姉の娘、桜ちゃんは少し早めに生まれてきてしまったため、現在入院している。
集中治療室の隣の病室に移ってからは、姉は面会時間開始と同時に桜ちゃんに会いに行き、ずっとお世話をしているらしい。
日曜日、浩介と一緒に初めて桜ちゃんを見に行った。桜ちゃんの病室には赤ちゃんの両親しか入れないのだけれども、そこは大きな窓ガラスになっていて、ガラス越しに中の様子を見ることができるのだ。
その際、なぜか小児科病棟のレクレーションを手伝うことになり、そこでおれ達は、島袋先生、という小児科医と出会った。飄々としていて、子供にも人気のある先生……。
浩介は家庭教師のくる時間になったため、途中で帰ったのだけれども、おれは姉が帰る時間になるまでずっと病院内にいた。
病気に立ち向かっている子供たち。それを支えるお医者さん、看護婦さん……。心がザワザワして落ちつかない。
島袋先生は、桜ちゃんの主治医だそうだ。別人のようになるほど落ち込んでいた椿姉のことを立ち直らせてくれたのはこの人達なんだ、とあらためて感謝したくなった。おれは椿姉のために何もしてあげられなかったけれど、この人達は、桜ちゃんだけでなく、椿姉のことも救ってくれたんだ……
「あれ、近藤さんの弟君?」
「あ……」
翌月曜日、午前授業の学校帰り、浩介は部活なので一人で病院を訪れ、姉と待ちあわせている食堂に入ったところ、偶然、島袋先生と出くわした。
「こん……にちは」
「今日は一人?」
「あ……はい」
なぜか緊張する。しどろもどろになってしまう。おれ、普段は初対面の人とでも平気で話せるタイプなのになあ……
「あ、やっぱりランチセットにしたんだ? 今日カツ丼だもんね。高校生はやっぱり肉だよね」
「…………はい」
「オレも昔は食べられたのになー」
島袋先生はうどんとコロッケを選んでいた。こんなんで足りるんだろうか……
一緒に食べよう、と誘っていただいたので、向かいの席に座った。一般の人も利用できるので、白衣や制服の人とそうでない人とごちゃまぜになっている。
「今度高校3年生なんだって?」
「はい……」
「受験だねえ。もう大学とか決めてるの?」
「いえ……全然」
そう、全然決まっていない。浩介はお父さんと同じ大学(国内トップクラスの私大だ)を狙っているらしいので、おれもその近くにある大学がいいなあ、なんて何の将来の展望もないことを考えていたりする……
「そう。決まってないってことは、これからいくらでも決められるってことだねえ。今からたくさんの選択肢を選べるんだねえ……」
「………先生は」
ふと顔をあげると、穏やかな瞳と目があった。
「先生は、いつからお医者さんになりたいって思ってたんですか?」
「うーん……」
先生はちょっと苦笑すると、
「物心ついたころには、自分は医者になるもんだと思ってたんだよねー。うち、家が小児科病院だから」
「そう……ですか」
でも、全然嫌そうではない。子供一人一人に向き合っていて……という、おれの心の声を読んだかのように、先生はニッコリといった。
「まあ、オレ、子供好きだしね。一人一人が愛しいよ」
「…………」
恥ずかし気もなくそう言いきる島袋先生は相当カッコいい。
「それにね……」
と、先生が何か言いかけたところで、横から泣きだしそうな声が聞こえてきた。
「島袋先生……慶……」
「椿姉……」
椿姉がなぜかちょっと泣きそうな顔をして立っている。
「どうした……」
「桜、今日は全然飲んでくれなくて。これじゃ……」
「まあ、とりあえず座ってください」
島袋先生がにこやかに言うと、椿姉が座ってポツポツと話し出した。取りとめもない話を表情も変えず聞いて、答えてくれている島袋先生………。うどんが伸びて、汁がなくなってしまっているのに、それにもかまわず、ずっと……
「そうですか……」
おれがカツ丼を食べ終わったところで、ようやく話がひと段落した。島袋先生は今日一番に大きく肯くと、
「近藤さん、頑張ってますよね」
「………先生」
椿姉の目が見開かれた。先生がニッコリと笑う。
「僕も頑張りますので、一緒に乗り越えましょう」
(一緒に………乗り越える……)
一緒に乗り越える。なんて人に寄り添った言葉……。
「先生……」
椿姉から大きな大きなため息がもれた。
「ありがとう……ございます」
「またあとでそちらも回りますのでその時に」
「はい……」
ようやくいつもの顔に戻って「お邪魔して申し訳ありません」と頭を下げた椿姉。
「慶、私も食べるからちょっと待っててね」
そういうと慌てて買いに出ていった。それを見送り、「さて」と島袋先生は自分のうどんの器に視線を落とし、ぎょっとしたように叫んだ。
「おわっ増えてる!」
「………」
そりゃこれだけ放置すればのびまくるって……
でも、そののびきったうどんを先生はおいしそうに食べはじめた。不思議な人だ……
「あの……姉のこと、ありがとうございます。でも……一人ずつあんなに丁寧に話聞いてたら、時間がいくらあっても足りませんよね……」
「ああ、それ、よく言われるんだよねー。看護婦さんにもいつも怒られてるよ」
なぜか楽しそうに言う島袋先生。
「でもオレのポリシーだから曲げられないんだ。オレは、子供達のことも親御さんのことも助けたい」
「…………」
すごい………かっこいい。
椿姉がオムライスをお盆にのせて戻ってきた。その表情はさっきと全く違く、明るくて……
(先生のおかげだ……)
昨日の、キラキラ笑顔の子供達……。そして安心しきったような椿姉……。みんなみんな先生のおかげだ………
***
3月25日水曜日。2年10組最後の日。
「クラス会、定期的にやろうな」
委員長の言葉にみんなが「やろうやろう!」と大騒ぎしはじめた。でも、
「10年後、20年後、オレ達、どんな大人になってるんだろうな?」
続いた委員長の言葉にシンとなる。
10年後、27歳。
当然もう働いているだろう。………何をして?
「………あ」
ふいに浮かんだ白衣の後ろ姿にドキリとする。
『一緒に乗り越えましょう』
あんな風に言える大人になれるだろうか。そのためには………
「オレ、結婚して、子供3人くらいいる予定!」
お調子者の溝部の言葉に、我に返る。委員長が真面目に返事をしている。
「そのためには、大学行って就職して、だな」
「やなこと言うなよ委員長!」
「…………」
大学……。大学、か………
ふいっと斜め後方の席の浩介を振り返る。
「あ」
当然のように、浩介はおれのことを見ていてくれたので、振り返った途端に目が合い、苦笑してしまう。浩介もニコニコと小さく手を振っている。
(こういうのも最後なんだなあ……)
三年生からはコースが違うので絶対にクラスがわかれてしまうのだ。
せめて今年だけでも一緒になれて良かった。仲の良いこのクラスで一緒になれて本当に良かった。
(浩介………)
大好きなその瞳に笑いかける。
10年後、どんな道を歩いていたとしても、隣にはお前がいると信じてる。
(どんな道……)
ふいにまた現れる白衣の後ろ姿。道の前を歩いている眩しい光。おれの道の前にいるの
は………
***
春休み。浩介は連日部活だった。
おれは、椿姉経由で看護婦さんからお願いされて、小児科病棟のレク室の手伝いにいった。手伝い、といっても、ただ単に子供たちと遊ぶだけの仕事だ。
時折顔を出してくれる島袋先生はあいかわらず飄々としていて、子供たちによく懐かれている。
病気に立ち向かっている子供たちにとって、島袋先生は一緒に戦ってくれる戦友のようだと思う。
その思いは、時間中に一人の女の子が発作を起こしてしまった時に確信へと変わった。
何もできないおれの目の前で、島袋先生と看護婦さんが手際良く処置していって……
(おれも、一緒に戦いたい)
その時、強烈に芽生えた思い。
……いや、初めて島袋先生に会った時から芽生えていたのだと思う。先生に対して過度に緊張してしまうのは、憧れの強さからなのかもしれない。
道の前を歩くまぶしい光。
認めてしまえば、ストンと体に落ちてくる思い……それは。
日曜日、部活のない浩介がうちに遊びにきてくれた。
まだ、誰にも打ち明けていないこの気持ちを一番に浩介に伝えたかった。
「おれ……医学部受けようと思う」
「い……医学部?」
びっくりした顔をした浩介に、力強く断言する。
「おれ、医者になりたい」
島袋先生みたいに患者にも患者の家族にも寄り添える医者に。一緒に戦う戦友みたいな医者に。
浩介は「そっかあ」と小さくいうと、優しくおれを引き寄せ、ぎゅっと抱きしめてくれた。
「慶、頑張ってね」
「おお」
うなずき、きゅきゅっとその胸に頬をこすりつける。
お前が一緒にいてくれたら、何だってできる気がする。
「おれ達、10年後も20年後も、こうして一緒にいような?」
「…………慶」
浩介の腕の力が強くなる。
「おれ、慶の隣にいられれば、もうそれだけでいい」
「…………うん」
ずっとずっと隣にいよう。
一緒に将来への道を進んでいこう。
<完>
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お読みくださりありがとうございました!
1991年7月(今から25年前!)当時高校生だった私が作ったプロットを元に書き進めてきました「遭逢」「片恋」「月光」「巡合」「将来」の5編、以上で終了になります。
約5ヶ月間、こんな普通の真面目なお話にお付き合いくださり、本当にありがとうございました!
その後、読切を挟みつつ、「旅立ち」「自由への道」「翼を広げて」「あいじょうのかたち」と話は進んでまいります。
(年表あります→ こちら )
この年表を見ていて、ちょっと書き足りない?と思うのが、27、8歳。このころ浩介病んでます。
あと、32~39歳の東南アジア時代がゴッソリない。
でも、東南アジア時代は3年離れ離れの後の初の同棲生活なので、仕事上はトラブル等色々ありますが、プライベートはひたすらイチャイチャしてるだけです。はい。
と、いうことで。
次回は、それこそ今回の話の10年後あたり。27、8歳くらいの病んでいる浩介の話を少々書こうかな、と。今回ひたすら純真な感じだったので、次回からは少し大人っぽくいこうかなあ、と。
あともうしばらくの間、お付き合いいただけますと幸いです。どうぞよろしくお願いいたします!
次回は2日後または3日後に更新予定です。
クリックしてくださった方、本当にありがとうございます!こんな真面目な話なのにご理解いただけて本当に嬉しいです。次回からもどうぞよろしくお願いいたします。ご新規の方もどうぞよろしくお願いいたします!


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