五月十三日(水)曇り。
いゃー、ヒデェー二日酔いだ。昨日、それほど鯨飲した訳でもないのに、九時に起こされた時には、まだ酒が残っていて、布団から出ることが出来なかった。十時に床屋さんに予約をしてあるのだが、いやはや後悔した。ぎりぎり九時四十五分まで寝ていて、やっとの思いで床屋へ。オヤジに「酒のニオイがしますよ」と言われた。洗髪をして貰うときなど、下を向くので、気持ち悪いこと、この上もない。帰宅してから、二時近くまで、また布団に入った。
三時に、軽くご飯を食べて、歯医者へ。さすがにこの時間になれば酒は抜けたが、今日は絶対に休肝日にしようと固い決意をした。
犬塚哲爾先輩から、貴重な文章をメールで頂いた。それは、元「日刊ゲンダイ」の編集長だった二木啓孝氏が、評論家の高野孟氏の「THE JARNAL」という雑誌に書いた、「野武士ジャーナリズムの衰退を憂う」という文章である。添付で頂いたものを、少々長いが転載させて頂く。
<週刊誌記者から夕刊紙編集記者、そしてフリーで仕事をしてきた個人的な体験からいえば、月刊誌はライターの腕を磨く「道場」のようなものである。週刊誌や新聞の行数では書き切れない、あるいは記事からこぼれてしまった取材内容や論評を数十枚の原稿にまとめるのは“出稽古”にも似た作業である。一方、雑誌の編集者は道場主の立場だ。あらゆるテーマで稽古を行い、一定の実力がついたなら、「もう真剣勝負も大丈夫だ」と単行本に挑戦させたり。そう、月刊誌は書籍で一本立ちできるまでのジャーナリストの登竜門であり、出版社にとってはライター養成の“武者溜り”のような場所である。その道場が失われることの損失は計り知れない>
そんな雑誌ジャーナリズムの危機に、さらに追い打ちをかける出来事がおこった。週刊新潮で今年1月から4回にわたって掲載された「実名告白手記 私は朝日新聞『阪神支局』を襲撃した!」だ。連載では、1987年に朝日新聞阪神支局が襲撃されて記者の一人散弾銃で撃たれて死亡した事件について、その実行犯を名乗る島村征憲氏なる男の告白手記を掲載したのだが、これがまったくの虚偽だったのだ。
連載開始当初から、マスコミ関係者では内容に疑問を呈されていた。そもそも、手記には刑事事件でいう「秘密の暴露」がほとんどなく、新事実についても確認の取れないものばかり。しかも、最後には告白を行った島村氏が、週刊文春や朝日新聞、毎日新聞などのインタビューに対して手記の内容を否定する発言をした。これで、週刊新潮の虚報は確定した。
島村氏の一連の言動にはたしかに疑問を持たざるをえないが、この問題の本質は、週刊新潮が手記についての裏付け取材をした形跡がほとんどみられないところにある。たとえば、事件後に送られてきた犯行声明について、島村氏は新右翼活動家として知られる故・野村秋介氏に頼んだと語っている。だが、生前の野村氏の側近であった蜷川正大氏によると、島村なる男が野村氏の周辺に現れた事実はない。また、島村氏が右翼を自称してるので、島村氏が所属していた右翼団体の人間とも話をしたところ、犯行時は島村氏は北海道にいたと証言したという。
蜷川氏が驚いたのはこれだけではない。島村氏が児玉誉士夫の門下生だったという証言について確認するため、週刊新潮に行って事実関係を問いただしに行ったところ、編集部の担当者が持ってきた児玉誉士夫の資料として、ウィキペディアのコピーがあったという。児玉について書かれた書物は世にあふれるほど出版されているにもかかわらず、インターネットの資料が使われていることに、蜷川氏は愕然としたそうだ。
週刊新潮は、「島村が実際にそうしゃべっているから」ということで掲載したと言っている。だが、これは何ともおかしな理屈である。であるならば、週刊新潮は詐欺師の話でも裏付けなしで掲載するのか。私も正直に言えば、過去には週刊誌と夕刊紙でずいぶんと飛ばし記事を書いてきた。しかし、少なくとも死者の出た話や、歴史的な新事実について書く場合は念入りな取材をしたものだ。
私が週刊誌記者だった当時、週刊新潮は徹底した取材を行う雑誌として業界内でも一目置かれていた。仲間内では「週刊新潮が取材した後はペンペン草も生えない」と言われるほどで、それゆえに週刊新潮のステータスは高かった。が、こんなことでは雑誌ジャーナリズムが世間から「どうせ週刊誌だから」と思われ、信頼が失わてしまう。冒頭に書いた『月刊現代』の休刊が道場閉鎖による書き手育成の場が失われることの危機とするならば、週刊新潮の虚報は雑誌ジャーナリズムの取材力、ひいては読者からの信頼性の危機である。
雑誌記者の間では、「新聞は総理をつくり、雑誌は総理を引きずりおろす」というセリフがよく使われる。事実、1974年に『月刊文春』で発表された立花隆氏の「田中金脈研究」が、最終的に現職首相を追い詰めたという実績があるからだ。雑誌ジャーナリズムの神髄とは、ゲリラジャーナリズムとして乾坤一擲を放ち、ときには「一国のリーダーでも引きずりおろす」という気概にある。また、これこそが雑誌ジャーナリズムが持っている大手メディアの発表ジャーナリズムとは異なる“矜持”である。
であるがゆえに、雑誌メディアにとって『月刊現代』が終止符を打ったことと、週刊新潮のこの雑駁な連載の影響は大きい。日本では数少ない野武士集団によるジャーナリズムが衰退の道をたどらないことを祈るばかりだ。
このように、まだ例の「週刊新潮」の虚報の余波が収まらない。私も、新聞、週刊誌や月刊誌に掲載された、今回の、新潮社の虚報問題のスクラップを続けている。いずれ、総括の記事を書いてみたいと思っている。