平城京を後にして東に進む。
時間にはそれほど余裕がある訳ではない。というよりどれぐらい余裕があるのかは分からない。先々でトラブルが起こるかもしれないのは特別なことではないが、その対応には時間がかかる。
平城天皇陵。この天皇、政権争いに敗れた方の筈。
海龍王寺。由緒は分からん。バス停はこちらの寺ではなく法華寺の名前がある。
とりあえず予定の2時間になる手前で腹が減ったのでコンビニで補給。以前なら食べながら走ったりもしていたが。
細い路地に入り、佐保川を探す。
上手い具合にドンピシャでぶつかり、川沿いを行く。
漸く到着する。ここが出発点。本当は、JR奈良駅近くからが出発点だが。
「大仏鉄道遺構めぐり」は、だいたいどのサイトにも「13kmで所要時間は3~4時間」とある。別稿で記した「平城京訪問」を合わせると、この日は20キロ近くになるかと思ったが結果は17.5キロ。
紹介ルートは加茂駅出発のものが多いが、儂の場合は奈良側からの出発。で、これも結果的には、途中の悪路が下り傾斜だったから何とか漕ぎきれたものの、加茂側からなら上りになるから、漕破は難しかったかもしれないと、これ本当にそんな感じであった。たまたま、いろいろな条件やら時間的な制限から奈良側から出発しただけで、ここまで酷い道で、加茂側からならとても無理だという情報は掴んでなかったので、これはもう本当にラッキーだったというしかない。
以下、参照ルートのチェックポイントごとに記録。
1 佐保川橋・旧大仏駅跡(記念公園)
佐保川に架かる下長慶橋付近の川底に残るレンガ製橋脚の基底部が遺構の一つである、ということは帰ってから知った。
とにかくこの橋の辺りを通ったんだなという程度でチェック。ここに至るまでに、県道から南に入り、細い路地を通って川沿いに出てのだが、珍しく、曲がるところが完璧に正解していた。
そして、ふと振り向けば、大仏鉄道記念公園があった。公園というには狭い、地域の遊具が置いてある子供の遊び場みたいな感じのところであった。
2 黒髪山トンネル跡
公園を出発して、上り坂に入る。
とりあえず、44号線に出る必要があった。奈良ドリームランド跡の方へ行き、もう少し先で合流しても良かったとは思うが、とりあえず推奨ルートをということで。県道に出る直前の坂の傾斜の酷いこと。この後、もっとひどいのに幾つも出くわすとはまだこの時点では知る由もなし。
鴻ノ池近辺は、運動公園とか放送局とか、そして茶色のローソンとか。
鴻ノ池に出てしばらく進むと、黒髪山トンネル跡を通過する。
で、とりあえずここにあったのねという感じで通過。山を切り開いたためトンネル自体はもうないらしい。
黒髪山トンネルは急坂で、機関車が一両だと止まってしまうとか、乗客や村の人が押したとかの記録があるらしい。そこまで急だとは思わなかったので、現在の44号とは別のところを通っていたのだろう。
3 鹿川隧道(発見できず)
農業用水路のために造られた細いトンネルで、現在も水路として利用されているということだが、ここは完全に見落とし、というか分かるような手掛かりもなかったような。
因みに、地図で見ると、奈良駅近くには開化天皇陵、鴻ノ池近くには聖武天皇陵、黒髪山トンネル跡から鹿川隧道辺りには元明天皇陵や天正天皇陵があるらしい。ずっと写真のような感じだったのでよく分からんかったが。
4 松谷川隧道
県道44号は当然歩道を通るのでペースは上がりにくい。
ただ、坂もあるのでそこは車道に出たりもする。
歩道がなくなり、それまでの左側通行を右側に変更して、坂道をぐぐっと降りる。再び上って県境越え。
左手に変な形の浄水場の建物を見て、西梅谷の交差点に差し掛かって信号待ち。その時に、左手に小さな碑が見えたので、左側に再び移動。
で、この下に隧道跡があるということが分かる。見落とすところだった。で、階段で行けという指示があるが、儂は行けない。どうしたもんかと、遠くを見ると、何となく行けそうな坂があるのでそこから行ってみる。
無事に見学。
ただ、この後が大変で、舗装していない細い道を辿って行ったら見事に最後に行けなくなって引き返し。
おまけに、下ってきた坂は鬼のような傾斜で、他にエスケイプルートはなさそうだったのでここを上がるしかなく、もう、必死で上る。
まあ、行けたので良しとする、みたいな感じである。
5 井関川橋梁跡
この後、広いバイパス様の道路を更に下り、梅谷で右折。
そしてまた上って下ってで道が狭くなった頃に、看板を見つける。
現在は道だが、この場所に大仏鉄道の線路があったということで。井関川が流れるこの辺りに、川を渡るための橋梁があったとのこと。
6 赤橋
交差点から目の前に見えるのは、細くて急傾斜の坂。行くしかない、か。
しばらく細い上り道が続いて、少し降りたところに別の方角からの太い道。回り道でも来れるらしい。
で、しばらくそのまま降りると看板があって、メインではなく側道を行けと。
すぐに見つかった。きれいである。赤橋は、イギリス積みのレンガ造りの橋台。今も現役で活躍。
7 梶ヶ谷隧道
赤橋から少しだけ行くと、もう一つ史跡がある。
梶ヶ谷隧道。この上を鉄道が通っていたらしい。今も隧道内を行き来することができる。
隧道の向こう側、タイムトリップしたかのような感じだった。
8 鹿背山橋台
ここから再びメインの道路に出たかと思ったら、程なくして分岐になり、細い方の道を行けという。
案内板がしっかりしていてこの辺り、迷うことはないのはありがたい。
で、かなりの急坂を降りる。
降りたところに鹿背山橋台があった。
大仏鉄道の史跡の中でも人気らしい。見る人が見れば結構凄いのかもしれない。儂は普通にいいなあと、思ってみた。
で、次の方向を見たら、壁のような傾斜の道があった。
これが、まだ序の口だったのだが。
9 観音寺橋台
ここからものすごい上り道を上る。
上ったところに分岐があった。
道が良くないダート、というより悪路の左側を進む。
両脇は石がゴロゴロしている。真ん中は草が生えていて進みにくい。どっちにしても進まないのは同じ。初めは端を漕いでいたが、途中で真ん中を進む。
傾斜は下りだが、漕ぎにくく進まない。途中、ランのおっちゃんとすれ違う。ということは、この道でOKなのは間違いない。
かなり漕いだつもりだったが、それほど漕いでいないのかもしれない。数日前に近所のダート漕いでおいてよかったと思っていたら、距離が全然違う。観音寺橋台までは約650メートルの表示ではあったが、そこまでは悪路、なのかもしれない。しかしまあ、一度も上り坂にはならなかったが、この悪路で上りだったらほとんど進まないだろう。
と、舗装路が見える。しかし、全面ではなく、真ん中に深いくぼみがあって、そのくぼみを渡す形で両輪を左右それぞれに乗せるのは難しそうだった。かといって、左か右かの細い舗装部分に両輪乗っけるのもギリギリだった。
少しだけ広そうな右側に、何とか両輪を乗せてそろそろ進む。
ここも上りなら、まずにっちもさっちもいかないぐらいの悪路だと思ったその刹那、膝にのせていたタオルが落ち、それを取ろうとしてバランスを崩す。左車輪が真ん中のくぼみにはまり込んでしまう。深さは、20センチぐらいあって、当然脱出できない。ただ、斜めにだが、前には進むことができた。ずり落ちそうになりながら、30センチ行っては、強引に方向を変え、また30センチ行っては方向を変える。それを繰り返して数メートル。くぼみが少しだけ浅いところまで進む。ようやく脱出。冷や汗をかいた。
これも上りだったら進みようがなかったかもしれない。微妙な方向転換はできても、転回は難しいだろうから立ち往生、というより座り往生していた筈。しかも、この間全く人の往来はなし。
漸く、舗装が見えた。
と思ったら、そこが観音寺橋台だった。ここはフェンスがあって立ち入りはできない。
現在も利用されている関西本線の橋台と並んでいる。どちらの橋台もほぼ同時期に造られたものらしい。
10 ランプ小屋、SL(?)
ここからは2つのコースに分かれている。
儂が見た範囲では、田園コースを歩いている人の方が多かったので、何となくそちらに向かう。もう一つの歴史を感じるコースは、名前だけならこちらを選んでいた筈だが、早速の上り坂が見え、漕走に回避。さっきの悪路でこれ以上上りは行きたくないと思ったのだろう。
田園コースは、川沿いを行くが、これも正規のコース(?)まで行くには、ダートを行かなければならないようだったので、勝手に広い道の方へ進み、駅を目指す。
後、駅近くには、ランプ小屋とかC57のSL展示とか、コース紹介みたいなのもあるらしかったが、一切見ずに、ではなく見つけられずに、駅西側へ。
後で見たら、SLは東側にいたらしい。
ランプ小屋はそれらしいのは写真に収めたが、正面に行く方法が分からなかった。もうしんどいので、回らずにローソンに入り、ゴールする。儂と同じ名字のレジの方がいた。
後日、こういうイベントがあったことを知る。親近感がわく。
にしても、ラッキーだったというしかないような出来事もたくさんあったので、もう少し安全な史跡巡りとかそういうのはないんかなと思うことしきり。
時間にはそれほど余裕がある訳ではない。というよりどれぐらい余裕があるのかは分からない。先々でトラブルが起こるかもしれないのは特別なことではないが、その対応には時間がかかる。
平城天皇陵。この天皇、政権争いに敗れた方の筈。
海龍王寺。由緒は分からん。バス停はこちらの寺ではなく法華寺の名前がある。
とりあえず予定の2時間になる手前で腹が減ったのでコンビニで補給。以前なら食べながら走ったりもしていたが。
細い路地に入り、佐保川を探す。
上手い具合にドンピシャでぶつかり、川沿いを行く。
漸く到着する。ここが出発点。本当は、JR奈良駅近くからが出発点だが。
「大仏鉄道遺構めぐり」は、だいたいどのサイトにも「13kmで所要時間は3~4時間」とある。別稿で記した「平城京訪問」を合わせると、この日は20キロ近くになるかと思ったが結果は17.5キロ。
紹介ルートは加茂駅出発のものが多いが、儂の場合は奈良側からの出発。で、これも結果的には、途中の悪路が下り傾斜だったから何とか漕ぎきれたものの、加茂側からなら上りになるから、漕破は難しかったかもしれないと、これ本当にそんな感じであった。たまたま、いろいろな条件やら時間的な制限から奈良側から出発しただけで、ここまで酷い道で、加茂側からならとても無理だという情報は掴んでなかったので、これはもう本当にラッキーだったというしかない。
以下、参照ルートのチェックポイントごとに記録。
1 佐保川橋・旧大仏駅跡(記念公園)
佐保川に架かる下長慶橋付近の川底に残るレンガ製橋脚の基底部が遺構の一つである、ということは帰ってから知った。
とにかくこの橋の辺りを通ったんだなという程度でチェック。ここに至るまでに、県道から南に入り、細い路地を通って川沿いに出てのだが、珍しく、曲がるところが完璧に正解していた。
そして、ふと振り向けば、大仏鉄道記念公園があった。公園というには狭い、地域の遊具が置いてある子供の遊び場みたいな感じのところであった。
2 黒髪山トンネル跡
公園を出発して、上り坂に入る。
とりあえず、44号線に出る必要があった。奈良ドリームランド跡の方へ行き、もう少し先で合流しても良かったとは思うが、とりあえず推奨ルートをということで。県道に出る直前の坂の傾斜の酷いこと。この後、もっとひどいのに幾つも出くわすとはまだこの時点では知る由もなし。
鴻ノ池近辺は、運動公園とか放送局とか、そして茶色のローソンとか。
鴻ノ池に出てしばらく進むと、黒髪山トンネル跡を通過する。
で、とりあえずここにあったのねという感じで通過。山を切り開いたためトンネル自体はもうないらしい。
黒髪山トンネルは急坂で、機関車が一両だと止まってしまうとか、乗客や村の人が押したとかの記録があるらしい。そこまで急だとは思わなかったので、現在の44号とは別のところを通っていたのだろう。
3 鹿川隧道(発見できず)
農業用水路のために造られた細いトンネルで、現在も水路として利用されているということだが、ここは完全に見落とし、というか分かるような手掛かりもなかったような。
因みに、地図で見ると、奈良駅近くには開化天皇陵、鴻ノ池近くには聖武天皇陵、黒髪山トンネル跡から鹿川隧道辺りには元明天皇陵や天正天皇陵があるらしい。ずっと写真のような感じだったのでよく分からんかったが。
4 松谷川隧道
県道44号は当然歩道を通るのでペースは上がりにくい。
ただ、坂もあるのでそこは車道に出たりもする。
歩道がなくなり、それまでの左側通行を右側に変更して、坂道をぐぐっと降りる。再び上って県境越え。
左手に変な形の浄水場の建物を見て、西梅谷の交差点に差し掛かって信号待ち。その時に、左手に小さな碑が見えたので、左側に再び移動。
で、この下に隧道跡があるということが分かる。見落とすところだった。で、階段で行けという指示があるが、儂は行けない。どうしたもんかと、遠くを見ると、何となく行けそうな坂があるのでそこから行ってみる。
無事に見学。
ただ、この後が大変で、舗装していない細い道を辿って行ったら見事に最後に行けなくなって引き返し。
おまけに、下ってきた坂は鬼のような傾斜で、他にエスケイプルートはなさそうだったのでここを上がるしかなく、もう、必死で上る。
まあ、行けたので良しとする、みたいな感じである。
5 井関川橋梁跡
この後、広いバイパス様の道路を更に下り、梅谷で右折。
そしてまた上って下ってで道が狭くなった頃に、看板を見つける。
現在は道だが、この場所に大仏鉄道の線路があったということで。井関川が流れるこの辺りに、川を渡るための橋梁があったとのこと。
6 赤橋
交差点から目の前に見えるのは、細くて急傾斜の坂。行くしかない、か。
しばらく細い上り道が続いて、少し降りたところに別の方角からの太い道。回り道でも来れるらしい。
で、しばらくそのまま降りると看板があって、メインではなく側道を行けと。
すぐに見つかった。きれいである。赤橋は、イギリス積みのレンガ造りの橋台。今も現役で活躍。
7 梶ヶ谷隧道
赤橋から少しだけ行くと、もう一つ史跡がある。
梶ヶ谷隧道。この上を鉄道が通っていたらしい。今も隧道内を行き来することができる。
隧道の向こう側、タイムトリップしたかのような感じだった。
8 鹿背山橋台
ここから再びメインの道路に出たかと思ったら、程なくして分岐になり、細い方の道を行けという。
案内板がしっかりしていてこの辺り、迷うことはないのはありがたい。
で、かなりの急坂を降りる。
降りたところに鹿背山橋台があった。
大仏鉄道の史跡の中でも人気らしい。見る人が見れば結構凄いのかもしれない。儂は普通にいいなあと、思ってみた。
で、次の方向を見たら、壁のような傾斜の道があった。
これが、まだ序の口だったのだが。
9 観音寺橋台
ここからものすごい上り道を上る。
上ったところに分岐があった。
道が良くないダート、というより悪路の左側を進む。
両脇は石がゴロゴロしている。真ん中は草が生えていて進みにくい。どっちにしても進まないのは同じ。初めは端を漕いでいたが、途中で真ん中を進む。
傾斜は下りだが、漕ぎにくく進まない。途中、ランのおっちゃんとすれ違う。ということは、この道でOKなのは間違いない。
かなり漕いだつもりだったが、それほど漕いでいないのかもしれない。数日前に近所のダート漕いでおいてよかったと思っていたら、距離が全然違う。観音寺橋台までは約650メートルの表示ではあったが、そこまでは悪路、なのかもしれない。しかしまあ、一度も上り坂にはならなかったが、この悪路で上りだったらほとんど進まないだろう。
と、舗装路が見える。しかし、全面ではなく、真ん中に深いくぼみがあって、そのくぼみを渡す形で両輪を左右それぞれに乗せるのは難しそうだった。かといって、左か右かの細い舗装部分に両輪乗っけるのもギリギリだった。
少しだけ広そうな右側に、何とか両輪を乗せてそろそろ進む。
ここも上りなら、まずにっちもさっちもいかないぐらいの悪路だと思ったその刹那、膝にのせていたタオルが落ち、それを取ろうとしてバランスを崩す。左車輪が真ん中のくぼみにはまり込んでしまう。深さは、20センチぐらいあって、当然脱出できない。ただ、斜めにだが、前には進むことができた。ずり落ちそうになりながら、30センチ行っては、強引に方向を変え、また30センチ行っては方向を変える。それを繰り返して数メートル。くぼみが少しだけ浅いところまで進む。ようやく脱出。冷や汗をかいた。
これも上りだったら進みようがなかったかもしれない。微妙な方向転換はできても、転回は難しいだろうから立ち往生、というより座り往生していた筈。しかも、この間全く人の往来はなし。
漸く、舗装が見えた。
と思ったら、そこが観音寺橋台だった。ここはフェンスがあって立ち入りはできない。
現在も利用されている関西本線の橋台と並んでいる。どちらの橋台もほぼ同時期に造られたものらしい。
10 ランプ小屋、SL(?)
ここからは2つのコースに分かれている。
儂が見た範囲では、田園コースを歩いている人の方が多かったので、何となくそちらに向かう。もう一つの歴史を感じるコースは、名前だけならこちらを選んでいた筈だが、早速の上り坂が見え、漕走に回避。さっきの悪路でこれ以上上りは行きたくないと思ったのだろう。
田園コースは、川沿いを行くが、これも正規のコース(?)まで行くには、ダートを行かなければならないようだったので、勝手に広い道の方へ進み、駅を目指す。
後、駅近くには、ランプ小屋とかC57のSL展示とか、コース紹介みたいなのもあるらしかったが、一切見ずに、ではなく見つけられずに、駅西側へ。
後で見たら、SLは東側にいたらしい。
ランプ小屋はそれらしいのは写真に収めたが、正面に行く方法が分からなかった。もうしんどいので、回らずにローソンに入り、ゴールする。儂と同じ名字のレジの方がいた。
後日、こういうイベントがあったことを知る。親近感がわく。
にしても、ラッキーだったというしかないような出来事もたくさんあったので、もう少し安全な史跡巡りとかそういうのはないんかなと思うことしきり。