白雲去来

蜷川正大の日々是口実

飲んだら寝るな、寝るなら飲むな。

2009-02-17 16:43:37 | インポート

二月十六日(月)晴れ。

 いやはや起きたら目がショボショボして、くしゃみを連発。とうとうこの季節がやってきたか。それまでは花粉症など大丈夫と思っていたのに、三年前から、突然、この症状が出るようになった。これだけ多くの人が苦しんでいるのに、杉の花?を切ってしまうとか、何か対策がないのか。

  テレビで、中川財務相のG7での会見を見て、あららら。やっちゃった。この人、以前から「アル中」の噂が絶えなかった。どう見たって風邪薬で眠くなった表情ではない。私のような呑んベェが見ればすぐに分かる。好きなものを止めろとは言わないが、場所をわきまえない。 

 傍には秘書やスタッフがいたんだろうから、会議の全てが終了するまで、酒を飲まさないとか、しなきゃだめだね。こいつらも同罪。

 「チョイト一杯のつもりで飲んで、何時のまにやらハシゴ酒。気がつきゃ会議の席でごろ寝。コレじゃ国民に良いわけないね。分かっちゃいるけど、止められネェー。」結局、酒止めるか、大臣辞めるかで、大臣辞めちゃった。スイスイスーダラッタ、スラスラスイスイスイと早く地元に帰りなさい。選挙危ないらしいから。

 相変わらず、例の「新潮」の件で、マスコミ各社からの取材が続いている。まあ、今週発売の記事を見てからと言うことにしましょう。

 夜は、横浜の先輩、元ナポレオン党(知っているかナァー)の小金丸峰男氏、石井の則ちゃんや、社友の古谷喜久男、成田功の両氏らと待ち合わせでサリーの店へ。何でも、秋に、六十年、七十年代のヨコハマをテーマに、その時代に青春を謳歌した人たちを集めて、イベントをやりたい、とのことだった。早い話が、「ヨコハマ・グラフティー」。もちろん私で良ければ、ご協力をさせて頂くことを申し上げて、古谷、成田の両氏と狭斜の巷へ。

 夕食をとっていなかったので、久し振りに、悦ちゃんママの手料理が美味しい「うさぎや」へ行った。何と、「甕雫」があるではないか。早速、キープした。その後、一軒転戦して帰宅。

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マスコミの良識とは。

2009-02-17 12:57:45 | インポート

二月十五日(日)曇り。

 昨日、たいした量を飲んでいないのに、めずらしく二日酔い気味である。朝食後は、テレビを見ながら、ついウトウトしてしまった。

 時計は一時を廻っていたので、慌てて先日、ご馳走になった方達や、様々なお礼の手紙を七通書いた。すぐに書けば良いのに、つい、後回しにしてしまう。気をつけなければ・・・。でも、手紙を書くというのもかなり体力が要るものだ。たかが手紙と言うなかれ。。

 「実話ナックルズ」に、昨年末に東京拘置所で亡くなられた、元警視庁警部の死刑囚、澤地和夫さんのことを書かせて頂いた。私と、澤地さんとの往復書簡に関して所感を述べたものだが、澤地さんたちの事件については、彩流社から澤地さんが本を上梓しているので、興味のある方は、是非読んで頂たい。

 久し振りに事務所の書棚から、澤地さんの本「殺意の時ー元警察官・死刑囚の告白」を持ってきて、再読してみた。私は、本を読み終えると、最後の頁の余白に、読了した日付を書いておく習慣があって何時どこで読んだかが大体分かる。その澤地さんの本には、「S63、2、6(土)網」とあるから、昭和六十三年の二月に網走の独房で読んだものだ。

 澤地さんたちの事件、すなわち二件の殺人の凄惨な様子がリアルに描かれていて、恐ろしくなる。元同僚が借金の保証人となり、家を手放さなければならなかったり、取立てで苦しむことに責任を感じて、殺人事件を、ほとんど無計画に引き起こすのだが、元警察官だけあって、調書を読むような感じである。
 

  その本の「あとがき」の中に興味深い文章があった。それは、現在「週刊・新潮」が連載している例の「赤報隊事件」に関してのこと。当時、新聞協会が出した声明に対して澤地氏が、次のような感想を書いている。
 

 「本年(注・昭和六十二年)五月九日に、新聞協会は「朝日新聞記者殺傷事件」で声明を発表した。その中で、「われわれ言論、報道機関は、事実を報道し、その信ずるところを主張する自由をもつ」という箇所がある。(中略)だが、昨今の犯罪報道は余りにも商業主義に走りすぎ、嘘報、誤報もいとわないとするマスコミ全体の体質に問題はないだろうか」と、指摘している。事実、澤地氏の事件後、数社が「澤地第三の犯行を自供、被害者は目黒の山田さん」と報道したそうだ。それ以来、澤地さんは何度か「連続三人殺し」の犯人とされ、公判における情状証人の件で弁護士が大変苦労した、と書いている。
 「その後、日本の五大新聞の一社が、私の公判がはじまって以来一年以上経過しているにもかかわらず依然として「連続三人殺しの澤地」と報道していてたので、私は獄中からその新聞社に抗議した。回答は、新聞監査委員長名で「記者が勘違いしていた、申し訳ない」であった。つまり、私の一例を見てもわかるとおり、誤報であれ、嘘報であれ、いったん記事になってしまえば、もうどうにもならないのが現実である」と、自らの体験をふまえて告発している。

  賢明な、諸兄には、私が何が言いたいのか、お分かりの事と思う。「新潮」の連載もそうだ。犯人が誰かどうかなど、私にはどうでも良いが、ただ野村先生に関することは、澤地氏も指摘するように「誤報であれ、嘘報であれ、いったん記事になってしまえば、もうどうにもならないのが現実である」。新潮社の姿勢を注視したい。

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