ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

イチロー引退

2019-03-23 19:31:24 | スポーツ
ついにこの日が来てしまいました。3月21日、イチローは引退を表明しました。寂しさはありますが、仕方ないですね。オープン戦で全く結果を残せませんでしたから。

東京ドームでの開幕シリーズ。シアトル・マリナーズのイチローは変わらぬ体型、打席内での雰囲気を保ったまま日本に帰ってきてくれました。ノーヒットで終わったのは残念でしたが仕方ありません。全盛期の脚力ならば、内野安打になりそうな打球もありましたが判定は冷徹にアウト。世界一ヒットを打ってきた選手が、最後は一本のヒットの難しさを表現したと言えるかもしれません。スタンドは超満員。「人寄せパンダ」という人もいるでしょう。ただ、プロ入りして約1万日。そのうちの2日くらい彼に至福の時を与えてあげてもいいのではないでしょうか。

僕の記憶でイチロー選手のホームランを最初に見たのは1992年、ルーキーイヤーのジュニアオールスター。まだその時はいわゆる振り子打法でもなく、本名の鈴木一朗でプレーしていました。イチローが誕生したのは3年目の1994年。恩師、仰木彬監督が命名しました。そして一躍大ブレーク。イチロー流にいえば一気に番付を上げました。もし仰木監督との出会いがなかったら、土井監督のままだったら今のイチローは存在していなかったでしょう。誰に出会うかで運命は変わりますね。この頃、競馬の武豊、将棋の羽生善治とともに平成に出現した若き勝負師の代表格として扱われることが多かったのをよく覚えています。

2001年にメジャーリーグに渡り、安打数にまつわる数々の記録を打ち立てました。そして2011年の38歳のシーズンに初めて3割を下回ります。彼はこの時「衰えと思われるのが悲しい」との言葉を残しました。しかし、これ以降3割には一度も復帰できずに引退の日を迎えました。いまだに衰えを認めないイチローの反骨心の凄さは常人には想像のつかないものがあります。変わらないグラウンドでの動作、雰囲気。

では何が衰えたのか?それは動体視力を含めた反応力や感覚でしょう。今だって、練習では軽々とスタンドに放り込む。パワーは鍛え方次第では衰えにくいですからね。しかし、反応力や感覚はどうにもならない。イチロー選手の場合、ボールの真芯か上半分をミートすることで高打率を保ってきましたが、バットが思ったところに出なくなり、ボールの下半分を叩いたり、思ったより差し込まれてしまったりというケースが増えていったものと推測します。

話は変わりますが、昨今ドラマなどで俳優以外のタレントを起用するケースが増えています。僕が見た中で俳優以外で一番演技が上手かったのは他でもないイチローです。「古畑任三郎」で本人役で出演した時の演技は役者顔負けでした。この時に僕は思いました。「鈴木一朗はイチローを演じているのだ」と。

「好きな野球漫画はキャプテン」「余力を残して3割打つ人よりも、力を出し切って2割8分の人のほうが好き」。そして引退会見で愛犬の一弓について「老犬でもうフラフラなんですが、懸命に生きようとする姿には心を打たれるものがある」。これらはイチローではなく、鈴木一朗が人としてどこに重きを置いているかをよく表しているら言葉だと思います。

今日から春の選抜高校野球が始まりました。全員21世紀生まれだそうです。貴方は第二次ベビーブーム世代の星でした。イチローさん、お疲れさまでした。
コメント
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