4月14日は一年前に一回目の震度7の地震が発生した日である。
4月12日に娘夫婦の次男が誕生したので、様子を見に行って13日の夕方に熊本の自宅に一人で帰った。
翌日の14日は公民館活動で、謡曲の練習があって参加するためである。
13日のブログには「頑張れブラザーズ」などと、ノンビリした記事を書いているし、地震のあった日も電線の鳥避けの話などどうでもいい話ばかりが続いている。
つまり、この世は事もなし・・・で終わる予定だったのだ。
4月14日の夜は、一人でテレビを見ながら夕食とも晩酌ともつかぬ時間を食卓で過ごしていた。
焼酎のお湯割りを2杯くらい飲んでいたのだが、21時半を回ったあたりからテレビの内容が面白くなってきたので、焼酎を片手に食卓から居間のソファーの方に移動して一口飲んでグラスをテーブルに置いた途端にド~~ンと揺れ始めた。
食器棚が倒れ、私が先ほどまで座っていた食卓の上あたりを食器が飛び派手な音をさせて割れた。
ゴ~っというような地鳴りのような音と共に時々ドスンだのガタンだのという音が混じっていた。
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隣の和室ではタンスが全部倒れ、仏壇の上半分が部屋の中央付近に飛び出してきていた。
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その他本棚や机などは皆抽斗が飛び出し部屋中に散らばっていた。
しかし電気は点いていたし、テレビも映っていたし、電話も水道もOKだったのでホッとして割れたガラスや食器類を処分し、次の余震に備えてタンスも中味を引き出して低い状態にし、食器類も段ボールに入れ家電も冷蔵庫以外は全部床の上に並べて置いた。
テレビやパソコンの前にも布団などを置いて倒れても壊れない処置をした。
庭を見ても隣の瓦が落ちているばかりで我が家の屋根瓦が落ちた様子はなかった。
当初の予定ではお産は長男の時と同じように我が家でと考えていたのだが、娘夫婦の状況を考慮して、我が相方が先方に手伝いに行くことに予定を変更していた。
もし当初の予定通りであったなら、仏壇やタンスの下敷きになって確実に誰かが大怪我をしていたことだろう。
小さな子供だったら命まで危なかった筈で、いま考えてもゾッとする。
その日は、余震対応をしているうちに日付が変わり15日になって、後の余震を乗り切ればなんとかなると思いながら2階の部屋で一人寝床についた。
早朝にテレビのニュース番組に電話インタビューで出て欲しい旨の連絡があり、結構元気だった私はOKしたからである。
地震後のインタビューは、する方もされる方もこれが前震で本震が後に控えていることなど毛頭知るよしもなかった。
前震と本震の間の短い休戦期間も揺れは散発していた。
あれは前震の余震と呼べばいいのだろうか。
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4月12日に娘夫婦の次男が誕生したので、様子を見に行って13日の夕方に熊本の自宅に一人で帰った。
翌日の14日は公民館活動で、謡曲の練習があって参加するためである。
13日のブログには「頑張れブラザーズ」などと、ノンビリした記事を書いているし、地震のあった日も電線の鳥避けの話などどうでもいい話ばかりが続いている。
つまり、この世は事もなし・・・で終わる予定だったのだ。
頑張れブラザーズ娘に次男が誕生し、今日は退院予定日だというので筑紫野まで出かけた。 悪戦苦闘が予想される配偶者の陣中見舞いも兼ねているが、私的には長男の様子が気になっていた。 赤ん坊を抱......
4月14日の夜は、一人でテレビを見ながら夕食とも晩酌ともつかぬ時間を食卓で過ごしていた。
焼酎のお湯割りを2杯くらい飲んでいたのだが、21時半を回ったあたりからテレビの内容が面白くなってきたので、焼酎を片手に食卓から居間のソファーの方に移動して一口飲んでグラスをテーブルに置いた途端にド~~ンと揺れ始めた。
食器棚が倒れ、私が先ほどまで座っていた食卓の上あたりを食器が飛び派手な音をさせて割れた。
ゴ~っというような地鳴りのような音と共に時々ドスンだのガタンだのという音が混じっていた。
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隣の和室ではタンスが全部倒れ、仏壇の上半分が部屋の中央付近に飛び出してきていた。
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その他本棚や机などは皆抽斗が飛び出し部屋中に散らばっていた。
しかし電気は点いていたし、テレビも映っていたし、電話も水道もOKだったのでホッとして割れたガラスや食器類を処分し、次の余震に備えてタンスも中味を引き出して低い状態にし、食器類も段ボールに入れ家電も冷蔵庫以外は全部床の上に並べて置いた。
テレビやパソコンの前にも布団などを置いて倒れても壊れない処置をした。
庭を見ても隣の瓦が落ちているばかりで我が家の屋根瓦が落ちた様子はなかった。
当初の予定ではお産は長男の時と同じように我が家でと考えていたのだが、娘夫婦の状況を考慮して、我が相方が先方に手伝いに行くことに予定を変更していた。
もし当初の予定通りであったなら、仏壇やタンスの下敷きになって確実に誰かが大怪我をしていたことだろう。
小さな子供だったら命まで危なかった筈で、いま考えてもゾッとする。
その日は、余震対応をしているうちに日付が変わり15日になって、後の余震を乗り切ればなんとかなると思いながら2階の部屋で一人寝床についた。
早朝にテレビのニュース番組に電話インタビューで出て欲しい旨の連絡があり、結構元気だった私はOKしたからである。
地震後のインタビューは、する方もされる方もこれが前震で本震が後に控えていることなど毛頭知るよしもなかった。
前震と本震の間の短い休戦期間も揺れは散発していた。
あれは前震の余震と呼べばいいのだろうか。
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