白雲去来

蜷川正大の日々是口実

会合で浦和へ。

2009-09-29 11:57:10 | インポート

九月二十七(日)晴れ。

 今日は、午後一時より浦和のワシントンホテルにて、アジア和平日本委員会・埼玉奉賛会主催の平和祈念慰霊碑十五周年報告会があり、出席した。保土ヶ谷駅に向かう途中、大日本天誠団の内田団長を迎えに行き、横浜駅にて日本郷志同盟の清水常二氏らと合流。

 浦和方面に行くのには随分と便利になった。湘南新宿ラインが通る前は、京浜東北線でチンタラ行かねばならなかったが、今では、保土ヶ谷から湘南新宿ラインで赤羽まで行き、東北本線に乗り換えて一駅で着く。一時間ほどだが楽でいい。

 アジア和平日本委員会の皆さんが、タイのカンチャナブリ県のクワイ川のすぐ近くに建設した平和祈念公園。先の大戦で亡くなられた全ての国々の方々の菩提を弔うことを目的としている。私も過去に三度ほど慰霊祭に出席したことがある。クワイ川と言えば、映画「戦場にかける橋」の映画の舞台となった所だ。その映画の原作者であるピエール・ブールは、自らの捕虜体験をもとにして書き上げたと言われているが、彼の反日的な姿勢は有名で、やはりヒットした「猿の惑星」の猿は日本人をモデルにしたことでも知られている。

 「戦場にかける橋」の映画はアカデミー賞を受賞するなど、日本でも大ヒットしたが、事実と異なる点が多いとの指摘がある。

 大東亜戦争の真っ只中である昭和十八年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、捕虜となったイギリス軍兵士らと、彼らを強制的に鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を通じ極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現した戦争映画。劇中に登場する英国兵への数々の懲罰は原作者のブールが実際に体験したものである。 但し、泰緬鉄道において捕虜が橋を設計し、かつ工事を行った事実はない。実際には、捕虜が携わったのは資材運搬などの単純労働のみで、架橋工事自体は日本陸軍の鉄道連隊が行った。また、現在残っている橋脚も木製ではなく当時の鋼鉄製のままである。当然ではあるが事実と異なる脚色が多い。

 会場となった部屋には、民族派の同志や関係者で溢れていた。乞われて乾杯の音頭をとった。歌や太鼓のアトラクションなど楽しい、かつ意義のある会だった。五時過ぎに帰宅。

 夜は、疲れていたのと、どうしても気になるお店があって、かねてから一度行ってみたかった。よし、と家族で出かけた。某商店街の近くにある韓国料理屋で、店の外観や雰囲気も良さそうなのに加え、鍋料理の写真が沢山あって、とても美味そうだ。勇んで入った。しかし、しかしだ、メニューの写真にある物と、出てきた品物のギャップがこれほど激しい店は珍しいのではないか。メニューと見比べて、家族で???。「上タン」を頼んだのだが、出て来たものは、そこいらのスーパーで売っているものよりも色も悪く、不味かった。思わず上タンではなく、ジョーダンだろと言ってしまった。

 他の肉も、メニューの写真とは大違い。ハッキリ言って、これは詐欺に等しい。期待していた牛のスネ肉とジャガイモの鍋も、ここまで不味いものを作るほうが難しいのではないか。スネ肉なんかは、出汁としてとったガラで、肉のカスだけが着いており、犬も食わないシロモノだ。

 こんな最低の店に入ったのは、生まれて初めてのことだ。子供達も、最後は、肉を残していた。最低の夜だった。


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「大吼」の秋号が完成しました。

2009-09-29 11:09:23 | インポート

九月二十六日(土)晴れ。

 朝食後に、愚妻と一時間半ほど歩いた。歩いていると分かるが、木々や花の景色が一変している。吹く風も心地よい。歩く速度よりも速く、秋が私達を追い越して行く。

 午後から机に向かった。機関誌の編集も佳境に入った。来週中には最新号をお届けすることが出来そうだ。また、私が編集をしている「大吼」の秋号が印刷所から届いた。「燃えよ祖国」に限らず、手塩にかけたものが完成すると、とても嬉しい。これは他の雑誌を編集している人にも共通の思いに違いあるまい。

 「大吼」の秋号は、野村先生の特集である。早いもので、来月は、野村先生の十七回忌となる。先生は、晩年、私に対して、「俺は、もう日本の明日など見たくない」と常々おっしゃっていた。自民党の体たらく、民主党のドタバタ、国の大本を忘れ末に走り・・・。野村先生の嘆きが最近、良く分かる。

 まためぐる秋のさみしさ 天の濃さ

 とは、先生の句である。今日は、事務所にも行かずに一日自宅でパソコンに向かっていた。夜は、「大吼」の秋号の完成記念に、とっておきの「甕雫」をブルースで、おっと、ロックでやった。

0695 ※ご購読の程を宜しくお願い致します。

 


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機関誌をデーターベース化しています。

2009-09-29 10:42:07 | インポート

九月二十五日(金)晴れ。

 「忙しい」を口実にして、アット言う間に一年が終わる。暑い、暑いと思っていたら、最近では朝などは、毛布が必要になった。

 最近、やっと機関誌のデーターベース化に手をつけた。昭和六十一年創刊の「大悲ジャーナル」から、現在の「燃えよ祖国」に改題してから、最新号で一七二号となった。その間には、私が不在の時もあって、月刊誌としては号数が合わないが、とにかく一七二冊も出してきた。初期のころは、パソコンなどなく、ワープロで打ったものを、切り貼りしてコピーして作っていた。当然、印刷所に出す余裕もなく、ただ出すことに追われ、あるとき読者の方から「がっかりした」と送り返されたこともあった。

 その後、愚妻の力を借りて、ワープロでの編集を覚え、幾らかはましな物になったが、それでもコピー機による製作は変わらず、両面印刷をすると紙が噛んでしまい、何枚もだめにしながら悪戦苦闘をしていた。大変なので、一時期、印刷所に依頼したことがあったが、やはり印刷代だけで二十万円近く経費がかかり、続かなかった。

 この苦労を革命的に変えたのは、パソコンの普及と軽印刷機の導入、さらにお世話になっている方から寄贈して頂いたカラーコピー機とプリンターの存在だった。それでも当時の雑誌関係のソフトは、マッキントッシュが先行していて、そのソフトの高いことにかなり絶望したが、何とか購入した。

 現在の印刷機は三代目だが、初期の物よりも性能はおろか、値段も断然安い。昨年には丁合機(頁を揃える機械)を購入し、それまで手作業で行なっていたことが、随分と楽になった。現在、購入したいものが、中綴じ、中折、耳切りを一体化した機械。かなりの高額だが、何とか頑張るつもり。

 そうやって作った機関誌だが、第何号に、どういった特集があったのか、反対に、あの特集は何号だったのかが、分からない。探すのも大変である。いつか、整理をしようと思っていたが、忙しい、を口実にそのままにしておいた。先週からパソコンのエクセル機能を使って整理を始めた。機関誌の表紙、内容、在庫などが一目で分かる。まだ六十冊程度しか入力をしていないが、来月ぐらいには完了させるつもりである。結構この作業が楽しい。

0694 平成10年の大悲ジャーナルです。


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