恋心自覚したころには、もう結婚すること決まってたので、何もかも手遅れでしたけど」
「え……」
峰先生が結婚したのは36歳の時だと聞いたことがある。ということは、戸田先生は当時16歳。
「でも、それから必死に勉強して一浪したけど医学部入って医者になって」
「そばにいるために?」
「そうです」
戸田先生が意志の強い目で肯く。
「これが私の愛の形です。彼女や奥さんとしてそばにいられなくても、仕事上のパートナーとしてそばにいられればいい、と」
「………」
「ああ……酔っぱらってますね、私」
苦笑した戸田先生。
「今の話、内緒ですよー。言うと奴、調子に乗るから」
「誰が何だって?」
戻ってきた峰先生が、ポンポンと戸田先生の頭をたたく。戸田先生、一瞬泣きそうな、嬉しそうな、複雑な顔をしてから、バシッとその手を振りはらった。
「院長がですよ。そうやって調子にのって女性の頭を触るのやめてください。セクハラで訴えますよ」
「何言ってんだよ。ガキの頃さんざん抱っこしたりオンブしたり肩車したりしてやったのに」
「いつの話してるんですかっ」
もーっという戸田先生は、やっぱり嬉しそうで、でも泣きそうで……
見ているこっちが切なくなってしまう。
「ねえ、渋谷先生、他の同級生も紹介してくださいよー。私も早く結婚したーい」
「おう、渋谷、頼むよ。菜美子が結婚してくれないと、おれも安心して引退できないからな」
まさかの引退発言に、戸田先生もおれもむせてしまう。
「なんで私の結婚と院長の引退が関係あるんですかっ」
「っていうか、まだ引退を考える歳じゃないですよね? 先生、今53でしょ?」
「55定年考えてるんだけど」
「バカなこと言わないでっ」
ケロリと言った峰先生の言葉に、戸田先生の顔が一気に青ざめた。
「許しませんよ。そんなの。まだ……院長の下で働きたいです」
「分かった分かった。なーにマジになってんだよ。だいたいお前、週2しか来ねえだろーそんなムキになる話かよー」
ぐりぐりと戸田先生の頭をなでる峰先生……残酷だ。
戸田先生はそばにいられればいい、と言った。それは切なくてとてもつらい選択だ。
でも、それが戸田先生の愛の形。それは誰にも止められない。
***
久しぶりに浩介と二人で日付が変わった後の電車に乗り、駅前のスーパー(なんと25時までやっている)で買い物をしてから帰路についた。
浩介がニコリとこちらに手を差し出してくる。
「手、つなご」
「………………。まあ、いっか」
差し出された手を握り返す。もうこの時間なので歩いている人はほとんどいない。住宅街の中の遊歩道の並木道はとても雰囲気が良い。
「戸田先生………すごいよね」
「そうだな」
おれも同じことを考えていた。
彼女の選択は切なすぎる……切ないほどまっすぐな愛の形。
「でも、高2の時、おれも同じ覚悟で慶に告白したよ?」
「覚悟?」
見上げると、まぶしそうにこちらを見かえした浩介。
「どんな形であってもそばにいたいって」
「…………そんなことは」
握っている手に力をこめる。
「そんなこと、おれの方がその1年以上前からずっと思ってた」
「じゃあ、おれが告白しなかったら、慶、ずっと友達のままでいるつもりだったの?」
浩介が小首を傾げる。
「……どうだろうな」
そんな仮定の話、考えたこともなかった。
あの時、浩介が告白してくれなかったら……
「我慢できなくて、そのうち襲ってたかもな」
「わ~、それはそれでいいね~」
「なんだそりゃ」
クスクスと笑い合う。
「おれ達……こうして一緒に歩けるのって、すごい幸せなことだね」
「そうだな」
繋がった手が温かい。隣を歩く浩介を見上げれば、優しい微笑みが返ってくる。
「一緒の家に帰れるっていうのも、告白したあの時は想像もできなかったなあ」
「そうだな……」
あの時はひたすら、気持ちが通じ合ったことが嬉しくて嬉しくて……
浩介がこちらをのぞきこみ、切実な感じに言ってくる。
「慶、これからもずっとずっと一緒にいてね?」
「当たり前だ」
繋いでいる手をぐっと下にひっぱり、斜めに傾いてきた浩介の頬に素早くキスをする。びっくりしたような顔をしたあと、この上もなく幸せそうな表情になった浩介。
「慶」
お返し、とばかりに、軽く唇を重ねてくる。
ああ……失いたくない。こいつを。この時を。この瞬間を。共に歩く未来を……
「一緒に、生きていこうな?」
「うん」
嬉しそうに肯く浩介の手をもう一度ぎゅっと握り直し、再び歩きだす。
おれが守る。必ず守る。だからずっと一緒にいよう。
それがおれの愛の形。
----------------
以上です。
なんだかものすっごく時間がかかりました……
慶パート最後だからと思ったら、これも書きたいこれも書きたい、と収拾がつかなくなり……
でも、はじめに題名を「あいじょうのかたち」と決めたときからあった、
「おれが守る。それがおれの愛の形」
というラストに繋がることができて、そこは何とかよかったな、と。
峰先生と戸田ちゃんの話も、ようやく出せました。
いつか書きたいと思いながら最終回前になってようやく……
単なる自己満足なんですが、実は作中の別々の回で峰先生と戸田ちゃん、同じ仕草をしてるんです。
仲良しだからお互い似ちゃったんだろうなあ、ということで。
男女の恋愛であっても結ばれない人は結ばれない……
峰先生も戸田ちゃんのこと可愛がってはいたけれど、当時まだ10代なので恋愛対象として見てはいけないという自制が働き……
今の奥さんと出会ってなくて、あと5年ほど独身でいてくれたら、戸田ちゃんにもチャンスはあったんだろうなあ……
戸田ちゃんには、峰先生を忘れさせてくれるくらい素敵な男性が現れてくれることを祈ります。
さて。次回は本当に最終回です。
……ってまだ書いてないので、一回で終わるのかは謎なんですが。
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「浩介、渋谷君と結婚式がしたいんですって」
と、母が父に言ってくれた。でも、父は眉間に皺をよせて、昔と変わらない冷たい目で言い切った。
「馬鹿馬鹿しい。俺はそんな茶番につきあう気はないからな」
「…………」
やっぱりこの人変わってないんだなあ、とガッカリしたような、心のどこかで安心したような、不思議な気持ちがした。
その威圧的な眼光は変わらないのに、昔のように恐怖で身が竦むという現象が起きないのは、おれが大人になったからなのか、父が体も二回り小さくなり、軽々とおれにオンブされてしまうくらいになってしまったからなのか……いや、
(一番大きいのは、慶がいてくれるから、だな)
帰国して8か月半。色々なことがあったけれど、一番の収穫は慶の本当の愛を知ることができたことだと思う。慶がいてくれれば、おれは何も恐くない。恐怖の対象でしかなかった父とも、母とも、真正面から向き合………うのは、正直まだ怖いときもあるので、慶に一緒にいてもらうことが多いけど。
9月10日。くしくもおれの誕生日。
木曜日はおれも慶も午後から休みを取りやすいので、父の退院日はこの日にしてもらった。引き続き入院も可能なのだが、父がどうしても帰りたいと言ったらしい。まあ、神経質な父が相部屋に耐えられるはずがない。
「車近くまで回してくる」
駐車場への出口に向かっている最中に、慶が颯爽と駐車場に向かって先に走っていった。慶は今日、勤務先の病院へ車で行き、午後休みを取ってそのまま車でこちらの病院へきてくれたのだ。慶がいてくれることは精神的にも心強いけれど、人手としても有り難い。
慶が車を取りにいってくれている間に、母が結婚式の話をし、
「俺はそんな茶番につきあう気はない」
と、父に言われ、母が「そうですか……」とシュンとなり、気まずい雰囲気が流れ………
沈黙の中、慶が駐車場口の近くまで車を寄せてくれたのを確認して、捻挫が完治していない父を支えながら再び歩きはじめたのだが……
「!」
柱の陰から飛びだしてきた人影に驚いて足を止めた。
「浩介先生」
「………え」
そこには、ここにいるはずもない人物の姿が……
「三好、さん」
約二か月ぶりに見る、三好羅々、だった。
**
「どうしてここに……」
「先生のあと、つけてきたの」
二か月前と少しも変わらない三好羅々。小柄で不健康に痩せこけていて目がギョロッとしている。か細い声が言葉を続ける。
「今日、先生誕生日でしょ? だから会いたくて学校の前で待ってたら、先生、午後すぐ出てきたから」
「………」
今日の午後は休みをもらって、そのまま電車で病院まできたのだ。
「浩介? こちらは……教え子さん?」
「いや……」
「恋人、です」
母の問いかけに、羅々がキッパリと答える。
「恋人、です。私、浩介先生と付き合ってます。これが証拠の写真です」
おもむろに携帯の画面を母につきだす羅々。
「何の写真……」
「見るなっ」
「!」
慶の鋭い声にビクッとなって、覗き込もうとしていたのをやめる。
「慶?」
「浩介、お前は絶対に見るな」
「あ………うん」
「どういうことだ?」
慶が羅々に詰め寄る。
「写真は陶子さんが全部削除したって……」
「消される前に、前使ってた携帯にデータコピーしておいたんだよ。こんな記念の写真、消すなんてもったいないでしょ」
「………っ」
卑屈な笑顔を浮かべた羅々……
彼女は3か月前に、おれに睡眠薬を飲ませ、おれと性行為をしているように見える写真を撮って、慶にメールで送りつけたのだ。おれは見ていないので知らないが、相当衝撃的な写真だったそうで、慶はその写真のせいでしばらく様子がおかしくなってしまった……。
羅々が明るい口調で父と母に向き直る。
「浩介先生のお父さん、お母さんですよね? 初めまして。私、三好羅々っていいます。浩介先生とは恋人で……」
「三好さんっ」
「これが証拠です。違うっていうなら、訴えますよ?」
「………」
父がおれから手を離し、羅々に向かって「見せなさい」と手を伸ばした。慶が止めようとしたけれど父に目で制され黙ってしまう。
「はい。どうぞ」
羅々が、嬉しそうに父に携帯の画面を見せる。母がすぐに老眼鏡を父に渡し、二人で携帯の画面を見ていたが……
「ああ、残念だわ……」
「え」
母が非常に残念そうにため息をついた。
「お母さん、残念って……」
「だって浩介、前に、自分は渋谷君以外の人とは……、あの、できないって言ってたじゃない?」
「あ……うん」
前回の母との合同カウンセリングの際、母があまりにも「結婚」とか「子供」とか言うので、頭にきて「おれは慶以外の人間には勃たないんだよ!」と叫んでしまったのだ。
母は頬に手をあてたままブツブツと、
「それじゃあ、しょうがないのかも……でも本当にそうなのかしら……って思ってたんだけど」
「え」
女ともできるんじゃないか、と言いたいのか? でもその写真は………っ
「お母さん、違うんですっ」
「そうなのねえ……」
「違うんです、その写真は……っ」
「やっぱり、本当に、渋谷君以外の人とはできないのねえ、あなた」
「睡眠や………、え?」
ほうっとため息をついた母……。今なんて……?
「あああ。残念だわあ。一瞬、孫の誕生を期待したのに。やっぱりダメなのねえ……」
「え、え?」
何だかあいかわらず失礼なことを言っているけれども、それはこの際、置いておいて。
「お母さん、その写真……」
「浩介、これ意識ないでしょう? 寝てるところを無理矢理手を回したりして撮られたのね?」
「なんで……」
「息子の寝顔なんて小さい頃からずっと見てきたんだから、寝てるかどうかなんてちゃんと分かるわよ」
お母さん……
ちょっと感動してしまったおれをよそに、母はまた大きくため息をついた。
「こんな若いお嬢さんに抱きつかれても寝てるなんて、ホントにダメなのねえ……」
「………」
「あの、違うんですっ」
羅々が慌てたように言い繕う。
「それは、終わった直後に先生寝ちゃって、それで……」
「君は先ほど、訴える、と言ったが何を訴える気だ?」
「え」
鋭く響く父の声に、羅々がビクっとなる。父の声、80歳過ぎてもまだ健在だ。
「それはその……」
「これが睡眠中に撮られたものだとしても、意識があったとしても、この写真はすべて君が自分の意思で撮ったということは明白」
「あの……」
「この写真の君が微笑んでいることや『恋人』と宣言していることからも、強姦等で訴えるということはありえない」
「…………」
「自由恋愛に法的な責任は生じない。婚約破棄での慰謝料請求ということなら、まず、婚約状態にあったという証拠と、男側に非があったという証拠を提出しなさい」
「え………」
さすが父だ。立て板に水の正論の洪水。
「三好さん」
呆然と立ち尽くしている羅々に冷静に声をかける。
「おれの父、弁護士だから。そういう脅し、まったく効果ないから」
「…………」
父は「ふん」と鼻で息をして、老眼鏡を母に渡すと「行くぞ」と言って、おれの腕に掴まった。
母は、あらあらまあまあ、と言いながらバッグに老眼鏡をしまい、羅々を振り返る。
「三好さん、は、浩介のことが好きなのね?」
「…………」
羅々は唇を噛んでうつむいたままだ。気にせず母が続ける。
「残念だわ。私もねえ、普通の女の子がお嫁に来てくれたらどんなにありがたいか……」
「お母さん?」
ホントにこの人は……っ。怒鳴ってやろうかと思ったところで、
「でもね」
静かに母がつぶやくようにいった。
「浩介、渋谷くんじゃないとダメなんですって」
「!」
驚きのあまり、心臓が止まるかと思った。
母は淡々と羅々に語りかけている。
「残念だけどあきらめてね。あなたまだ若いんだから、他に相手なんていくらでもいるでしょう」
「…………」
「それにこんな写真、どうやって撮ったか知らないけど……こんなの残ってたら自分が傷つくわよ?」
「…………」
「すぐ消しなさい。お嫁に行くときにこんなの出回ったら大変よ」
羅々は携帯を握りしめたまま俯いている……。
「浩介」
慶の声に振り返ると、慶が車の鍵をつきだしていた。
「おれ、電車で三好さんのこと送っていくから」
「あ……うん」
鍵を渡すときに一瞬ぎゅっと手を握ってくれた慶。握り返したかったけれど、親の目があるからかサッと離されてしまった。でも、充分、愛おしさが伝わってきた。
「渋谷君、それじゃ、火曜日よろしくね」
「はい」
慶が母の呼びかけに軽く肯く。平日休みのないおれとは違い、慶は毎週火曜日が休みなので、父の次回の診察を火曜日にして、慶に送迎をしてもらうことになったのだ。
「じゃあ……慶、ごめんね」
「ん」
慶が手をひらひら振ってくれる。その横で三好羅々は地面を見ながらまだじっと固まっていた。
***
結局、実家で夕飯を食べてから帰宅することになった。
慶は「おれは陶子さんと話があるから」と言って戻って来なかったので、両親と3人だけで食べた。誕生日に親子3人で食卓を囲むなんて、何年振りだろう。高校卒業以来じゃないだろうか。
母は事前にケーキを買ってきてくれていた。ちゃんと慶の分もあったことが、とても嬉しい。
父はあいかわらず黙々と食べていたけれども、以前は自分が食べ終わるとさっさと席を立ってしまう人だったのに、今回は食後もずっと座っていた。ただ単に、誰かの手を借りないと二階に行くことができないから座っていただけなのかもしれないけれど、ポツリポツリとおれに今の仕事について聞いてきたりして……。
「隙があるから付け込まれるんだ。人との距離感をきちんと考えて行動しろ」
「………はい」
三好羅々の件について説明すると、淡々と説教された。不思議と怖くはなかった。
「今日はありがとうございました」
頭を下げると、父はまた面白くなさそうに「ふん」と鼻を鳴らした上で、
「もし、また何か言ってきたらこっちに回せ。あんなのはどうとでもなる」
「………助かります」
頼もしい、と思った。
父に対してそんなことを思える自分に驚いた。
「お父さん、ちょっと変わりましたよね」
食事の後片付けを手伝いながら母に言うと、
「そうね……庄司さんと喧嘩して、事務所に行かなくなってから、少し柔らかくなったかも」
庄司さん、というのは父の下でずっと働いていて、父の事務所を継いだ人だ。父が引退後も干渉しすぎたことが原因で、今はまったく連絡を取っていないらしい。
「あなたも帰ってきたことだし、庄司さんには今度のお正月は来てくれるようお願いしようと思って」
「そうですね。僕も今度、事務所に挨拶に行こうと思ってます」
「あらそう? じゃあ、一緒に……」
「いえ、一人で大丈夫です」
即答で断ると、母は「でも」と言いかけてから、ふうっと大きくため息をついた。
「こういうところがダメなのよね……」
「え?」
母は洗い物の手を休めることなく言葉を続けた。
「先生に言われたの。息子さんはもう大人なんだから、過保護になりすぎてはいけないって。頼ってきた時だけ力を貸してあげなさいって」
「…………」
母は現在、メンタルクリニックに通院している。おれの担当は戸田先生という30代の女性だが、母の担当は白い長いヒゲが印象的な初老の先生だ。
母は下を向いたままぽつりといった。
「だから、何か困ったことがあったときはちゃんと言ってね?」
「…………はい」
今困っていることは、両親との関係。その本人にそんなこと言われても……とひねくれたことを思わないでもないけれど……でも。
ちょっと、嬉しかった。
**
帰宅後、すぐに慶にケーキを出してあげた。
「おしゃれなケーキだなー」
嬉しそうに食べてくれる慶。こちらまで幸せになる笑顔。
「これどこのだ?」
「うちの近くのショッピングセンターに入ってるケーキ屋だって」
「へ~こんな店あったっけなあ」
今度行ってみような?と言ってくれる慶がとてつもなく愛おしい。
食べ終わり、コーヒーを持って二人でソファに移動したところで、慶があらたまった様子でおれを見上げた。
「浩介」
「は、はい」
そんな、あらためて名前を呼ばれると緊張してしまう。なんだろう、と次の言葉を待っていたら、
「誕生日、おめでとう」
「はい?」
あ、それ?
「あいかわらず、プレゼント何もない。何が欲しい?」
「えーと……」
この会話、毎年してる。もうかれこれ何回目、何十回目だろう。
悩んでいたら、慶がポンと膝をたたいてきた。
「こないだ、結婚式、とか変なこと言ってたな?」
「あー……うん」
でも、慶はそういうの嫌だよね……?
言うと、慶は腕組みをして、うんうん唸っていたが、
「まあ……いいぞ。式は遠慮したいけど、写真くらいなら……」
「え?!ホントに?!」
「でも、おれ、ドレスは着ないぞ?」
「当たり前でしょ!!」
何言ってんの! ビックリして叫ぶと、慶は苦笑しつつ、
「お前、昔っから、おれが女扱いされるのすっげー嫌がるよな? なんで?」
「なんでって……」
そりゃあ、慶は中性的でとても綺麗な顔をしているので、女性の格好をして本格的にメイクなんかしたら、見た目だけはものすごい美女になるだろう。同級生達もよく「渋谷が女だったらいいのに」っていっていたくらいだ。
でも、慶が女顔なことや背が低めなことにコンプレックスを持っていることはよく知ってる。だから言葉遣いも悪いんだと思う。そんな慶に、女の格好なんて絶対にさせたくない。
それに何より、おれの慶は、男の中の男。一本筋が通っていて真っ直ぐで、揺るぎなくて……
「慶は男!だもん。女の格好なんてしたら絶対浮くよ。似合わないよ」
「……だよな」
慶は嬉しそうに笑い、おれの頭を引き寄せると、コツンとおでこをくっつけた。そして、つぶやくように言った。
「おれ、お前のそういうとこ、すげー好き」
「え!?」
え、何その嬉しい発言!
「おれのことちゃんと見てくれてるんだなーって思う。ちゃんと見てるから、おれのこと分かるんだろ」
「うん。見てる。分かる」
軽く頬にキスをすると、慶が笑いをこらえながら言った。
「お前もドレス着なくていいからな?」
「……当たり前でしょ」
どちらかがドレスを着なくちゃいけないって発想が間違ってるんだ。女装趣味のある人や女性になりたい人ならともかく、男同士なら男同士で、そのままでいいじゃないか。何かおかしい? おかしくないだろ。
「んー、じゃあ、いつにしようか? 記念日に合わせたいな~」
「記念日?」
「直近の記念日は……初めてキスした記念日」
「は?」
慶がきょとんとする。
慶ってホントこういうこと覚えてないよなあ。って、おれが覚えすぎ? おれが乙女なのか?そうなのか?
「それ、いつ?」
「………覚えてないの?」
「ああ? え? うーんと……」
天井を見上げる慶……
「高2の文化祭の後夜祭の時だから……」
「あ、それは覚えてるんだ?」
「そりゃ覚えてるだろ」
それは嬉しい。
「10月末くらいか?」
「おしい。11月3日だよ」
「あーそうだっけ?」
慶が頬をかきながら、ぶつぶつという。
「お前、ホントそういうのいっぱい覚えてるよな」
「うん。ちなみに今日も記念日です」
人差し指をたてると、慶が首を傾げた。
「そりゃ、お前の誕生日だろ?」
「じゃなくて、あることを初めてした記念日です」
「あああ? なんだよ?」
慶、眉間にシワが寄ってる。全然わからないらしい。そうかあ。わからないか……
「いや、わからないならいいです」
「なんだよ! 気になるだろ! 教えろよ!」
「えー」
「ヒント、ヒント!」
慶に詰め寄られ、んーと唸る。
「ヒントは……あることを慶が初めておれにしてくれた記念日です」
「あること? 初めて?」
「おれが大学一年で、慶が浪人生の時でー」
「浪人の時……」
「場所は、いつも行ってたー」
「わああああっ」
思いだした、らしい。慌てた様子の慶に口を押さえられた。
「わかった。みなまで言うな。つか、そんなこと覚えてるなっ忘れろっ」
「やだよっあんな可愛い慶、忘れられるわけないでしょっ」
「可愛い言うなっ」
あいかわらず可愛い慶が言う。こうなるとからかいたくてしょうがなくなる。
「あー、じゃ、決めた。とりあえずの誕生日プレゼントはその時と同じでお願いします」
「その時と同じ?」
「うん。慶の精……」
「わあああああっ」
再び口を押さえつけられる。
「お前ホントいい加減にしろよ? いい歳した大人が恥ずかしいっ」
「別にいいじゃん。誰も聞いてないんだから」
「おれが聞いてる。おれが恥ずかしいっ」
慶、真っ赤になってしまった。本当に、可愛すぎる人だ。
「それじゃあ、言わない。言わないけど、ください」
「…………」
言うと、慶は「ばかじゃねーの」とあきれたようにつぶやいてから、かみつくようなキスを返してくれた。
今日は本当に本当に、幸せな誕生日だ。
-------
以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました!
書きたいことがありすぎて、またまた長々と長くなってしまいました。
最後のクイズの答えは、「R18・初めてのF」のことでした。
はい。単なる下ネタです。
次回がおそらく「あいじょうのかたち」は最終回になります。
(まだ書いてないので本当に最終回になるかは???ですが)
どうぞよろしくお願いいたします!
---
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「風のゆくえには」シリーズ目次 → こちら
「あいじょうのかたち」目次 → こちら
浩介は、寝つきが悪く、眠りも浅い。
夜中にふと目が覚めると、たいてい、浩介はおれの手を握ったままこちらをじっと見ている。
そんな時は、頭を引き寄せて、ぎゅうっと抱きしめて、腕枕をしてやる。するとようやく体の力を抜いて目をつむるのだが、でも目をつむったからといって、眠れるわけでもなさそうで、いつも浩介の寝息を聞く前におれが先に眠りに落ちてしまう。
「怖い夢を見るから眠りたくない」
まだ20代のころ、そんなことを言っていた。今はどうなんだろう。
**
浩介の父親が怪我をして、入院、手術をすることになり、そのバタバタの中で、浩介は12年ぶりに父親と再会し、母親とも二人きりで数時間を過ごしたらしい。
「今になってこわくなってきたよ。おれ、よく倒れなかったよね」
夕食を食べながら、浩介がブツブツという。
でも、その食べているおかずも、浩介の母親が持たせてくれた、なすとひじきと酢豚である。
「すっげー美味い。お前の母さん、料理上手だな」
「あー、あの人、昔から料理にはこだわりあるんだよね。夕飯は3ヶ月は同じもの出てこなかった」
「げ。マジか」
「昼はわりとおれの好きなものだったから同じの出たけど」
「へえ~……」
もぐもぐもぐ……よく噛んで食べている浩介の姿に胸を打たれる。
半年ほど前……。
おれが浩介の母親からもらってきた苺を何も知らずに食べた浩介は、その苺が母親からのものだとわかった途端、すべて吐きだしてしまった。腹に入ったものすべてを吐きだしたい、とでもいうように、最後には喉に手を突っ込んでまで吐き続けた浩介……。あのときのことを思いだすと、浩介への申し訳なさと自己嫌悪でいてもたってもいられない気持ちになる。
でも、あれから約半年。浩介は母親の手料理を普通に食べている。母親の話を普通にしてる。
安堵のため息が出そうになるのを、なんとかこらえていたところ、
「それで、慶……明日空いてる? 病院一緒にいってもらっても、いい?」
「ああ大丈夫、空いてる」
せっかく親子水入らずなのに……と、思わないでもないけれど、こうして頼ってくるということは、やはりまだまだ不安なのだろう。
「良かった。ありがと」
「…………」
ニッコリとした浩介に、ずっと燻っていた気持ちが大きくなってくる。
こうして無理矢理に親と親交を持たせるのは、単なるおれの押しつけなんではないだろうか。
浩介は日本に帰ってきて、本当に良かったのだろうか……
***
翌日、おれが運転する車で浩介の実家に迎えにいくと、浩介の母親はおれがいることを嫌がる様子もなく、それどころか、
「お医者さんが一緒にいてくれると安心だわ」
と、言ってくれ、そして全身麻酔にする理由や手術後のことなど、質問攻めにしてきて、浩介にたしなめられていた。不安でしょうがないようだ。
でも、その過剰な心配をよそに、手術は無事に終了した。麻酔の効きが悪くて少し予定時間をオーバーした以外には、すべて順調だったそうだ。
病室に運ばれてきた浩介の父は、ボーっとした表情で天井を眺めていた。全身麻酔の影響で吐き気もひどいようだ。
浩介の母は、そんな夫を心配そうに見つめながら両手を揉み絞っていて、主治医から説明があると看護師から呼ばれても、
「私が聞いても分からないから、あなた達で聞いてきて」
と、看護師のことを見向きもしなかった。
おれは部外者なので聞くのはまずいだろうと思ったのだが、病院側が勝手におれも息子の一人だと勘違いしたため、浩介と一緒に説明まで受けてしまった。
しばらくは入院生活を送ることになるようだ。病室は6人部屋だが、今は3人しかおらず、そしてちょうど窓際が空いていたそうで、大きな窓の近くのベッドになれたのはラッキーだったといえる。
説明後、病室に戻ったところ、閉めきられたカーテンの向こうからボソボソと話す声が聞こえてきた。開けるタイミングを失って、二人で立ちすくんでしまい、盗み聞き状態になってしまう。
「あの程度で骨折するとは俺も歳をとったな」
「いいえ、骨折程度で良かったです。これで打ちどころが悪かったりしたら、私どうしたらいいか……」
「そうか。とっさに手をついたから、頭を打たなくてすんだということになるのか」
「そうですよ。あそこで手が出たのは若い証拠だって先生もおっしゃってましたよ」
「そうか」
普通の会話だな、と思う。浩介が稀に話してくれる話だと、お父さんは絶対君主であり、こんな風に話す人ではないと思っていたのだが。
浩介を見上げると、浩介もそんなことを思ったのか、少し眉を寄せている。
会話が途切れたので、入ろうかとカーテンに手をかけたところで、
「佐和子」
「はい?」
ふいに、父親が妻を名前で呼んだので、また入りそびれてしまった。何かあらたまった感じの声……
「すまなかったな」
「え?」
急な謝罪の言葉に、きょとんとした声を返した浩介の母。
「何がですか?」
「前に……お前が手術を受けた時に、付き添ってやれなかったことだ」
「え……」
手術? お母さん、どこか体が悪かったのだろうか?
浩介の母は、いえ、そんな、あの……と言い続けてから、
「もう、45年も前のことです」
「そうだな。もうすぐ45年だな」
「覚えていてくださったんですか?」
「そりゃ覚えてるに決まってる。自分の子の命日なんだからな」
命日? どういうことだ?
「まあ……そんな風に言ってくださるなんて……」
涙ぐんだような浩介の母の声。
浩介は固まったようになっている。
浩介の父親が淡々と話を続ける。
「手術から戻ってきて思ったんだよ。お前もあの時、こんな不安な気持ちだったんだろうな、と」
「あなた……」
「すまなかったな」
「そんなこと……」
しばらくすすり泣いていた浩介の母親だったが、
「あの時……」
また、ポツリと話しだした。
「私、病院の天井を見上げながら、ずっとお祈りしていたんです。このお腹から流れた赤ちゃんが、どうか戻ってきてくれますようにって」
流れた赤ちゃん………流産の手術をうけたということか。
「そうしたら4年後に浩介が生まれてきてくれて……」
「………そうだな」
「今度は何があっても守らないとって……ああそうそう」
浩介の母は小さく笑うと、
「あなたもとても喜んでくださいましたよね。よくやった!でかした!って大声で叫んで」
「看護婦に注意されたな」
「そうですよ。あのあとあなた陰で『でかしたさん』って呼ばれてたんですよ」
「そうなのか? 失礼だな」
「だって、あんなに大きな声で……」
笑いまじりに話している浩介の両親………
入るに入れない雰囲気で、おれ達は、カーテンの前で立ちすくんでいたが、
「?」
ふいに、浩介に手をつかまれた。
「浩介?」
「…………慶」
浩介、複雑な顔をしている。
泣きたいような笑いたいような、苦しいような嬉しいような………
「おれ………」
「うん」
「でかしたさんだって」
「うん」
手を握り返すと、浩介は目をつむり、大きく息をはいた。
「おれ………」
「うん」
「日本に帰ってきて良かった」
「………そうか」
そうか………。
おれ達は手を繋いだまま、カーテンが開くまでそのままずっと立ちつくしていた。
***
帰りの車の中で、唐突に浩介の母親がパチンと手をたたいた。
「浩介、もうすぐ誕生日ね? 何か欲しいものある?」
「………欲しいものというか」
浩介は、助手席から振り返り、とんでもないことを言い出した。
「結婚式がしたいです」
「はああああ?」
思わず叫んでしまったおれ。
こないだのあれ、本気なのか!
「結婚式……?」
浩介の母親はいぶかしげに首をかしげた。
「誰の結婚式?」
「誰のって! 僕達のに決まってるじゃないですか!」
「え? 僕達って………」
ますます眉を寄せる浩介母。
「まさか、あなたと渋谷君とか言わないわよね? 男同士でなんてありえないでしょう」
「ありえないって、今、普通にやってますよ。お母さん、ニュースとか見ないんですか?」
「そんなニュースやってたかしら……」
首をかしげる浩介の母親。
「まあでも、渋谷君キレイな顔してるから、ウェディングドレスきっと似合うわね」
「ド………っ」
ドレス!?
あやうくハンドル操作を誤りそうになる。
「お母さん!」
浩介が真っ赤な顔をして怒りだした。
「渋谷君は男ですよ。ドレスなんか着るわけないでしょう!」
「じゃあ、結婚式ってなんなのよ? まさか二人ともタキシードってこと? 変じゃないの。そんなの」
「変じゃないです! そういうもんなんです!」
「えー? 変よ。渋谷君がドレス着ればいいじゃない」
「ありえない!」
叫んだ浩介。
「だったらおれがドレス着る! 慶には絶対にそんなことさせないっ」
「こ………っ」
おれと浩介母、しばらくの絶句後、
「お前がドレス~? 似合わねー」
「やだーこわいわー」
同時に笑いだしてしまった。
浩介がますます赤くなって怒っている。
「もー!二人とも!笑いすぎっ」
「ありえね~」
「ほんとありえないわー」
そのまま、浩介の実家につくまで延々と笑い続けてしまった。
浩介がこんな風に自然に母親と話せる日がくるなんて……こんな風に笑って過ごせる日がくるなんて……奇跡は起きるのだ。いや、浩介は奇跡を起こしたのだ。
***
その日の夜。
先にベットに入って本を読んでいた浩介だが、おれが来るとそそくさと本を閉じ、身をよせてきた。
「お前さ……」
浩介の頭を抱き寄せ、撫でながら、ずっと気になっていたことを聞いてみる。
「まだ、怖い夢、見るときあるのか?」
「んー……そういえば、ここ最近見てない」
「そうか」
ホッとする。良い傾向だ。
「眠るのは? やっぱりまだ時間かかるのか?」
「まあ………でも慶の寝顔独占できる幸せな時間なんだよね~」
「なんだそりゃ。さっさと寝ろよ」
「いいじゃんいいじゃーん」
もぞもぞと体を動かし、額をコツンと付けてきた。それで急に思い出した。
「そういやお前、おれの寝てるとこ写真に撮るのやめろよな」
「え、なんで知ってるの?」
「前に見たんだよ。あの………三好羅々の写真騒ぎの時に」
「あ………そっか」
お互い嫌なことを思い出して黙ってしまう。
3ヶ月ほど前、三好羅々という19歳の少女が、浩介を睡眠薬で眠らせ、浩介と彼女が性行為をしているように見える写真を浩介の携帯で撮って、おれに送りつけてきたのだ。
そういえばこの2ヶ月、三好羅々から何の音沙汰もないが、彼女は何をしているのだろうか。……なんて知りたくもないけど。
浩介がシュンとして謝ってくる。
「慶……ごめんね」
「それはもういい。……写真、撮るなよ?」
「えー、幸せな瞬間を切り取って保存してるのになあ」
言いながら、指が頬をなぞってくる。
「じゃあ、指で切り取ろうかな」
「………勝手にしろ」
「する」
付き合ってられない。
明日は仕事だ。もう寝る。
と、思ったが、眉に瞼に唇に指が辿ってきて………
「気になって眠れない!」
「…………ごめん」
クスクス笑いだす浩介。
「さっさと寝ろよっ」
「はーい。おやすみなさーい」
これ以上悪ささせないために、両手をぎゅうっと握りしめる。額をくっつける。
浩介のぬくもりと息づかいを感じていたら、すぐに眠りに引き込まれてしまった。だから浩介がいつ眠れたかはわからない。
でも、夜中にふと目覚めたとき………
「……浩介」
浩介は規則的な寝息をたてて眠っていた。
その愛しい額に口づけ、離れていた手をまた繋いでから、再び眠りにつく。
日本に帰ってきて、良かった。
---------
以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました!
このシリーズも残すところあと2回?くらい……
キーポイントだった「でかしたさん」のシーンも書き終わってしまった。
回収エピソードが終わるたびに、切なくなってます私。
あと数回になりますが、今後ともよろしくお願いいたします!
---
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『大好きだよ』
耳元で囁かれた甘い言葉を思いだしては、どうしようもなく顔が緩んでしまう。
やはり『思い』というのは言葉にするべきなのだ。
昔からのあれやこれやをずっと思い出してみたのだが……慶にここまでハッキリと『好き』と言われたのは、高校の時におれが告白したのに対する返事以来じゃないだろうか? ……いや、あの時も「ずっと好きだった」って言われたんだ。それ以降も、会話の中で言ってくれることはあった。「そういうお前のこと好きになったんだ」とか、そういう感じで。だから、
『好きだよ』
……うん。ない。はじめてだ。
でも、『~~だよ』って言い方は、イマイチ慶っぽくないな、とも思う。ちょっとセリフちっくだ。
いつもの慶だったら、そうだなあ……『好きだ』?『好きだぞ』? ……うーん。やっぱり『好きだよ』になるのかなあ……
「センセー夏休み中何かあったのー? 超機嫌いいー」
「え」
しまった。新学期早々、生徒に冷やかされ、いかんいかん、と顔を戻す。
「みんなに会えたのが嬉しくて機嫌がいいだけだよ」
「わー調子いいー」
笑う一人一人の顔をチェックする。
不安になっている子はいないだろうか。ここはみんなの居場所になっているだろうか。
ここは普通高校とは少し違う。心に傷を負った子供たちを受け入れる砦なのだ。
慶がおれの光となってくれたように、おれも一人でも多くの子供を励ます光となりたい。
***
おれが中学校で不登校になった原因は、クラスメートからのイジメだった。
教室に入れず、いわゆる『保健室登校』をしていたが、それでも登下校待ち伏せされ執拗な嫌がらせを受けたため、中学2年からは登校もほとんどできなくなった。
定期テストは母に付き添われて登校して受けさせられていたのだが、そこで毎回、学年上位の成績を取っていたのも、イジメグループの気に触ったらしい。
父は、学力至上主義者だった。「成績表は教師の主観が入るが、実力テストには純粋に学力のみが反映される。だから成績表はいくら悪くても構わないが、テストだけは良い点数を取らなくてはならない」と、よく父に言われていた。
父はおれにとって恐怖の対象でしかなかった。眼鏡の奥の鋭い瞳に睨まれると、竦んで身動きがとれなくなった。たぶん母もそれは同じで、母がおれに折檻までして勉強を強要したのは、父の機嫌を損ねたくなかったから、というのが一番の理由だったのだと思う。父は王様。おれと母はその駒でしかなかった。
その恐怖心は根強く、大人になって実家を出てからも、日本を離れてさえも、消えることはなかった。母に対しては恐怖心よりも嫌悪感のほうが強い気がするが、父に対してはひたすら恐怖を感じていた。
そんな父が、倒れた、と母から連絡があったのは、2回目の合同カウンセリングの翌週、おれが一人でカウンセリングを受けていた最中だった。
おれは母に連絡先を教えていないので、母がクリニックに電話してきたのだ。
倒れた、といっても病気ではなく、本当に「倒れた」そうだ。リビングの電球の入れ替えをしている最中に脚立から転落したらしい。足が腫れていて歩けないから病院にも連れていけず、でも救急車も呼ぶなと言われて困っている、と……。うちのリビングは天井が高いので、かなり高くのぼる必要がある。下手をすると骨折しているかもしれない。
「どうぞ行って差し上げてください。今の桜井さんだったら大丈夫ですよ」
「…………はい」
主治医の戸田先生に背中を押され、戸惑いながらも肯く。
父に会うのは12年以上ぶりになる。
***
久しぶりに見る父は、矍鑠としていてとても82歳には見えなかった。それでも、記憶の中にある父よりも2回りくらい小さくなった気がする。そのせいか、恐怖で身が竦むという現象は起きなかった。
父はおれを見るなりムッとした表情を浮かべたけれども、何も言わず、おれの背中にのり、車まで大人しく運ばれた。初めて父をオンブした。……というか、父とこんなに体を密着させたのも初めてだと思う。
予想よりも体重の軽い父に少し衝撃を受けた。おそらく、背は慶よりも高いけれど体重はずっと軽いのだろう。まあ、慶は筋肉で重いとも言えるのだが……。普段から慶のことをふざけて抱っこしたりオンブしたりしていて良かった。おかげで、まったくふらついたりせずに父を運ぶことができた。
駐車場から病院へは、車いすを借りて移動した。その間も父はほぼ無言だった。した会話といえば、
「痛くないですか?」
「大丈夫だ」
これだけだった。それでも、声が震えなかった自分を自分で褒めたいくらいだ。
検査の結果、足首は捻挫だったのだが、左手首が折れていることが分かった。入院と手術が必要だという。
「お父様、そうとう痛かったと思いますよ。この年代の方は我慢強すぎて困る」
診察してくれた医師にあとからこっそりと言われ、父らしくて少し笑ってしまった。
入院に必要なものを取りに戻る車の中、母がぽつぽつと話しだした。
「お父さんねえ、庄司さんと喧嘩別れしちゃったのよ」
「………喧嘩?」
庄司さんとは、おれが小学生の時から父の事務所で働いていた、おれより15歳年上の男の人だ。
おれが弁護士にならないと宣言してすぐに、父は庄司さんを跡取りと決めた。5年ほど前に事務所も庄司さんに譲り、自分は顧問として時々顔を出していたらしいのだが……
「色々口出しされることに庄司さんがとうとう我慢できなくなって……」
それで、今まではうちのこまごまとした男手の必要なこと………大掃除とか、それこそ電球の付け替えなどは、庄司さんが親切でやりにきてくれていたのだけれども、喧嘩して以来、まったく来なくなってしまったため、父がすることになってしまったそうだ。
あの父が脚立にのり、小さくなったあの体で電球に向けて手を伸ばしていたと思うと、なぜか胸が傷んだ。
「もう仲直りは無理だと思うのよね」
頬に手をあて、ため息をつく母。
「でもお父さんももう歳でできないことあるし、これからも今回みたいなことがあるんじゃ、ホント困っちゃうわ」
「………電球くらい」
うつむいた母を見て、ほとんど無意識に、言葉を発していた。
「電球くらい、僕がつけかえますよ」
「え」
「え?」
自分でも驚く。おれ、今、何言った?
「そう……ありがとう。助かるわ」
「あ……いえ」
何言ってんだ?おれ……
嬉しそうに微笑んだ母から慌てて目をそらす。ハンドルを握る手に汗が染みてくる。
「さっき、お父さん背負ってる浩介みてて、ほんと感心しちゃったわ。もうすっかり大人ね」
「…………」
40過ぎた息子に、今さら大人ってことないだろ、と言いたいところだけれども、たぶん母の中ではおれはまだ大学4年の22歳で止まっているんだろうな、と思う。
「明日の手術って、全身麻酔なんですってね。腕を手術するのにどうして全身を麻酔するのかしら?」
母は手を揉み絞りながらブツブツと言っている。この仕草、昔から変わらない。
「全身麻酔って危険じゃないのかしら。これで何か障害が残ったりしたらと思うとこわいわ」
「………」
「ねえ、浩介、明日の手術の時、一緒にいてくれる?」
「………え」
ごくごく普通に言われ、戸惑ってしまう。
おれはずっと両親のことを憎んでさえいて、ずっと避けてきた。こうして母と二人きりで話すのも12年以上ぶりだ。でも、母はそんなことなかったかのように、普通に言う。
「私一人じゃ何かあっても判断できないもの。お願い」
「…………。分かりました」
何だかおれも、22歳の大学生に戻ったような気分だ。
**
病院を往復して、実家の電球まで変えたので、すっかり遅くなってしまった。
母に夕飯食べていく? と言われたけれど、せっかく今日は母に対してムカつくことがなかったのに、これ以上一緒にいて、また地雷を踏まれたら嫌なので、丁重にお断りをした。すると、
「じゃあ、これ、渋谷君と食べなさい」
「え」
タッパーを3つ渡された。ひじきの煮ものと、なすの味噌いためと、かぼちゃの酢豚。
「なすは昨日のお夕飯の残りだから今日中に食べたほうがいいかも。ちゃんと火通してね」
「あ……はい」
受け取り、頭を下げる。
渋谷君と食べなさいって……。
「ありがとう……ございます」
「じゃあ、明日よろしくね」
「…………はい」
渋谷君と………
心に温かいものが灯る。
渋谷君と。渋谷君と。
母がそんなこと言ってくれるなんて。
「お母さん」
「なに?」
首をかしげた母をじっと見つめる。この人も歳を取ったな………。
ふっと言葉が自然に出てきた。
「おやすみなさい」
「…………え」
びっくりしたような母を置いて玄関を閉める。母に「おやすみ」なんて言ったの、大学卒業以来だ。
***
その日の夜……
「慶、ちょっとおれのことオンブしてみてくれる?」
「………は?」
食事の後片付けも全部終わり、お風呂も入り、あとは寝るだけ、の状態になったところで慶にお願いしてみる。
案の定、その綺麗な眉を寄せた慶。
「何言ってんだ?」
「いや、今日、父をオンブしてるとき思ったんだよね。おれが将来、足腰立たなくなったとき、慶はこうやってオンブしてくれるのかなあ…とか」
「するけど……」
でも、おれ達同じ歳だからな? どっちが先に体がきかなくなるかなんてわからないだろ?
眉を寄せたまま言う慶に、いやいやいや、と手を振る。
「どう考えても、慶の方が健康だよね? 絶対おれの方が先にダメになるって」
「だからお前も鍛えろって言ってるんだよ。……ほら」
向けられた背中に、えいっとしがみつく。
すると、とんとんっと体が宙に浮き、軽々とオンブされた。
「わあ、すごい!」
思わず感嘆の声をあげてしまう。慶はおれよりも13センチほど背が低い。でもそんなこと関係ないようだ。
「別にすごかねえよ」
言いながらも、慶はおれをおぶったまま、ウロウロと歩き回ってくれた。そして、時々下にずりおちてくるのを、また、とんとんっとおれの体を宙に浮かせて、元の位置に戻してくれる。
「んー……」
その浮遊感、そして慶の腰のあたりに押しつけるようになっている感じ、慶の髪の匂い……これは、ヤバい。
落ちつかせようにも落ちつかない。というか、落ちつかせなくてもいいのか? どうなんだ?
どうしようかと、モゾモゾとしていたら、
「お前……」
おれの異変に気がついた慶に、オンブの手を離されてしまった。途端に床に足がついてしまう。
「何勃ってんだよ」
「ごめん、だってさー……」
後ろからぎゅうううっと抱きしめる。
「どうしよう。おれ絶対、足腰立たなくなっても、慶にオンブされたら元気になっちゃう」
「アホか」
心底呆れたように慶がいう。
「そのころにはもうそんな元気ないだろ」
「えーわかんないよー。すっごい元気かもよー」
今の父と同じ歳になるのは、約40年後……。おれ達、どんな風に過ごしてるんだろう。想像もつかない。
でも、一つだけわかっているのは……
「ああ、良い事思いついた」
「何だ?」
眉を寄せたまま振り返った慶の唇にそっと口づけ、にっこりとする。
「オンブする前に、やっとけばいいんだよ。その直後ならいくらなんでも勃たないでしょ」
「………色々ツッコミどころ満載な提案だな」
「そう?」
「お前、ほんとアホだよな」
「そうかなあ」
言いながら唇を重ねる。慶の唇。愛おしい唇……
「40年後……」
慶の細い腰を抱きながら、その白い耳にささやく。
「40年後もこうして一緒にいようね?」
「………当たり前だ」
背中に回された手にぎゅうっと力が入る。
「慶、大好きだよ」
「……ん」
40年後、どんな風に過ごしているのかはわからない。
でも、一つだけわかっていることがある。
それは、おれ達が一緒にいるということ。
もしも、どちらかがいなくなっていたとしても、魂だけとなっていても、おれ達は必ず一緒にいる。
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以上です。
最後までお読みくださりありがとうございました!!
老いた両親と向き合う……ようやく、ようやく、向き合える日がきました。
このシリーズも、残すところあと数回。
こんな真面目過ぎるお話にお付き合いくださり本当にありがとうございます。
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