白雲去来

蜷川正大の日々是口実

あの頃YOKOHAMA

2009-05-20 11:13:36 | インポート

五月十九日(火)晴れ。

 良い天気である。朝食を済ませ、午前中にお世話になっている方々に手紙を四通書いた。正午から久し振りにウォーキング。一時間二十分歩いていい汗かいた。昼食は「稲庭うどん」。中間テストで昼に帰って来た子供と、愚妻には、稲庭うどんにキャベツ、玉ネギに缶詰のツナを入れて炒め、焼うどんにした。私は、冷たいつけ汁で、シンプルに食べた。

 午後から事務所。来客四名。マスコミ二人に、友人二名。来客は嬉しいが、ほとんど仕事にならないので良し悪しだ。早めに帰って「大吼」の編集の手伝い。終了後は、近くのスーパーで買った茶色のラベルの「宝山」の四合をちびちびやったが、これがなぜかイマイチだった。肴は「チヂミ」に「冷奴」。相性が悪かったのかな。美味くなかった。やはり浮気せずに、「黒霧島」にすれば良かったと反省。

 先日、ネットで本を取り寄せた。柳ジョージさんの「ランナウェイ・敗者復活戦」(集英社文庫)。横浜について書かれたいたり、横浜のことが出てくる本を集めている。以前、「小説に描かれたヨコハマ散歩」という連載をしていたが、中途半端に終わってしまった。また頑張ろう。柳ジョージさんの本の中に、ステキなフレーズがあった。

 1960年後半のYOKOHAMA。港の前の道、公園通りを南に行くと本牧に出る。そこがおれたちのホームグラウンドだった。面白い町っていうと、ちよっと違うな。遊ぶところが何でも揃っているなんていう町じゃない。レストランのようなクラブが何軒かあって、それ以外に何があったかといえば、フェンスだけだった。

 フェンスーーその向こう側はアメリカだった。 米軍のキャンプがあって、そこは確かに異質な世界だった。そこから吹いてくる風があったんだね。その町にある、なんてことないクラブへ行くと、R&B、リズム・&・ブルースが流れていた。みんながビートルズに驚きまくっていた時代にR&Bだった。 

 おれたちは伊勢佐木町のディスコに出ていた。バンドをやってたんだ。それが終わると、たいてい本牧へ遊びに行った。そのときに港の前を通る。港は活気があった。おれたちがマリンタワーの下にあるハンバーガー・インにいると、目の前の公園通りをナポレオン党が走っていくんだ。“元祖・暴走族”みたいなもんだね、これは。あの時代にトヨターS800だけを10数台連ねて走っていた

 ナポレオン党とゴールデン・カップスが、YOKOHAMAのシンボルだったね。カップスはまだグループ・アンド・アイという名前で本牧のクラブ、ゴールデン・カップに出ていた。やっていたのはR&Bだった。

 柳ジョージさんたちが出ていたのは、伊勢佐木町の「アダムとイゥ゛」か、馬車道のラタンビルの上にあった中川三郎のディスコティック・・・。本牧には、カップのほかにリキシャルーム、IG(イタリアン・ガーデン)やスターライト、べべなどの店があった。まだ本牧には市電が走っていた。そういえば、先日亡くなられた、作曲家の三木たかし氏の妹、黛ジュンをカップで見たことがあった。超ミニで踊っていたが、ヨコハマの女のニオイがしなかったのを、良く憶えている。

 酔いの中に、昔のヨコハマが甦ってきた。あの頃の、アイツやお前、一緒にヤードバーズを聴いた女の子達は元気なのだろうか・・・。

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折々雑感。

2009-05-20 10:23:37 | インポート

五月十八日(月)曇り。

 昨日飲みすぎてしまったのか、朝がきつかった。朝食後に事務所へ。また郵便物が山ほど届いている。最近、刑務所にいる、見ず知らずの人、それもUFOみたいなひとたちからの手紙が頻繁に届いて、嫌になる。刑務所も、いくら手紙が自由になったからと言っても、宮城刑務所みたいに、受刑者が手紙を出す相手を、登録制にすれば良いのではないか。あきらかに金銭を要求したり、訳の分からない内容のものなら、折角、検閲するのだから注意すればいいと思うのだが。毎月、十通も、多い時は二十通も来るのだから、正直言ってウンザリしてしまう。ほかの事にエネルギーを費やせば良いと思うのだが・・・。

 午後は、原稿の校正を終えてから、「大吼」の校正。季刊なのでどうしても時局の話題がずれる。今月に原稿を印刷所に入れても、発売は七月一日である。今が旬の話題であったとしても、発売された時には、色褪せてしまう。そうしないための本作りが私に課せられたテーマでもある。夏号の特集は、「北朝鮮のミサイル発射と日米関係」である。発売までに、選挙が無い事を祈るばかりである。

 先日、サリーの店に行ったら、「『WiLL』の六月号を読みました」という方が二人いた。その他、メールや手紙を随分と頂く。一段落した例の「週刊新潮」の「朝日襲撃」の実名報道であるが、その波紋が収まらない。福田和也、佐藤優といった方々が、「SPA!」や「AERA」に書いたり、鈴木邦男さんも「TIMES」に書いている。そういう私も「実話ナックルズ」の来月号に書かせて頂く。あの虚報は、きっと週刊誌史に残るに違いあるまい。

 今日は、真面目に休肝日とし、福田和也氏の「日本国怪物列伝」(角川書店)を読んだ。

Will0478 私の原稿が掲載されているものです。


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蜷川の男の料理、その1

2009-05-20 09:50:59 | インポート

五月十七日(日)曇りのち小雨。

 朝歩きに出ようと思ったら生憎小雨模様。仕方が無いので、自宅の掃除を済ませた後に、お世話になっている「実話ナックルズ」への原稿に取り掛かる。考えたら、今日が締め切りである。四百字で十枚。調子が良いときなら二時間ぐらいで書くことができるが、最近は、いつも、うーん、うーんと呻吟しつつパソコンに向かっている。知識は、ガソリンなどの燃料と一緒で、補給しなければ、どんどん出て行ってしまう。頑張らなくては・・・。

 夕方から、横浜駅に近い、松原商店街へ買い物。まぐろの専門店へ行き、晩酌の仕度。安いのか高いのか分からないが、まあスーパーよりは良いものが、安く買えるのは間違いない。まぐろとカンパチを買った。値段はヒミツ。その他、手作りのシューマイ、ラッキョウ、チャーシューなどを買ってから帰宅。

 私は、ネギが好きである。そのネギを使った簡単な男の料理がある。我が家に来たことのある人ならば、一度は食べたことのある料理、いや、酒のつまみである。

 まず「タコネギ」。スーパーで売っている刺身用のタコ(輸入物)をスライスしたものを、半分に切る。あまり大きく切らない方が良い。それに、斜めにスライスした多めのネギを載せる。味付けは、ごま油と醤油(ゴマ油8に対して醤油は2くらい)と味の素少々。好みで七味を入れても良い。それを混ぜると出来上がり。

 次は、ネギチャーシュー。これも「タコネギ」と同じ味付けだが、チャシューは、太目の千切り程度が良い。また、チャシューが冷えて硬い場合は、ビニール袋に入れて、湯煎するといい。ごま油にこだわるならば、日清食品から、カロリーゼロの物が出ているし、やはり上質なものが美味しい。

 そんな訳で、夜は、社友会の松本佳展君と小枝ちゃんのお二人が酔狂亭(我が家です)に来訪しての一献会。今日は、めずらしくワインを少々飲んだ。原稿はどうなったって。もちろん九分九厘書きました。大丈夫ですよ久田さん。


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