白雲去来

蜷川正大の日々是口実

五・一五事件から七十七年。岐阜護国神社へ。

2009-05-16 23:34:35 | インポート

五月十五日(金)晴れ。岐阜へ。

 七時に起床。朝食を済ませてから新横浜駅へ。今日は、昭和七年の五・一五事件から七十七年の記念日、三上卓先生の門下生である花房東洋先輩の肝いりで、岐阜の護国神社にて「大夢祭」(注・「大夢」と「大悲」は三上先生の号)と「青年日本の歌・関係資料奉納式典」が行われる。九時半に、木村三浩代表と新横浜駅にて待ち合わせて、一路岐阜へ。

Cimg6194_2木村三浩代表。

 正午少し前に、岐阜駅着。ホテルに荷物を預けて、蕎麦の老舗「吉照庵」へ。昼食を兼ねて、早々と、蕎麦屋で一杯。一時、護国神社へ。頭山興助先生や伊藤好雄先輩、針谷大輔義勇軍議長や奥田親宗氏、大日本赤誠会の長谷川裕行氏などにご挨拶。一時半に本殿にて「大夢祭」を行った。終了後、花房先輩が奉納した三上卓先生が書かれた「青年日本の歌」の歌碑の前で、記念撮影。

Cimg6199 頭山先生を囲んで。

Cimg6214 青年日本の歌の歌碑の前で。

 その後、隣接している「せいらん会館」にて直会。この「せいらん会館」は、野村先生が「経団連事件にて復帰なされた直後に、お供で訪れたことがある。夜、風に乗って支那そばの笛の音が聞こえてきたので、先生が、「蜷川買って来い」と言うので、外に出たら、何と、長良川の向こう岸に、その笛の音のソバ屋はいたのである。先生は、自分の事を棚に上げて「お前は、そそっかしいねぇー」と呵呵大笑。その頃と、建物は変わっているが、思い出は色褪せない。

 全員で「昭和維新の歌」を斉唱して解散。ここ岐阜の護国神社には胡蘭成先生の「大八洲」の文字が刻まれた大石がある。

Cimg6206  

胡蘭成(こ らんせい、1906年(光緒32年)2月28日 - 1981年7月25日)は、中国の作家・思想家。中国の浙江省に生まれる。燕京大学を国民革命軍の北伐中に中退後、やがて政治に関わり、汪兆銘政府法制局長官に就くも、汪と意見の対立あって辞職。ジャーナリストとして漢口大楚報社長をつとめた。中国の著名な小説家、張愛玲と1944年に結婚するも1947年に離婚し、1950年に日本に政治亡命。上海黒社会の大物呉四宝の未亡人であった余愛珍と再婚した。一時期、台湾の中国文化学院(現在の中国文化大学)で教えて台湾の文壇にも影響を与え、同大学から永世教授の称号を受けたが、1976年に台湾からも追われる。日本では筑波山に居を構え、数学者の岡潔や物理学者の湯川秀樹、日本浪漫派の保田與重郎、川端康成等々と親交を結んだとされる。1981年、東京で永眠。(Wikipedia)より抜粋。

 その後、「大夢館」に移動して、二次会。大好きな「黒霧島」があった。一時間ぐらいでお暇して、柳ケ瀬の料理屋へ。朝が早かったのと、昼間からの酒で、もう限界。木村代表や山平重樹、細川嘉彦の両氏にご挨拶をして、ホテルに戻って、すぐにベッドに入った。


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田園調布の「鳥瑛」へ。

2009-05-16 22:40:54 | インポート

五月十四日(木)晴れ。

 六時半起床。朝食の後は、東京行き。郡山から下山した佐久間五郎氏と待ち合わせて、お世話になっている方へご挨拶。いつもとても大切なお話を伺い、感謝する次第です。終了後に、佐久間氏とお茶。

 十一時前に、秋葉原へ。実は、午後二時四十分に隠岐康氏と、電気街口で待ち合わせをしている。内視鏡検査の病院を紹介して頂くためである。一度、自宅に戻ろうかとも思ったが、やりかけの原稿があったので、どこか静かなコーヒーショップにでも入って仕事をしよと思って、そのまま秋葉原に向かった。随分前、「メイド喫茶」などが有名になる前の秋葉原には来たことがある。マッキントッシュの対応のプリンターを探しに来たのだった。

 十年以上前のことだから、その様変わりには、思わず「萌えー」。いやはや、平日だというのに凄い人出である。外国人も沢山いる。それも添乗員に連れられたツアー客が何組もいるのには驚いた。店に並んでいる品物が余りにも専門的な物が多いので、安いのか高いのか良く分からん。結局、二時間余りも、キョロキョロ、ウロウロしていた。マクドナルドに入って、百二十円のコーヒー一杯で、一時間以上も仕事をした。すまんマクドナルドさん。

 三時近くに、隠岐氏と合流。病院へ。内視鏡検査の権威との事で、待合室は、訪れる人がひっきりなしである。自分の番になって、問診の後に、血液検査を行い、検査の日を予約した。その後、隠岐氏と共に、田園調布へ。五時に、佐久間五郎氏と待ち合わせて、長嶋茂雄さんの馴染みの「鳥瑛」へ。ここを訪れるのも久し振りである。五時少し前だったが、佐久間氏の「顔」で、お店に入れてもらい、いざ我が友よ、まず一献。ここの「ハツ」と「モツの煮込み」「鳥のもも焼」は絶品。佐久間氏流で、ニンニクをたっぷりつけて食べる。焼酎は「三岳」である。いやはや美味いの何のって、マイッタ。

 その後、スナック「Be奈」へ転戦するのが決まり。ここでもしたたか飲んで、九時過ぎに解散。千葉に帰る隠岐氏が、一旦、横浜へ出る、というので、東横線で横浜へ。別れがたく、そのまま「サリー」の店へ、また転戦。十一時に解散した。小沢辞任も豚インフルも何処吹く風の大破・轟沈でした。


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