一月九日(水)晴れ。
朝、愚妻が子供の朝食や弁当の支度をしている時に、「水が出ない」という。風呂場や水回りを調べてみても異常がない。ひょっとしてこの寒さで水道管が凍結したのかも・・・。そんな馬鹿な。横浜に住んで長いことになるが、そんなことなど一度もなかった。大体、いくら寒いと言っても零度を下回ることはほとんどない。
最初は、それでもチョロチョロ出ていたのだが、七時半ごろには完全に断水してしまった。まあ、我が家は例の東北沖震災の時の教訓から、風呂の水は、次に入れるまで捨てないでおく。一番困るのがトイレの水であるからだ。その他、二十リットルのタンクに五個ほど常時水をためてある。これもトイレ用。飲料水も、必ず二リットルのペットボトルを六本入りのケースで五箱を常備してあるので一週間程度は大丈夫だ。
大きな地震が来ても、自宅さえ倒壊しなければ、一時キャンプに凝っていたことがあるので、テントに寝袋、ランタン、BBQセット、炭などは当然ある。一週間も我慢すれば、全国の社友からの支援も仰げる。何が断水ぐらいとのんびり構えていた。この歳になって不便を楽しむ心の余裕もある。しかしお陰様で八時半頃には復旧した。(翌日の新聞によれば給水地の給水バルブが故障したとのこと)
歳を取るにつれて一年の過ぎるのが早く感じる。と思っているのは私だけではあるまい。以前からそう思っていたら、週刊朝日に内館牧子さんが連載している「暖簾にひじ鉄」というコラムに、ナルホドということが書いてあった。それは、「一年は、そ人の年齢の時速で過ぎるから」ということ。
例えば、十八歳なら時速十八キロで一年が過ぎる。五十三歳なら時速五十三キロで、七十五歳なら時速七十五キロ。二歳の子供は時速二キロということになる。同じ一年なのにだ。一週間や一年があっと言う間に過ぎて行くということは、加齢と共に時速がアップしていることの証左なのかもしれない。
私は、時速六十二キロか・・・。どおりで早く感じるはずだ。日々を大切に過ごさなければ。
夜は、酔狂亭で月下独酌。先日、愛福楼で食べた「牡蠣のオイスター炒め」が美味しかったので、見よう見真似で作ってみた。まず、大粒の牡蠣を買ってきて、塩で揉んでヌルをとり、牛乳に二十分ほど漬けておく。牡蠣を取り出してもう一度洗い、水けを取る。片栗粉をつけて、さっと油で揚げる。付け合せは長ネギのぶつ切りともやし。フライパンに千切りの生姜とニンニクを炒めて、香りを付けてから、強火でさっと炒める。味付けは紹興酒少々とオイスターソース。仕上げにごま油を少々。まあ自分で言うのも何ですが、こりゃあお金を取れる。
最近は、閨房には、入らないが厨房には良く入る。(分かるかなぁー)。