白雲去来

蜷川正大の日々是口実

残雪で下界に降りられず。

2013-01-16 17:30:46 | インポート

一月十五日(火)晴れ。

良い天気だが、一面の銀世界。昨日、東京は、雪で動かなくなった車が幹線道路や高速に放置され大渋滞を引き起こしたとニュースでやっていた。また、今朝も道路の凍結で滑って転ぶ人が沢山いたともニュースで知った。雪国の人がこのニュースを見たら、何やってんだかと笑笑われるのに違いない。

横浜などでは、たまに降る雪は、神様がくれたプレゼントのような気がするが、北国では、格闘し克服するものなのだ。網走の農場時代、雪の季節になると泊まり込み農場の「切り通し農場」から更に山深い「住吉農場」と言う所に移動した。雪が積もって農作業が出来ないので、木の伐採や枝払いなどの作業をさせらるのである。映画「網走番外地」の世界がそのままあった。そこで冬を過ごし、春になるとまた「切り通し」にもどる。

「切り通し」に戻ってからの最初の作業と言うのが、まず畑に行くまでの道を確保することだ。自分の背丈以上も積もった雪を、「スノーダンプ」という道具でどかしながら道をつけて行く。連日、この重労働が続く。畑までの道が確保できると、次は東京ドームの何倍もある畑に積もった雪を溶かす作業である。雪を溶かすと言っても融雪剤やトラクターを使用するわけではない。労働力はただなのだから、すべて人力で行う。「農耕本隊」約二十名程度の者が角スコップを使用して、雪に四角く切り込みを入れてひっくり返して行く。これを「天地返し」と言うそうだ。こうすると雪が早く溶けるらしい。

何のことはない。雪で農作業が出来ないが、かといって遊ばせておくわけにも行かないので、こんな非建設的な作業をやらせるのだ。一時間もすると汗でびっしょりとなる。さらに困るのが、太陽の光の反射で「雪目」となり、目が痛くなるのだ。当然、サングラスなど貸してくれる訳はない。生まれて初めて、日焼けではない「雪焼け」と、その「雪目」を経験した。

我が陋屋は、高台にある。箱根駅伝の「花の二区」の権太坂のほぼ頂点よりもう少し高い。大雨でも水の心配はないが、雪となると車を駐車場から出せなくなってしまう。スタッドレスのタイヤなど持っていないから、走ることが出来ない。従って、今日も籠城を決め込んだ。

久しぶりに二十分ほど雪かきをしたら息がきれた。これでは農作業などできる訳はない。夜は酔狂亭で残雪を肴に、ほろほろ、とろとろと飲んだ。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

初雪や 酒の肴がなくもよし

2013-01-16 16:30:35 | インポート

一月十四日(月)祝日。初雪。

 朝起きて、玄関に国旗を掲げようと思って外に出ると、大粒の雪が舞っていた。当初は、こんな雪では積もらないとタカをくくっていた。子供たちも休みなので、いつもよりも遅めの朝食を食べていると、どんどん雪が激しくなっている。雨戸を開けてみると、屋根や地面が真っ白である。こりゃあ今日は出かけられないと腹をくくり車からクリンビューを持って来て、ガラスに曇り止めをほどこした。当然雪見の酒の支度である。

Dscf5352※朝十時の、我が家からの風景。

 祝日なので特に予定もない。愚妻は、この雪の中を、サリー姐さん主催の女子会「てきとう会」に出かけて行った。子供たちは、隣の部屋で勉強していて静かである。のんびりと風呂に入ってから雪見の酒とシャレようかと思って、風呂と酒の支度をする。しかしながら昼間に風呂に入ると、ちょっぴり罪悪感にさいなまれるのは、貧乏人ゆえか。


その昔、網走時代に、「切り通し農場」という山小屋か田舎の分教場みたいな小屋で寝泊まりしながら農業をさせられた。主な作物は、ジャガイモ、かぼちゃ、大根、そして砂糖の原料となるビートなどである。免業日(日曜、祭日)には、昼間から風呂に入れて貰える。本所ではこうは行かない。風呂場に小窓があって、一面の雪景色を見ながら風呂に浸かる。時折キタキツネが歩いているのを眺めていると自分の今の立場を忘れて、風流だなと思ったものだ。残念ながら、我が陋屋の風呂場には、外を眺められるような窓などないが、それでも、昼間の風呂は、何とも贅沢な感じがする。

Dscf5354※昼過ぎには、こんなに積もった。


休肝日としようと思ったが、初雪では仕方がない。肴は生ハムに湯豆腐、油揚げの中にねぎとシラスをパンパンに入れて軽く焼いたもの。酒は石油ストーブの上に、燗酒用の「カラカラ」を乗せて焼酎のお湯割りを温めながらちびちびやる。てゃんでェーべらぼうめ。矢でも鉄砲でも持って来やがれ。という気持ちになる。


ちびちび、ほろほろ、ぐいぐい飲りつつ、録画しておいたNHKのシリーズ「日本人は何を考えてきたのか」の第十回「昭和維新の指導者たち-北一輝と大川周明」を見た。まあNHKにしては頑張ったとは思うが、消化不良の感は否めなかった。大体、北一輝と大川周明を一緒に扱う所に無理があるような気がする。お二人とも偉大な思想家であり、単に「昭和維新」というキーワードだけで一括りにしてしまうのは、その人物や思想に照らしてもったいない。


俗に大川は、三月事件、十月事件など高級軍人を主とした「上」からの変革を求めたのに対して、北一輝は、青年将校と兵という「下」からの変革に影響を与えたと言われている。また、北一輝が2・26事件の青年将校に影響を与えたカリスマ的存在と信じられているが、それは間違っている。北に影響を受けたのは、西田税や磯部浅一、栗原安秀といった一部の将校で、安藤輝三や野中四郎などはさほど影響を受けていない。その証拠に、野中四郎が起草したと言われている「決起趣意書」を読めば一目瞭然で、その文章の根幹をなすものは国体主義であり、純正な日本主義である。北の「日本改造法案」の国体観は、天皇機関説である。従って、青年将校は、革命(維新)の方法として北の改造法案を参考にしたかもしれないが、その底流にあったのは、日本主義による維新であった。


国家社会主義とは、真ん中に一本線を引いて、右か左かと言えば、左にある。と看破したのは「大右翼史」の著者であった荒原朴水である。


また、高橋和己の「邪宗門」のモデルとなったのが大本教の弾圧事件。その大本教を特集した方は、専門的な知識がない分、興味深かった。いい雪見の日となった。


  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする