カンチャン狂騒曲

日々の事をあれこれと、大山鳴動してネズミ1匹がコンセプト。趣味さまざまなどを際限なく・・。

ぐうたら農園は廃物利用

2017-04-20 09:01:31 | 家庭菜園
 昨日に引き続いてぐうたら大農場の作業を実施した。

 植え込んだ苗はヒョロヒョロしていて強い日差しや雨などに弱い。

 特に強い雨で根元付近の葉っぱに土が飛び散って付着したり、ひどいときにはなぎ倒されて土に埋もれてしまったりする。

 そこで普通の農家なら雑草の防止や、雨による土の飛散防止を兼ねて黒いビニールなどを使用して畝ごと覆ってしまう。

 そうした便利グッズに抵抗するのがぐうたら農園のぐうたらたる所以であって、つとめて既製品かつ不要品を使用する。

 
 (先日植え付けた作物いろいろ)

 ナス・キュウリ・ピーマン・西瓜などなどの根元に去年までのスダレの廃品をカットして敷いてみた。

 これは自分でも思わず拍手をしそうになったくらい上出来だ。

 植物で出来ている製品なので1シーズンも使うと土に埋め込んでしまう。

 来年は次のスダレが古くなってお役御免になって、再活用されるという按配だ。

 今年はもう一つヨシズの廃品があって、縦横4m四方くらいあるので持ち運びにはすこし往生した。

 これも去年の地震以来車庫の中に放置していたのだが、短くカットして敷物やちょっとした支柱に使える。

 農場までの輸送手段は一輪車である。

 
 (唯一の運搬機械・・一輪車)
  
 この一輪車にスコップや鍬、堆肥等と共に4m以上のヨシズを丸めたものを乗せてヨロヨロと運んだのだが、近所の人に会うたびいちいち説明とも言い訳ともつかぬ会話を必要としたのは言うまでもない。

 これも結局材料が天然の葦だからカットして使った後は自然に戻せば肥料になる。

 お隣が我が家の5分の1くらいの品種を大量に手間を掛けて立派に作るのに対して、我が家は少量だが多品種でかつ手間は5分の1程度と、適当に手を抜くことを主眼としている。

 これで隣から穫れ過ぎた立派な野菜を頂き、お返しには妙ちきりんだが隣にはない野菜を差し上げるというWin・Winの関係が続いている。

 「年を経てベジタリアンに変身す」

 
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ぐうたら農園面目躍如

2017-04-19 09:24:54 | 家庭菜園
 田に力の組み合わせで「男」という字が出来上がっているのが気になる。

 菜園の葉物野菜は、花盛り状態でモンシロチョウが飛び回っている。

 「もうそろそろ処分して、次の作物を植えるために耕して欲しい」と相方が言う。

 隣同士で菜園を作っている近所の旦那は、とても土いじりや作物の手入れそのものが好きで毎日菜園の手入れをしていて、我が家とは差が歴然!

 土を耕すときも、、かなり深く掘り起し土も細かく砕いてNHKの趣味の園芸の畑の様相を呈している。

 すると相方は、「〇〇さんの旦那さんは綺麗に深く念を入れて耕しているよ」と私も知っている事実をやんわり紹介する。

 「この農耕民族め!同じことを同じ時期に右へ倣へばっかりさせやがって!」と私に文句を言われて以来極端な督促の言葉は控えているが、腹の中は「この役立たず!」と思っているに違いない。

 しかし、私がやらなきゃ相方に出来るわけもないので、先日は野菜を引っこ抜いて耕した後に、畝の真ん中付近に溝を掘って埋め込んでしまい、ご丁寧に石灰まで撒いておいた。

 
 (発芽して伸び始めたジャガイモ)
 
 (葉物野菜は全部埋め込んで石灰を撒いた)

 その後、ホームセンターから野菜の苗を買ってきて移植するつもりだったが、雨が降ったり気分が乗らなかったりでそのまま庭の隅に放置していたのだが、流石に昨日和室の床を直す際にホームセンターに合板を買いに行ったとき野菜の苗を数日前にここで買ったことを思い出した。

 そういう訳で、日中の太陽を避けて夕方涼しくなってから植え付け作業を行った。

 去年は、相方がお産の手伝いで不在だったので苗の選定・植え付け場所など独断でスムーズに行えた。

 今年は、うるさ方が在宅なので苗選び・植え付けの場所などについて指示を仰ぐことになる。

 
 
 結局、ナス、ピーマン、きゅうり、ゴーヤ、西瓜、極めつけにカボチャを植えた。

 カボチャは勝手に生えてきたセンダンの木に絡みつくよう根元近くに植えた。

 西瓜は毎年なかなか好成績なのだが、カボチャはまだ一回も成功していない。

 あまりに適当な扱いにカボチャの方が呆れているに違いない。

 「さじ加減 いい加減なら 丁度良い」・・・ってことで。

 
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和室の床のフワフワを直した

2017-04-18 15:41:35 | 日記
 かなり以前から相棒が1F和室の床の間の前付近の畳が歩く度フワフワすると言っていた。

 今朝になって又もや苦情を申し立て、一度畳を捲って床を見てくれと言い始めた。

 面倒くさいので極力聞かない振りをしていたのだが、どうも今日は食い下がってくる。

 以前はカビの匂いがする等と言い出して、畳を全部外して畳床をアルコールで消毒したり、新聞紙を敷いてみたりしたことがある。

 面倒くささの第一の理由は畳がピシッと締まっていて剥がし始めが結構手間が掛かることと、他の荷物などを動かさないと作業が始められないことなのだ。

 噛みついたスッポンのように食い下がってくるし、私も状況は自覚していたので腹を決めて確認してみることにした。

 
 前回のカビだの新聞紙だのの騒ぎは5年前であることが分かった。

 なにしろ使われている新聞は5年前の日付になっている。

 2階の和室とは畳の下の床材が異なっている。

 2階はもっと加工された合板でピシッと床は固定されているが、1階の和室は杉材のカンナもかけてない平板を固定もそこそこに並べた感じで、板と板の間も少しずつ隙間が空いている。

 以前大工さんに訊いてみたことがあって、2階は通常の板張りで良いが、1階の和室は床下の湿度管理等のためこの様な工法が一番自然で良いのだと教えてくれた。

 畳を上げた後の床を歩くと確かにフワフワする部分が2箇所ほどあったので、薄い合板を上から被せて上部からの圧力を分散させてやることにした。

 ホームセンターから182×92センチの合板を買ったのだが、自分の車に乗らないのでホームセンターの軽トラを借りて家まで運んだ。

 合板は規格のままで使うことにしたので、都合3枚の畳を剥がして作業をしたが、結果的にこれが良かった。

 
 段差等がまったく目立たないし、床のフワフワもピタリと止まった。

 多分去年の地震で揺すられたせいだろうと思う。

 この際緩んだ床材も釘を打ち直して強化した。

 着付けボディーのななチャンも定位置に戻って来た。
 
 次に同じような事象が再び起きたら今回を参考にして対応しようと思っている。

 
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映画は観てるとき、読書は読んでるとき

2017-04-17 09:27:52 | 本と雑誌
 「1000年後に生き残る青春小説講座」という本を先日読んだが、その中で6000万部以上を売り上げ今なお年間50万部以上が売れている、J・Dサリンジャーのキャッチャー・イン・ザ・ライ」を生き残り候補に挙げていた。

 以前村上春樹の訳したものを読んだことがあった。

 ただ随分以前のことで、・・・ライ麦畑で遊んでいて誤って崖から落ちたりしないように僕はは子供達を守るのだ・・・などという言葉だけを覚えていた。

 読後感の記録には星を5つもつけているから、かなり感銘を受けている筈なのに本の題になっている言葉だけしか思い出せないという体たらくだ。

 再度図書館から借りることにして、ついでに他の本も借りてきた。

 
 「キャッチャー・イン・ザ・ライ」J・Dサリンジャー(著)村上春樹(訳)2003.4白水社(刊)
 「人生のちょっとした煩い」グレイス・ペイリー(著)村上春樹(訳)2005.6文藝春秋(刊)

 たまたま訳者が同じである本を選んだのは偶然だった。

 「ライ麦畑・・」の方は僕が君へ語る長い少年の頃の物語で、エデンの東にちょっと似た感じもする。

 言葉に敏感に反応しグッド・ラックには拒否反応を示す少年だ。

 題の由来のライ麦畑で・・は、スコットランド民謡として有名で、日本では「故郷の空」という歌でお馴染みと知った。

 確かにやるせない少年から青年期への心の動きは、おそらく沢山の人達が共感し、そして読み継がれて行き永遠のベストセラーになり得る一冊だろう。

 「人生のちょっとした煩い」は15の短編からなっているが、この表題は短編の作品としては無い。

 6編目の「人生の関心」のなかにちょこっと出てくる、・・・つまり「人生のちょっとした煩い」みたいなものでしかない。という文章から立ち上がってきたものだろう。

 とても会話の多い作品ばかりで、スピード感のある文章がとても面白い。

 現実に生き、思い出にも生き、空想や夢でも生きることの出来る強い女性が主人公のものが多い。

 「グッド・ラック」と最後に言い切る場面があって「ライ麦畑」との違いが如実である。

 訳者が同じなので、多分意識したのではないかと思う。


 「いのちのことば」柳澤桂子(著)2006.12集英社(刊)

 上記の2冊が僕が君へ語る物語、或いは私が語る物語として構成されているのに対して、この本は「いのちのことば」として直接読者に語りかけている。

 「病」「家族」「いのち」「心」「老い」に章分けされていて、詩のようでありエッセーのようでもある。

 文末が「です。ます」調と「である・ではない」調のものが混用されていて、見開きの左右のページで異なる用法が多く見られ、読んでいて違和感が生じた。

 多分たくさんの書籍や出版物などに掲載されたものから抽出して再構成して1冊にまとめたためだと思われる。

 上記2冊を読んだ後だったのが違和感を覚えた原因かもしれないが・・・。

 考えてみれば読書は読んでいるときが勝負であって、後でいくら覚えているかなど考える方が間違っているのだろう。

 唯でさえ記憶力の衰えを嘆いている私としては尚更のこと。

 
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熊本地震復興支援マッチでロアッソを応援に行った

2017-04-16 22:59:50 | 熊本地震
 震災から丁度一年が経過して、今日は「えがお健康スタジアム」で「熊本地震復興支援マッチ」が行われた。

 対戦相手は強豪の松本山雅FCである。

 イベントとしてOBの紅白戦もあるので、いつもより30分早く入場できるようになっていた。
 スタジアムグルメも沢山の人出で賑わっていた。

 特設のステージではいろいろな出し物がある中で「山鹿灯籠踊り」が人目を引いていた。

 

 頭に紙製の灯籠を乗せて踊るもので、灯籠祭では千人踊りが有名である。

 もともと夜に踊るので灯籠のなかには灯りが点って踊りの輪がゆらゆらと揺れる様はとても幻想的なのだ。

 そして今日のホームゲームから1年ぶりにバックスタンドも使用が可能になった。

 
 大勢の観客が訪れて久しぶりのバックスタンドに活気が蘇った。

 前節まで使用禁止の状態が続いていて、スタンドの半分が無人という妙な雰囲気のスタジアムだったのだが、流石に今日は盛り上がり方が違った。

 13990人の入場者というのも、やはりバックスタンドあってのことだろう。

 試合は前半と後半のそれぞれ理想的な時間帯でゴールし2:0で久々に勝利した。

 
 先制点をとって勢いに乗り、後半も中盤を過ぎて点が欲しい頃に加点して理想的な試合運びだった。

 ピンチもあったが、同じくらいのチャンスもあった。

 最後まで全員プレーに徹し、0で押さえて貴重な勝ち点3をものにした。

 
 最後は恒例の勝利のダンス「カモン!ロッソ」で盛り上がった。

 やっぱり勝負事っていうのは、勝てば喜びもひとしおで勝ってこそ明日への希望が湧こうってもんで・・・。

 しばし、応援に行って逆にロアッソに力を貰ったような気分になった。

 おまけに、益城町からの応援だということで「ロアッソのタオルマフラー」をプレゼントされた。

 とても楽しい半日だった。

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熊本地震から一年に思うこと

2017-04-15 13:23:38 | 熊本地震
 4月16日は一年前に熊本で二度目の震度7が発生した日である。

 本震より強い揺れの余震もあるまいと思っていたら、今度のが本震で前回の震度7は前震だったという前代未聞の発表があって、妙に感心したり首を捻ったりしたものだった。

 16日といっても、深夜の1時25分だから14日の地震に引き続く二日連夜の地震というイメージが強烈である。

 「よく逃げずに家で寝ていられましたね」と後で人に言われるが、二階の部屋で仰向けに寝たまま寝具ごとドンドンと縦に突き上げられ、しかも延々と続くので起き上がる事も出来なかったのだ。

 幸い家具などは余震対策で、全部床に平面展開していたので物が倒れる音などはしなかった。

 いろいろあって、取り敢えず自宅で生活できるようになったのは水道が完成した33日後だった。

 先日、「川柳句集 熊本地震の記憶」という熊本県川柳協会編纂の句集を頂いた。

 
 「噴煙吟社」という川柳の同人になっており、吟社が熊本県川柳協会の構成員になっているという繋がりである。

 あの地震からそれ以降の日々を、新聞あるいは同人誌などに発表されたものを集約編集したもののようだ。

 地震当日から数日後の句などを見ると、遭遇した場所あるいは経過した日数によって句の内容が随分違うなと感じる。

 例えば数日後に「熊本城」をみて詠んだ句がかなりあったが、多分益城町では上を見上げる、ましてや熊本城を見上げたり思いを致す等ということは思いつきもしなかった筈だ。

 みんな下を、足元を見ながらトボトボと歩いていた。

 避難所や車中泊から水やパンなどを求めて一日数往復していたのだから・・・。

 この句集には私の作品も6句が掲載されている。

 すべて地震からかなり経過して投句したもので、直後のものは内容が激しすぎてまったく採用されなかった。

 落ち着きを取り戻し、心の内を一般化して表現できるようになって初めて掲載されるようになった。

 どんなに言いたい事があっても、人に伝わる表現法を用いないと駄目だということなのだ。

 でも、もの凄い駄作なのだが、あの頃の心境を忘れないようにノートにはキッチリ記録して肝に銘じている。

 一年が経過して、まったく使われなかった町民グラウンドに野球の練習をする子供達の声が響いていた。

 
 ナイター施設が全部倒壊し、荒れ放題だったグラウンドが、一角だけ整備されて使用可能になっていた。

 なんの励ましの言葉より、この子供達の元気な声が一番の励みになることを今回は特に痛感した。

 何処を復興のスタートラインとするのか知らないが、倒壊家屋を更地にしてそこからの再建をもってスタートとするならまだまだスタートラインに立っていない人ばかりだ。

 都市マラソンなどで、何万人と走るランナーの殆どはスタートの合図があっても、足踏みするだけで当分前には進めない事態を体験する。

 その足踏みさえ出来ない人が大部分なのが現況である。

 
 更地の真ん中に傾いた地蔵堂が建っている。

 益城町教育委員会が定めた「益城三十三箇所めぐり」の一つにもなっている。

 見るだけで誰も手を付けられない、不思議な空間である。

 守ってきた地域の人達の大多数が仮設やみなし仮設に移転して生活している。

 流れる時間、被害状況・程度、そして置かれた立場で句集の「句の内容・表現」も変わるし、再建の槌音の響き具合も異なっていくのだろう。

 もう1年も経ってしまったのか、まだ1年しか経っていないのか私には分からない。

 「もうとまだ人それぞれの震災後」

 
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前震・・不思議な呼び名の地震のあった日

2017-04-14 15:36:34 | 熊本地震
 4月14日は一年前に一回目の震度7の地震が発生した日である。

 4月12日に娘夫婦の次男が誕生したので、様子を見に行って13日の夕方に熊本の自宅に一人で帰った。

 翌日の14日は公民館活動で、謡曲の練習があって参加するためである。

 13日のブログには「頑張れブラザーズ」などと、ノンビリした記事を書いているし、地震のあった日も電線の鳥避けの話などどうでもいい話ばかりが続いている。

 つまり、この世は事もなし・・・で終わる予定だったのだ。

頑張れブラザーズ
 娘に次男が誕生し、今日は退院予定日だというので筑紫野まで出かけた。 悪戦苦闘が予想される配偶者の陣中見舞いも兼ねているが、私的には長男の様子が気になっていた。 赤ん坊を抱......

 4月14日の夜は、一人でテレビを見ながら夕食とも晩酌ともつかぬ時間を食卓で過ごしていた。

 焼酎のお湯割りを2杯くらい飲んでいたのだが、21時半を回ったあたりからテレビの内容が面白くなってきたので、焼酎を片手に食卓から居間のソファーの方に移動して一口飲んでグラスをテーブルに置いた途端にド~~ンと揺れ始めた。

 食器棚が倒れ、私が先ほどまで座っていた食卓の上あたりを食器が飛び派手な音をさせて割れた。

 ゴ~っというような地鳴りのような音と共に時々ドスンだのガタンだのという音が混じっていた。

 
 隣の和室ではタンスが全部倒れ、仏壇の上半分が部屋の中央付近に飛び出してきていた。

 
 その他本棚や机などは皆抽斗が飛び出し部屋中に散らばっていた。

 しかし電気は点いていたし、テレビも映っていたし、電話も水道もOKだったのでホッとして割れたガラスや食器類を処分し、次の余震に備えてタンスも中味を引き出して低い状態にし、食器類も段ボールに入れ家電も冷蔵庫以外は全部床の上に並べて置いた。

 テレビやパソコンの前にも布団などを置いて倒れても壊れない処置をした。

 庭を見ても隣の瓦が落ちているばかりで我が家の屋根瓦が落ちた様子はなかった。

 当初の予定ではお産は長男の時と同じように我が家でと考えていたのだが、娘夫婦の状況を考慮して、我が相方が先方に手伝いに行くことに予定を変更していた。

 もし当初の予定通りであったなら、仏壇やタンスの下敷きになって確実に誰かが大怪我をしていたことだろう。

 小さな子供だったら命まで危なかった筈で、いま考えてもゾッとする。

 その日は、余震対応をしているうちに日付が変わり15日になって、後の余震を乗り切ればなんとかなると思いながら2階の部屋で一人寝床についた。

 早朝にテレビのニュース番組に電話インタビューで出て欲しい旨の連絡があり、結構元気だった私はOKしたからである。

 地震後のインタビューは、する方もされる方もこれが前震で本震が後に控えていることなど毛頭知るよしもなかった。

 前震と本震の間の短い休戦期間も揺れは散発していた。

 あれは前震の余震と呼べばいいのだろうか。

 
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あれから1年、花は咲く(2)

2017-04-13 11:06:49 | 熊本地震
  強風と雨が通過した翌日、相方と秋津川の川岸に花見に出かけた。

 3年前は私が腰痛で、相方が写真だけ写しに行って披露してくれた。

 2年前は相方が腰痛で私が写した写真で様子を知らせた。

 そして去年は娘のお産があったりして、二人で眺める桜は実に4年ぶりだった。
 (強風で根元から倒れた満開の桜)
 沢山ある桜の中で1本だけ根元からなぎ倒されていた。

 根の本数も少なく長さも張りもイマイチで、多分川岸の水辺にあまりに近すぎて、根を伸ばす必要のない生育環境が仇になったのではないだろうか。

 比較的花びらの残っている桜の下で弁当を開いた。

 暫くすると地震から1年ということで取材をしているというテレビ局の二人がやってきた。

 特に断る理由もなかったので取材を受けた。

 
 「地震のあと1年たって初めての花見になると思うが、今のお気持ちを聞かせて欲しい」というのが主たる内容であった。

 「厳しい災害の後でも季節が来ればちゃんと花は咲く、当たり前の話なのだが当たり前でない生活が日常になっている身には今年の桜は特別感慨深いものがある。」

 「例年はもっと大勢の人が桜の下で大騒ぎしたものだが、今年は人も少なく静かだ」、みたいなことを喋った。

 口元のマイク、目の前のカメラ、捉えどころのない「今のお気持ちは?」という何度も繰り返される質問にやや引き気味。

 
 目の前の小川では、アヒルが流れの緩い岸辺を一列になって同じ動作を繰り返していた。

 水の中に半身を潜らせて、尻だけをぴょこんと水面に出した姿勢はとてもユーモラス。

 花を見に来たのか、アヒルを見に来たのか、取材を受けに来たのか不思議な一時だった。

 空にはヘリが飛び回る日が多くなった。

 去年の今日は、お産をした娘夫婦の家に相方を残し、私が一人だけ家に帰り着いて最期にブログを更新した日である。

 「花びらを集めて海へ櫻川」

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あれから1年、転げた鉢の花が咲く

2017-04-12 10:19:49 | 熊本地震
 熊本地震からもうすぐ一年になろうとしているが、我が家の花木も被害を受けながらちゃんと咲き始めた。

 
 (クンシラン)
 玄関の靴箱の上に鎮座していたのだが、前震で転げ落ち、本震で靴箱と共に再度転げ落ちてしまった。

 葉っぱは殆ど折れてしまって駄目かと思いながら鉢に植え替えて水やりをしていたら回復した。

 しかも花まで咲かせようというのだからなかなかサービス精神は旺盛である。

 
 (ツツジ)
 隣との境界ブロックの北側に一列に植え込んでいたのだが、ブロックや瓦礫の下敷きになったまま数日間を過ごした。

 ボランティアの助けを借りて、庭の瓦礫やブロックの撤去をしたときは根っこの辺りから折れ曲がった状態で瀕死の重傷だった。

 しかし、折れ残った枝などを真っ直ぐ伸ばして手当をしているうちに上を向いて枝が伸び始め一年経ったらそれなりに復活して花まで咲かせてくれた。

 塀が無くなってガランとしているが、隣家の再建のため働いている工事の人達の目を楽しませている。

 
 (フリージア)
 フリージアも咲いている最中に瓦礫に埋まってしまい殆ど全滅したのだが、幾つかが生き残り芽を出し花を咲かせている。

 香りが漂ってとても好きな花の一つである。

 その他にも色々な季節の花が咲き始めてはいるが、この3種類については完全に震災にやられた後に奇跡の復活を遂げてくれた花として特別な感慨を覚える。

 「震災で転げた鉢の花が咲く」

 
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あれから1年、ましき点描(3)

2017-04-11 11:19:37 | 熊本地震
 開花時期が遅れたために益城町のサクラは今が満開の状態にある。

 さて、夕べの台風並みの風と雨でどうなっているだろうか。

 週末は天気が比較的良かったので、秋津川河川公園の桜の下で弁当を広げる家族連れも多かった。

 
 例年だともっと賑やかなのだが、団体の花見などが行われていないので子供達の元気な声が時々聞こえる程度の静かな花見風景で、ある意味こちらがずっと健全な花見ともいえる。

 
 目を横に転じると桜の枝の間から、休日で動きを止めた解体のための重機が見えたりする。

 花見も解体もどちらも現実なのだ。

 
 一つ下流に架かる橋の上から下流を眺めると満開の桜並木が続いているが人影は見えない。

 応急堤防にされている大型土嚢が、両岸にズラリと並び人の出入りが出来ないからである。

 元気なアヒルの一団が、上流に向かって一列になって泳ぎ大勢のカメラマンの前で愛嬌を振りまいていた。

 今年の桜の花を見ながら、来年のこの辺一帯の花見の様子を思い描いてみる。

 うるさい花見の席ではあるが、無ければ寂しい気もするから勝手なものである。

 さて、例年が戻るのはいつになるだろうか。

 
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