ざっくばらん(パニックびとのつぶやき)

詩・将棋・病気・芸能・スポーツ・社会・短編小説などいろいろ気まぐれに。2009年「僕とパニック障害の20年戦争出版」

雫井脩介「クローズド・ノート」

2019-06-15 19:32:03 | 
自分の記憶を頼りにすれば、主人公の堀井香恵が石飛という青年を見かけたのは、彼が折り畳み式の自転車に跨り、香恵の自宅マンションをじっと眺めていた所でした。この時すでに香恵は石飛に好感を抱いていたように思います。一目惚れに近い感情ですかね。

そしてお互いが初めて顔を合わせたのは文具店。香恵はそこでアルバイトをしていたから、従業員と客としてでした。万年筆の売り場を任されていた香恵はすでに自宅マンションで見かけたことを忘れ、初対面の客として認識していました。その後、何度も石飛が客として訪れているうちに、彼が美術関係の仕事をしていることを知ります。石飛も香恵に次第に信頼を置くようになっていきましたが、香恵のような恋愛的な感情は抱いていなかった気がします。香恵も恋心といっても、それは淡いものだったように感じました。

2人の距離が急に縮まったのは、香恵が自宅マンションから自転車に跨る石飛を見つけ、呼び止めた場面です。石飛からは意外な言葉が。「香恵ちゃん、その部屋見せてくれないかなあ」。一度はあいまいな返事をしたため、石飛は謝り立ち去ろうとしたが、香恵が呼び止め石飛は部屋に入った。彼女は音楽サークルでマンドリンという楽器を演奏していました。石飛がそれを見つけ、彼女はロシア民謡の「ともしび」を披露します。それを聴いた石飛は涙しました。このあたりで、物語の先はある程度読めるのですが、僕は逆に読みたい気持ちが強くなりました。

物語のもう一つの軸は、香恵がこのマンションに引っ越してきた時に、前の住人が忘れていったのであろうノートです。香恵もしばらくは遠慮していたのですが、いつしか読み始めます。真野伊吹という小学校の若い女性教師が書き綴ったものでした。香恵はほどなく生徒に真摯に向き合う伊吹先生のファンになっていきます。また伊吹先生の隆という男性への恋心も我がことのように関心を持ちます。そして伊吹先生に会いたいという気持ちを抑えきれず行動に出るのですが。

スピッツの「夢追い虫」ではないけれど、僕は香恵という特別美人ではなく、魔法も使えない等身大の女子大生でありながら、真面目に行動しても笑われてしまうようなキャラクターの彼女に、不思議な魅力を感じました。作者の雫井さんのなせる業なのかもしれません。石飛というどこか寂しげな青年もいい。そして雫井さんの実話もこの小説の芯の部分に深く関わっています。最後の方は読み終えてしまうのが惜しい気持ちになりました。マンドリン、万年筆。物語そのものも良かったけれど、小説に流れる世界観が僕はすごく好きでした。

コメント
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