二月九日(月)曇り。
折角、今日の分を書いてアップしようと思ったら、全て消えてしまった。あーあ嫌になる。萎えちゃうナァー。
綜合地所の新規採用取り消しは愛情の表現、と大分長く書いたのに、もうやめた。
社友の松本君とその友人が来訪したことも書いたのに、二度は書かない。
とりあえず、今日は、もう書かない。頭にきた。やはり長く書いた時には、ワードで保存しておくべきなのか、参った、参った。
二月九日(月)曇り。
折角、今日の分を書いてアップしようと思ったら、全て消えてしまった。あーあ嫌になる。萎えちゃうナァー。
綜合地所の新規採用取り消しは愛情の表現、と大分長く書いたのに、もうやめた。
社友の松本君とその友人が来訪したことも書いたのに、二度は書かない。
とりあえず、今日は、もう書かない。頭にきた。やはり長く書いた時には、ワードで保存しておくべきなのか、参った、参った。
二月八日(日)晴れ。
八時に起きてすぐ朝食。産経新聞に「週刊新潮」の例の記事に関することが出ていたが、まあ産経にしてみれば高みの見物、というところか。知り合いの産経の記者氏に電話したところ、「今回の『新潮』の特集は、まだ『新潮45』で小説風に掲載されるのならともかく、どこの週刊誌や新聞でも相手にしないものを、取り上げて、『週刊新潮』を潰す気なのか。と社内でも冷ややか、と言うよりも笑い話となっている」と話していた。
朝食の後は、出かけるまで机に向かい、「大吼」の記事作り。十一時半に愚妻に送ってもらい保土ヶ谷へ。今日は、午後三時より、茨城県の結城郡にある会場で、日頃からお世話になっている国民協議会の新年会が開催される。
十一時五十分の横須賀線で品川へ。品川から山手線で秋葉原。ここで「つくばエキスプレス」に乗り換えて、「守谷」という駅へ。そこから常総線で「下妻」まで行った。着いたのは二時六分。お陰様で持って行った本を半分ほど読めた。それでも、「守谷」からの常総線に乗った時はチヨット不安になった。というのも、事前に会場に問い合わせしたときは、駅からタクシーで十五分程度と聞いていたので、安心していたのだが、途中の駅を見ると、タクシーどころか、駅に人の気配も無い。周りは、田んぼや畑が延々と続いている。暖かいのでついウトウトしてしまって、目を開けたら、前に座っていた若いカップルが私を見て笑っていた。歳のせいか、きっとだらしのない寝方をしていたのに違いない。知らぬふりをして、車窓に目をやれば、まだ田畑が続いていた。
果たしてタクシーはいるのかと、不安にかられて駅を出てみると、良かった、客待ちのタクシーがいた。早速乗って会場へ。途中、春霞かと思えば、風が強いために土ぼこりが舞っていた。十五分ほどで会場着。諸先輩にご挨拶してテーブルに着く。長谷川光良、小林宗雪の社友と同席。私は「鏡開き」を仰せつかって壇上へ。様々なアトラクションの後に、五時に閉会。
帰りは、幸いに長谷川光良氏のBMWに同乗させて貰い横浜へ。三郷を過ぎたあたりで、社友で、炉端焼「花笠」を経営している尼野保君から連絡があり、私が以前、機関誌に掲載した「忘れ得ぬ人々・陸上部の先輩Y君」のお墓参りに、親しい人たちを誘って行った帰りに「やまと」で飲んでいるので来て下さい。と連絡が入ったが、私が横浜に着くまでに、すでに皆さんベロベロ状態とのことで、ではまた。ということになった。
横浜に着いた後は、家族と合流して、下町の中華「上海軒」にて夕食。