六月十二日(火)雨。
朝目を覚まして、雨が降っていると何か憂鬱になる。我が陋屋の木造屋に雨は何となく似合わないような気がする。雨が似合うのは、都会の、それも商店街の裏にあるようなマンションだ。窓を濡らす雨を見ながら、飯よりもまずアンニュイなJAZZを聞いてコーヒーを飲む。二十代の後半から四、五年、そんな生活をしていたことがある。もうロケーションとしては最高の場所だった。
横浜の元町の川沿いのマンション。もちろん自分の部屋ではない。そこに住んでいる女の所に居候した。女よりもそこに住んでいることで何となく好きになった。ただその女が、その頃流行っていたジュディオングの「魅せられて」や山口百恵などを部屋で聴くものだから、喧嘩が絶えなかった。
それから大して好きでもなかったが、「イ-グルス」のコンサートに誘ってくれた年上のオンナの部屋に転がり込んだ。
その頃は、街宣やビラ貼りにも情熱を持って参加していたが、右翼仲間にJAZZやロック、ブルースの話を理解するようなハイな奴はいなかったので、街宣に参加した帰りには、オンナと南京町の「チョーズプレイス」や「コペンハーゲン」で、ロンリコをコーラで割ってイーグルスを聴くことでリハビリをしていた。本を読むよりもレコードを聴いている方が楽しかった。
※そんな時代の写真。私が主催していた勉強会の講師は犬塚博英さん。鈴木邦男さんの「腹々時計と狼」の宣伝が黒板にありますね。
そんな青春からサヨナラしてずいぶん経つが、今でも、FMですっかりナツメロとなった「フリートウットマック」や「サンタナ」「クリーム」「ジョンメイオール」「オーテイススパン」「ジェスロタル」「ツェッペリン」などを聴くとそ、あの娘、アイツ等、あの店のことを思い出す。
8ビートのノリでビラ貼りをしていたのは、俺ぐらいなものだろう。「右翼らしく」とか、「日本人らしく」とか、そうありたいために、若い頃の心を捨ててきたが、チョッピリ後悔している。ずーっと右翼をしているがヨコハマの心を捨てたわけじゃない。
高校生の夏休み。環八沿いの多摩美大のすぐ近くの「タマリバー」というドライブインでアルバイトをしていた。横浜から自由が丘で乗り換えて上野毛まで行くのだが、その店でバイトすることを選んだのは、自由が丘にあった「5スポット」に行くためだ。そうそう、そのお店の近くにあった古書店で買った「林芙美子全集」は今でも書棚にある。
アレ。何でこんなことを書いたのだろう。そうか横山孝平のドラマー時代の写真を見たのと、「黒霧島」がきれて愚妻の「IWハーパー」で酔ったせいか。参った、参った。つい酔って本音を吐いてしまった。