七時に起床。朝食を済ませてから新横浜駅へ。今日は、昭和七年の五・一五事件から七十七年の記念日、三上卓先生の門下生である花房東洋先輩の肝いりで、岐阜の護国神社にて「大夢祭」(注・「大夢」と「大悲」は三上先生の号)と「青年日本の歌・関係資料奉納式典」が行われる。九時半に、木村三浩代表と新横浜駅にて待ち合わせて、一路岐阜へ。
正午少し前に、岐阜駅着。ホテルに荷物を預けて、蕎麦の老舗「吉照庵」へ。昼食を兼ねて、早々と、蕎麦屋で一杯。一時、護国神社へ。頭山興助先生や伊藤好雄先輩、針谷大輔義勇軍議長や奥田親宗氏、大日本赤誠会の長谷川裕行氏などにご挨拶。一時半に本殿にて「大夢祭」を行った。終了後、花房先輩が奉納した三上卓先生が書かれた「青年日本の歌」の歌碑の前で、記念撮影。
その後、隣接している「せいらん会館」にて直会。この「せいらん会館」は、野村先生が「経団連事件にて復帰なされた直後に、お供で訪れたことがある。夜、風に乗って支那そばの笛の音が聞こえてきたので、先生が、「蜷川買って来い」と言うので、外に出たら、何と、長良川の向こう岸に、その笛の音のソバ屋はいたのである。先生は、自分の事を棚に上げて「お前は、そそっかしいねぇー」と呵呵大笑。その頃と、建物は変わっているが、思い出は色褪せない。
全員で「昭和維新の歌」を斉唱して解散。ここ岐阜の護国神社には胡蘭成先生の「大八洲」の文字が刻まれた大石がある。
胡蘭成(こ らんせい、1906年(光緒32年)2月28日 - 1981年7月25日)は、中国の作家・思想家。中国の浙江省に生まれる。燕京大学を国民革命軍の北伐中に中退後、やがて政治に関わり、汪兆銘政府法制局長官に就くも、汪と意見の対立あって辞職。ジャーナリストとして漢口大楚報社長をつとめた。中国の著名な小説家、張愛玲と1944年に結婚するも1947年に離婚し、1950年に日本に政治亡命。上海黒社会の大物呉四宝の未亡人であった余愛珍と再婚した。一時期、台湾の中国文化学院(現在の中国文化大学)で教えて台湾の文壇にも影響を与え、同大学から永世教授の称号を受けたが、1976年に台湾からも追われる。日本では筑波山に居を構え、数学者の岡潔や物理学者の湯川秀樹、日本浪漫派の保田與重郎、川端康成等々と親交を結んだとされる。1981年、東京で永眠。(Wikipedia)より抜粋。
その後、「大夢館」に移動して、二次会。大好きな「黒霧島」があった。一時間ぐらいでお暇して、柳ケ瀬の料理屋へ。朝が早かったのと、昼間からの酒で、もう限界。木村代表や山平重樹、細川嘉彦の両氏にご挨拶をして、ホテルに戻って、すぐにベッドに入った。