きのうはやあるきのじいさんにおいぬかれる

犬と酒依存症のおっさんが、車椅子を漕ぎながら、ネガティブに日々見たり聞いたり感じたりした暗めの話題を綴ります。

「空気を読む」なんて考えてみれば相当変な日本語だわ

2012-02-25 23:06:26 | 徒然に2010-2013
外国人が日本語を学ぶ時に「壁」として立ちはだかるのではないだろうかこのフレーズ。
「たけしの日本人云々・・・」を見ながらそうだよなあと思う。
和を大切にするとか、不安を感じやすいとか、日本人特有の要素はあるんだろう。鬱になりやすいというのもあるんじゃなかろうか。

空気なんて、呼吸に関係するだけなのになあ。儂は、空気を読むのが苦手だと思う。でも読まなければならないと思って、それでも何とか自分なりにやってるつもりである。
仕事でよく接する「DEAF」の人が時にうらやましかったりする。彼らは文化が違う。それはそれでいいんじゃないかと思う。ただまあ、理解してくれる人はそう多くはないだろうが。

昨日の会議、何とか形にはなったけど、結論というか、はっきりさせたいところはなーんもはっきりしていない。でも、何となくうまくいったという感じは参加者みんなが思っているだろうなと思う。はっきり結論が出て先に進むやり方ではなく、なーんとなく、でもみんなの想いをうけとめなければという雰囲気で先に進む方が、案外うまくいくのだなということが分かった。これは事実だと思うし否定できないな。そんなことを思いながら、テレビを見ていた。

儂は、ろう者でもなくでも聴者でもない。居場所のなさに今更ながら困惑しつつでもそれをカミングアウトできないでいる自分をもて余している。自分流で行きたいのはやまやまだが、そこまでの力がまだないなと思う。
そんなことを想いながら今日は犬の墓参りに行った。いつもより時間がかかった墓に着いたとき結構暗かったでも今月は無理かなと思っていたにもかかわらず決めていたことを果たせた満足感はあった。そして、先日職場でいたただいた「御褒美」を先祖の墓に報告し実家に預けた。親孝行あんまりしなかったが、自分の中では初めて親孝行できた。実の親だけでなく義理の親にも。自分の中で区切りがついたという点で、実は周囲が考えている以上に大きな出来事になっていた自分では。ここから、さあどうするか、だな。

不安を感じやすい日本人の典型だから、空気を読むということに完全には反発できないがせめて「是々非々」を貫き通したいと思う。これから生き方を問われるなあと思いながら、慰労した。