五月四日(月)晴れ。
大型連休の最中、世界中が新型インフルエンザで右往左往している。それでも命懸け?でわざわざ外国に出てゆく人たちで成田空港は溢れている。私なんぞは君子は危うきには近寄らず、で家にいる。と言うとかっこ良いが、詰まる所、懐が不如意で出かけられない、と言うのが本音である。仕方が無いので家で仕事に専念しようと思っても、頭が休日モードで、まったくやる気が無い。困ったものだ。テレビで、ビートたけしが、「日本では、毎年自殺者が三万人もいるし、今だって結核で死ぬ人は、世界に一万人もいる。騒ぎすぎではないか」と言っていたが、ナルホド・・・。舛添さんいわく、「新型インフルエンザは、人類の危機」であるそうだ。楽観視はしないが、あんまりジタバタするのもネェー。
午後から、子供を連れて「みなとみらい」を散歩した。パシフィコ横浜の裏手が海岸沿いのプロムナードとなっている。休日とあってかすごい人手である。マスクをしている人などほとんどいなかった。日本の医療を信頼しているのか、それとも無頓着なのか。そう言う我が家もマスクの備蓄はない。
この場所からベイブリッジや港を眺めるのが好きだ。私が子供の頃は、この辺は「三菱横浜造船所」、ハマッ子は、縮めて「三横ドック」と呼んでいた。もっと昔は、吉川英治がこの造船所で船の錆を落とす「かんかん虫」をやっていた事は有名。錆を落とす時の「カーン、カーン」と言う音からその名がついたらしい。その体験から「かんかん虫は唄う」という小説を書いた。大仏次郎も横浜生まれの作家で、明治の横浜を舞台にした作品が多い。
中村汀女も横浜税関長だった夫について横浜に住んだ。野毛山に彼女の句碑があり、そこには横浜時代の、「蕗の薹おもひおもひの夕汽笛」が刻まれている。
赤レンガ倉庫や港の周辺を歩いていると、子供の頃に見た日活映画を思い出す。他人が見たら噴出しそうになるに違いないが、港で船をつなぐ鉄のかたまり(名前を忘れた)そこに片足を乗せて、視線は海の彼方に・・・。赤木圭一郎や裕ちゃんの映画のスチールには、必ずそんな写真があって、子供の頃には友達と一緒にマネたものだ。
特に赤木圭一郎の「拳銃無頼帖シリーズ」「抜き打ちの竜」が好きだ。その外、「霧笛が俺を呼んでいる」(この映画の主題歌は、作家の山平重樹さんの十八番)「紅の拳銃」。エースのジョーこと宍戸錠の映画は、なんと言っても「拳銃(コルト)は俺のパスポート」が一番だ。そうだ、当時は、クラブやバーのママさんを「マダム」と呼んでいた。「タイピスト」なんて職業ももうないんだろうな。そんなことを思い出しながら、一時間半ほど歩いた。
</object>夕食後は、「大吼」の夏号の編集を行った。