九月二十七(日)晴れ。
今日は、午後一時より浦和のワシントンホテルにて、アジア和平日本委員会・埼玉奉賛会主催の平和祈念慰霊碑十五周年報告会があり、出席した。保土ヶ谷駅に向かう途中、大日本天誠団の内田団長を迎えに行き、横浜駅にて日本郷志同盟の清水常二氏らと合流。
浦和方面に行くのには随分と便利になった。湘南新宿ラインが通る前は、京浜東北線でチンタラ行かねばならなかったが、今では、保土ヶ谷から湘南新宿ラインで赤羽まで行き、東北本線に乗り換えて一駅で着く。一時間ほどだが楽でいい。
アジア和平日本委員会の皆さんが、タイのカンチャナブリ県のクワイ川のすぐ近くに建設した平和祈念公園。先の大戦で亡くなられた全ての国々の方々の菩提を弔うことを目的としている。私も過去に三度ほど慰霊祭に出席したことがある。クワイ川と言えば、映画「戦場にかける橋」の映画の舞台となった所だ。その映画の原作者であるピエール・ブールは、自らの捕虜体験をもとにして書き上げたと言われているが、彼の反日的な姿勢は有名で、やはりヒットした「猿の惑星」の猿は日本人をモデルにしたことでも知られている。
「戦場にかける橋」の映画はアカデミー賞を受賞するなど、日本でも大ヒットしたが、事実と異なる点が多いとの指摘がある。
大東亜戦争の真っ只中である昭和十八年のタイとビルマの国境付近にある捕虜収容所を舞台に、捕虜となったイギリス軍兵士らと、彼らを強制的に鉄道建設に動員しようとする日本人大佐との対立と交流を通じ極限状態における人間の尊厳と名誉、戦争の惨さを表現した戦争映画。劇中に登場する英国兵への数々の懲罰は原作者のブールが実際に体験したものである。 但し、泰緬鉄道において捕虜が橋を設計し、かつ工事を行った事実はない。実際には、捕虜が携わったのは資材運搬などの単純労働のみで、架橋工事自体は日本陸軍の鉄道連隊が行った。また、現在残っている橋脚も木製ではなく当時の鋼鉄製のままである。当然ではあるが事実と異なる脚色が多い。
会場となった部屋には、民族派の同志や関係者で溢れていた。乞われて乾杯の音頭をとった。歌や太鼓のアトラクションなど楽しい、かつ意義のある会だった。五時過ぎに帰宅。
夜は、疲れていたのと、どうしても気になるお店があって、かねてから一度行ってみたかった。よし、と家族で出かけた。某商店街の近くにある韓国料理屋で、店の外観や雰囲気も良さそうなのに加え、鍋料理の写真が沢山あって、とても美味そうだ。勇んで入った。しかし、しかしだ、メニューの写真にある物と、出てきた品物のギャップがこれほど激しい店は珍しいのではないか。メニューと見比べて、家族で???。「上タン」を頼んだのだが、出て来たものは、そこいらのスーパーで売っているものよりも色も悪く、不味かった。思わず上タンではなく、ジョーダンだろと言ってしまった。
他の肉も、メニューの写真とは大違い。ハッキリ言って、これは詐欺に等しい。期待していた牛のスネ肉とジャガイモの鍋も、ここまで不味いものを作るほうが難しいのではないか。スネ肉なんかは、出汁としてとったガラで、肉のカスだけが着いており、犬も食わないシロモノだ。
こんな最低の店に入ったのは、生まれて初めてのことだ。子供達も、最後は、肉を残していた。最低の夜だった。