白雲去来

蜷川正大の日々是口実

国家と国民のためではなく「家名」の戦いなのか・・・。

2009-05-17 10:40:55 | インポート

五月十六日(土)曇り。岐阜から帰宅。

 七時起床。昨夜、早く寝たにもかかわらず、どうもベッドは苦手である。熟睡したつもりだが、どうも体がだるい。こんな時は、ゆっくり風呂に浸かるのが疲労回復の方法だが、ビジネスホテルの悲しさは、ユニットバスでのんびり入るには狭すぎる。まあその分安いのだから仕方が無い。九時に、木村代表と待ち合わせて帰路へ。山平氏は昨晩遅かったらしく、部屋に電話したら「ウーン、ウーン」といううめき声の後に、やっと普通の会話が聞こえてきたと、木村代表が言っていた。朝食をとっていなかったので、名古屋駅で「味噌カツ、えびふりゃー弁当」というものを買ったが、さすがに、朝食には重かった。十時丁度の「のぞみ」で新横浜へ。十一時二十四分着。横浜線に乗る木村代表と別れて、迎えの車で我が家へ。

 午後から事務所へ。沢山の郵便物の中に、五月一日の朝日新聞の夕刊が届いていた。この夕刊には、例の週刊新潮の謝罪文が掲載されているのだが、朝日は取っていないので、送って頂いたもの。これで、週刊新潮の「赤報隊実名報道」に関連した、週刊誌、新聞記事のスクラップが終了した。いずれ、整理表を作成して機関誌に掲載してみたい。

 六時から、久し振りに、神奈川県維新協議会(略称・神維協)の定例会に参加した。此の度、任期切れをもって執行部が一新するとのことで、ご挨拶を兼ねて出席したのである。神維協は、県単位の協議体としては全国初のもので、もう三十年以上も運動を続けている。かつて私も議長を経験したことがある。新執行部のこれからご活躍を期待する次第です。

 民主党の代表選挙で、下馬評どおり鳩山由紀夫が勝利し、新代表となった。民主党の鳩山VS自民党の麻生。歴史は繰り返す、と言うが本当だ。しかしこんな所で繰り返して欲しくない、と言うのが本音である。その昔、自由党総裁であった、鳩山由紀夫の祖父、鳩山一郎がGHQにより公職追放となり、後を、麻生太郎の祖父である吉田茂に託す。その後、鳩山一郎は五年間の髀肉の嘆をかこつ。追放解除となった鳩山は、吉田茂に政権の移譲を迫るが、吉田はこれを拒否。これが鳩山と吉田の確執となり、昭和二十九年、鳩山は岸信介、三木武吉などと日本民主党を結成する。(このことは、水木陽氏が書いた三木武吉のノンフィクション「誠心誠意嘘をつく」日本経済新聞社刊が面白い) 十七日の「産経抄」によれば、「外交官出身の吉田は自由主義者として知られ、日米関係を重視。経済優先、軽武装、憲法改正を拒否。生粋の政党人の鳩山は、憲法改正による再軍備となえた。共に、日本の将来の路線をめぐって命懸けの政治闘争を行った」と書く。

 今日は、その子の、その孫が、強く雄雄しい地盤を継いで、日本を混迷に導こうとしている。国家よりも正に「家」の戦いで、吉田の血を継いだ麻生が、改憲論者で、鳩山の孫が、かつての吉田の路線に似ていることが、皮肉と言えば皮肉である。議員の「世襲制」が問題となっている。子供が親を凌駕することもある。弟子が師匠よりすぐれる「出藍の誉れ」という喩えもある。それならば、親の選挙区以外から子や孫を出して、選挙民の洗礼を受けさすべきである。そんな厳しさに耐えられなくて、国家の舵取りが出来るのだろうか。

 「自民党をぶっ壊す」と言って大見得を切った小泉純一郎元総理が、引退する事は、正に引き際を知る、という美学に相当するが、子供に後を継がせるのはいただけない。「言う事とやっている事が違う」という評価が、特に政治家には、最低の評価である、ということが、分からなくなるほど「親バカ」ではあるまい。

 夜は、休肝日として、「そば飯チャーハン」のみとして早めに寝た。


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